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街歩き #001 | 神奈川県足柄上郡大井町の旅

神奈川県足柄上郡大井町

 こんにちは。本日ご紹介したい街は「神奈川県足柄上郡大井町」です。

 神奈川県南西部の大井町へは今回初訪問。大井町は酒匂川によって開けた平地となだらかな丘陵が広がり、天気が良ければ富士山・相模湾・丹沢山系も眺望できる風光明媚な街です。

 大井町といっても、一般的にはせいぜい「東名高速の大井松田IC」「第一生命の旧大井本社」くらいしか思い浮かぶイメージがないのが正直なところかと思いますが、訪れてみると弥生時代から現代に至るまで結構いろいろな歴史がある街でした。

 国重文の土偶形容器が発掘された中屋敷遺跡・源頼朝創建の大井三嶋神社・国重文の"往生要集"を所蔵する僧源延開山の最明寺・初代鎌倉公方足利基氏開基の了義寺・高度経済成長期のレガシーである旧大井第一生命館ビル・昭和のひょうたんブームを巻き起こした時刻表など・・・。

 今回は、秋晴れの心地よい日に訪問した「神奈川県足柄上郡大井町」をご紹介したいと思います。

ビオトピア 大井町の案内

ビオトピア

me-byo valley BIOTOPIA (ビオトピア)

 小田急線新松田駅から「未病バレービオトピア」行の富士急湘南バスでビオトピアへ。バスの本数は1時間に1本なので、事前に時刻表を調べておいた方が良いと思います。

 神奈川県が推進する「未病」をテーマとした体験型施設・ビオトピアは2018年の開業。ドリップコーヒーの通信販売で知られるブルックスが神奈川県・大井町と連携して運営する施設です。
 施設内にはマルシェ・ドッグラン・オートキャンプ・スパなどがあります。丘陵からの美しい景色を眺めながらゆっくりと過ごせるいい施設ですね。おまけにマルシェ北側にある弘法大師像に参拝すると御朱印をいただけたりなんかもします。

 元々は、1967年竣工の「大井第一生命館ビル」。第一生命が半世紀近くにわたり本社機能の一部(事務部門・システム部門)を置いていましたが、2011年に撤退。撤退前には3000人近くがここで働いていたそうです。
 画期的な高度経済成長期のガーデンシティ構想は、少し時代を先取りしすぎていたのかもしれませんね。

了義寺 (臨済宗建長寺派)

了義寺 本堂

 ビオトピアのマルシェから20分ほど歩いたところにある了義寺。

 1360年足利基氏開基。足利基氏は足利尊氏の四男で初代鎌倉公方です。水墨画家で禅僧の雪舟が住来したということでお寺は有名になり、大いに栄えました。

 現在の伽藍は1791年に曽根惣右衛門が寄進したもの。この曽根惣右衛門という人物はなかなか才覚があった商売人だったようで、一代で小田原藩大久保家の御用商人にまでのぼりつめました。
 盗賊に金千両を盗まれた惣右衛門。金千両は取り戻しますが「賊の手に触れた貨幣は不浄である」として公益事業のためにその金銭を使いました。了義寺の伽藍整備にもこの金銭が充てられました。

 境内は丁寧に手入れがされていて大変雰囲気の良いお寺です。参拝日はちょうど施餓鬼法要の日。準備の真っ最中でしたので御朱印は遠慮させていただきました。

中屋敷遺跡

国指定重要文化財 土偶形容器 (複製)

 了義寺から東福院に向かう途中にある中屋敷遺跡。国重文である土偶形容器が発見された場所です。

 1934年、道路工事の際に偶然、完全な形の土偶がうつぶせの状態で発見されました。中には幼児の骨の破片や歯が納められており、埋葬儀礼に関する弥生時代前期の遺物として注目を集めました。土偶形容器がほぼ完全な形で見つかることは大変珍しく、1961年に国の重要文化財に指定されました。

 この場所には碑が建てられているのみで他には何もありません。土偶形容器のレプリカは大井町生涯学習センターで見ることができます。

東福院 (東寺真言宗)

東福院 本堂

 中屋敷遺跡からビオトピアの敷地沿いに丘陵を下ったところにある東福院。

 1527年頃地頭・安藤源四郎が邸宅内の内庵として創建したものと伝わります。本堂脇には立派な毘沙門天堂があります。
 境内の銀杏は"かながわの名木100選"にも選定されている樹齢400年の古木。まだ黄色く色づいてませんが、すでに銀杏の実が落ち始めています。もう秋ですね。

