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愚かな開示 〜現役編〜

2024年4月24日、京都大学の成績開示が返ってきた。多くの大学がネットでの開示に移行しつつあるのに対し、京都大学は未だに紙での開示という大学のこだわりが感じられる。悪くいうと時代遅れ、良くいうと色褪せを感じさせないレトロさを残している。僕はこの京都大学の姿勢が好きである。開示のはがきはたとえ受かっても落ちても一生の宝物であると思う。なんせ相手は京都大学なのだから。

さて、今回は現役時までの軽い来歴と現役時はどんくらいの成績だったのか、どんくらい勉強していたのかを説明しつつ、現役時の開示を晒していこうと思う。タイトルの通り、本当に愚かである。

〜小学校時代(中学受験)〜

小生は小4の春頃に大手中学受験塾SAPIXに15.16クラスくらいあるうちの下から2番目のクラスに入塾テストで入ることになった。特に勉強の才能はなかったのかな。そして入ってからも特に勉強はしなかったので成績は上がらず、しまいには1番下のクラスに落ちてしまう。偏差値は30切ってたかもしれない。そんな小生は自身の成績とは大きくかけ離れたレベル(上位3つか4つのクラス、αクラスの人が目指すレベル)の中高一貫の進学校を目指していた。同じ小学校(公立)から10人ほど行っていたが小4の頃は自分がその中でも圧倒的に低かった。そこで危機感を感じたのか、親のスパルタが始まったのか、小5からまともに勉強し始め、成績がぐんぐん伸びていった。小5の終わりには真ん中らへん、小6は上位1/4くらいには入るようになっていった。そのように伸びてく様は今でも鮮明に覚えている。小生はそのとき才能があるタイプではなく努力して伸ばすタイプでやればできる人間なんだと認識した記憶がある。現役、一浪の時よりも確実にストイックに勉強していた。いわば全盛期である。それくらい中学受験はとにかく頑張り、紆余曲折がありつつも最終的には第一志望の中学に行くことができた。本当に嬉しかった。

〜中高時代(高三まで)〜

しかし中学に入ってから燃え尽き症候群のようなものになり、まともに勉強しなくなった。今の中学で満足していたからだ。これは中学受験あるあるだと思う。最初は真ん中ちょい下くらいの成績を維持していたがだんだん下降していき気づいたら落ちこぼれの仲間入りになった。成績が悪いのが面白いと思っていたし今思えばその頃の自分はかなり痛かった。危機感など頭の片隅にもなく、親には中学生の頃は高一になったら勉強する。高一の頃は高二になったら勉強すると、とにかく後回しにして気づいたら高三になっていた。この頃の成績は下位5/6ぐらいだと思う。そんな中学、高校時代は家ではずっとYouTubeを見るYouTube依存症みたいな病気になっていて、勉強する習慣は全く無くなってしまった。それが今にも影響しているし2浪している何よりの原因だ。そんな怠惰な自分は高二の1月とか2月ぐらいに京大に志望校を決めた。この1年頑張れば当時は受かると思っていた。あの頃は2浪してるなんて思ってもいなかっただろう。

〜高三の頃〜

そうこうしているうちに高三になった。最初は理系にしては女子が多いという不純な理由で農学部を目指していた。理系にしたのも国語、英語ができず、数学が多少できるという得意不得意で決めていた。なので学問のこだわりはなく京都大学という学歴にとにかくこだわっていた。周りに京大志望がほぼいないというのもあって実際の自分と京大との距離が全くわからず常に舐めていて勉強をサボっていた記憶がある。YouTubeをダラダラみていた。中高通してまともに勉強していなかったなと。本当に愚かである。高三の頃の授業中は内職か寝るかの2択で先生の話を聞くという行為は一切しなかった。成績に関しては多少上がり、学校の勉強は捨ててたので中間テスト、期末テストは酷かったが、勉強の質が良かったのか全統模試とかでは学年の真ん中くらいにはいた。当時から質にはかなりこだわっていたので少ない時間でも伸びたのかもしれない。京大受かるためには量が圧倒的に足りてなかったが。そしてついに第1回京大実戦模試を迎える。オープンはだるかったので実戦だけ受けたがこの様である。

E判でも受かるという言葉だけを信じていたが、それはギリギリE判の人でこんな成績の人は受かるはずがない。当時はまだ希望を持っていた。そして秋のオープン実戦はこんな感じだ。

実戦で数学ができたせいで慢心した。オープンを見てもたまたまなのは自明なのに数学ができると勘違いしていた。理科はまだ伸びる可能性もあるが英語がこの成績なのは絶望的である。京大はとにかく英語が大事で受かる人は6割、悪くても半分はとってくるが自分はその段階とは程遠い。逆転合格できなかったのは英語が間に合わなかったせいだと考える。逆転合格したければ高3までにある程度英語は仕上げた方がいいと朕は思った。

そして年が明け、共通テストを迎える。自分は京大受験生とは思えないくらい酷かった。

適性学力は茨城大‼️‼️

受験人生で1番苦い思い出がこの共通テストの次の日、点数報告の日に起こった。学校に集まって駿台や河合のリサーチのために先生に点数を報告するのだが、共通テストをほぼ対策していない東工大志望の人に慰められた。ちな点数は小生の100点くらい上。その人は小生の点数を把握していないので本当に慰めているつもりで話しかけてくれたのだと思っているのだが、それが逆にダメージ大きかった。これほど辛い日はもう来ないと思う。点数が低すぎて先生に報告するのも辛かった。

そして二次試験を迎える。出願は人健。消極的人健だ。もちろんリサーチの判定は余裕でE。それではグロい成績をご覧あれ!


うーん、なんでこの成績で朕は仮面を始めたんだろうな





そして今現在通っている慶應義塾大学に合格をもらい、親に説得され進学することを決意した。





これが地獄の始まりである。

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