大井三嶋神社

大井三嶋神社 拝殿

 東福院から市街地を10分ほど歩いたところにある大井三嶋神社。

 旧郷社。鎌倉時代初期に源頼朝が源氏再興を祝し、三嶋大社より勧請したと伝わります。境内社の厳島弁天社は北条政子勧請とされています。
 "かながわの名木100選"にも選ばれている御神木のムクノキの脇には薬師堂があります。神仏習合ですね。

 社務所の脇に掲示されている江戸時代の算額のレプリカ。算額とは神社・仏閣に奉納された和算の問題や解答が書かれた絵馬のことです。
 算額といえば、映画「天地明察」で岡田准一さん演じる安井算哲と市川猿之助さん演じる関孝和が算額を通じて、互いの和算の実力を確認するシーンが印象に残っています。

 御朱印は社務所不在でいただくことができませんでした。

大井三嶋神社 算額(複製)

大井町生涯学習センター

大井町役場・大井町生涯学習センター・大井町総合体育館

 大井三嶋神社から10分ほど歩いたところにある大井町生涯学習センター。

 1987年開館の図書館機能を備えた公民館施設です。2階の展示室に中屋敷遺跡から出土した国重文・土偶形容器のレプリカが展示されています。他にも、展示室には大井町の自然や歴史が展示されていますが、中でも興味深かったのが「ひょうたんブームを巻き起こした時刻表」のパネル展示。

 大井町は "ひょうたんの町" として知られていますが、1970年国鉄(現JR東海)御殿場線上大井駅の駅員が日除けのために植えたひょうたん棚がきっかけでした。81年にこのひょうたん棚が「時刻表」の表紙を飾ったことで、一大ブームを巻き起こしました。

 今ではスマホで時刻表はすぐに調べられますが、当時は紙媒体の「時刻表」が大ベストセラーの時代。昭和は誌面の表紙がブームを生み出す時代でもありました。

大井町生涯学習センター パネル展示

最明寺 (東寺真言宗)

最明寺 本堂

 大井町役場入口から「新松田駅」行きの富士急湘南バスに乗り最明寺へ。

 1221年浄蓮上人源延開山。大庭景義が招いた源延が信州善光寺如来を模写し、松田庶子山に安置したことが起源と伝わります。
 源延は源頼朝挙兵に加わった加藤景員の三男で、源実朝をはじめ三浦氏や和田氏からも帰依を得た高僧。最明寺所蔵の "往生要集” は、源延が所持していた古写本で完存する写本としては最古のもの。国の重要文化財に指定されています。
 後に、善光寺如来への信仰が篤かった執権・北条時頼からの荘園寄進もあり、寺運は大いに興隆しました。1469年松田庶子山から現在地の金子に移転。

 境内に漂う金木犀の良い香り。本堂前の大きな金木犀の木は今が盛りです。
 こちらの御婦人には大変丁寧に御朱印の対応をいただきました。さらに「本堂にもどうぞ」とお声がけいただき、直接御本尊様に参拝させていただきました。

最明寺 本堂前の金木犀

小さな旅の終わりに

大井町のランドマーク ビオトピア 遠景
(右|旧大井第一生命館ビル  左|旧第一生命社宅)

 大井町のいたる所から見える2つの巨大ビル。右側の大きなビルが高度経済成長期のレガシーである旧大井第一生命館ビル。左側の巨大なホテルのように見える白い建物は第一生命社員の社宅として使われていた建物でした。
 これだけの巨大施設の再利用と言ってもなかなか難しい中、ビオトピアは結構頑張っていい施設を作っていますね。「未病」のキーコンセプトからブレずにいて欲しいな。難点は交通アクセスが少し弱いところ。車で来る人はいいのでしょうが。

 盗賊から取り戻した金千両を全て公共事業に使った曽根惣右衛門。了義寺の伽藍修繕もその一つでした。曽根惣右衛門はなかなか興味深い人物だと思います。
 頼朝が三嶋大社より勧請した大井三嶋神社。境内には政子勧請の厳島神社もあります。鎌倉の鶴岡八幡宮や横浜市金沢区の瀬戸神社もそうですが、頼朝の神社にはセットで政子の厳島神社が祀られていることが多いですね。
 東福院の大銀杏からは銀杏の実が落ち始め、最明寺本堂前の金木犀は今が盛り。街のあちこちで秋らしい雰囲気を感じることができました。

 帰りは御殿場線の相模金子駅へ。神奈川県にありながらJR東海のオレンジ駅名標を見ることができる御殿場線。終点の国府津駅(小田原市)ではJR東海313系とJR東日本E231系近郊タイプの車両が横並びの風景も見られますよ。

相模金子駅 JR東海のオレンジ駅名標
国府津駅 JR東海とJR東日本の代表的車両が横並び

 大井町ののどかな丘陵を歩きながら、私の頭の中でリフレインしていたのは Post MaloneとDoja Catの ” I Like You (A Happier Song) " でした。


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