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彩色彫刻家、平野富山展を観て


平野富山って誰?

 7月4日(木)の静岡市は予想最高気温38度の猛暑日。目的の美術館は駅から地下ルートで行けるため、多少暑くても熱中症にはならないだろう。それでも熱射病警戒アラートが発令されていたこの日、少しでも涼しいうちに移動しようと早めに家を出た。
 今回の行先は静岡市美術館。こちらは7月15日まで「平野富山(ひらの・ふざん)展」を開催中だ。チラシには「静岡ゆかりの作家の全容を紹介する初の回顧展!」「平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)と歩んだ彩色木彫(さいしきもくちょう)、追求の軌跡」とある。果たしてどんな人物なのだろう。

切り込み人形に見えるひな人形

 入ってすぐの正面に飾られていたのが、「稚児雛(ちごびな)」。なんとまぁ、かわいらしいのだろう。つるんとした顔に、大きく曲線で描かれたにこやかな笑顔。木彫りだというのに、木の硬質さはまったく感じさせず、むしろ柔らかい。なかでも「舞人」などは、いまにもふわっと動き出しそうな軽やかさまで感じられる。

「稚児雛(ちごびな)」のひとつ、舞人

 着物はすべて彩色によるものだといわれても、木目込み人形のようにしか見えない質感のすばらしさ。単眼境で目を凝らして見てみても、木彫りに彩色したというよりは、友禅などの布を着せ付けていったのではないかと疑いたくなるほどだ。所有者は個人で昭和初期に初節句で都内の百貨店で購入され、大切に飾られていたものだそうだ。

個人宅にて大切に飾られていたという「稚児雛(ちごびな)」
筆者が写り込んでいるのはご愛敬というか、どうか見なかったことに・・・

軽やかな舞を見せる鏡獅子

 企画展では、平野富山だけではなく、富山が最初に学んだ人形師・池野哲仙(いけの・てっせん)や師事し西洋絵画を習得した彫刻家・齋藤素巌(さいとう・そがん)、彫刻界の巨匠・平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)などの作品も展示してあった。
 彫刻に関する企画展を観に行くのは初めてであったし、美術館の常設展でも彫刻に関しては素通りに近かった為、今回初めて聞く名前ばかり。予備知識のないままに行ったのだが、特に平櫛田中の鏡獅子試作裸形(昭和13年作)や試作鏡獅子(昭和20年)に至っては、まるで本物のように見えてしまうほどだった。撮影不可だったため写真で紹介できないのが残念だ。
 こちらの彩色を担当したのが平野富山なのだそう。

何度凝視しても本物のような着物の質感

 人の表情、着物の袖をひっぱるようにしてつかむ手や、それによってできる着物のひだや折れ具合。ぐっと踏み込んだ足は、着物で隠れて見えないはずの筋肉の張り具合までが見えるかのようだ。見えを切る目の鋭さ、一文字に閉じられた口、首や手の位置、すべてが歌舞伎役者を見ているよう。
 形はもちろんのこと、さらに本物のように見せているのが彩色だ。ひだの具合によって微妙にできる影部分の色の変化、折れることでできる模様の変形、すべてが本物そっくり、完璧に彩色されている。たとえ手に取って、彫刻をひっくり返してみたとしても、足の裏に至るまですべて塗られているのではないか。そう思わせるほどの緻密というか精密な出来になっている。
 実はこの彫刻、当初は富山の師である池野哲仙が彩色を担当するはずであったが、病に侵され余命わずかだったため、当時25歳の富山が跡を継いだのだという。着手後何度も試作を重ね、戦争による中断もあり20年を経て「鏡獅子」の完成になったという。

大判ストールは背中部分の柄に注目

 企画展の最終章「彩色木彫家・平野富山」では、「着衣の女」という作品に目を奪われた。セーターの上から大きなストールをふわりと羽織った立位姿の女性像。胸元でストールを合わせたときの、布の寄り具合、手首から垂れる布の質感。赤、白、紺、水色、青などの縦じまは、少し硬めで肌にあたるとザラザラとしそうな毛糸で編まれているのかしらと感じさせるほどである。大判のストールは足首まで到達しており、背中はすっぽり覆われている。
 初めて丁寧に彫刻を観た者としてはどうしても布のたわまみぐあい、しわの寄り方などに目が行ってしまいがちだが、「富山は袴の縦縞文様を例に挙げ、実はまっすぐな線を描くことが一番難しいと語った」(図録、作品解説より)のだそう。なるほど、言われてみれば確かに背中にかかった部分の模様が自然に見えたのも、実際に羽織った際の模様のゆがみまでじっくり観察した上での表現であったからこそなのであろう。

最後は圧巻の超絶技巧

 企画展の最後に飾られていたのは「羽衣舞」。こちらは細かい横線の入った着物をまとっている。横縞は彫ってできた線だとばかり思っていたのだが、帰宅後に図録の作品解説を読むと「盛り上げ彩色による横縞が全体に引かれており、長絹という薄手で張りのある紗地の質感を白線によって表した超絶技巧と言えるだろう」とある。彫ではなかったのかと改めて驚かされた。

ラストを飾る超絶技巧の「羽衣舞」
彫刻とわかっていても、にわかに信じがたい。

 それにしても、内側の見えそうにないところまで丁寧に彩色が施されているのはどの作品も同じ。これがすべて彫刻と彩色によるものだとは、企画展を一通り観て来たラストの作品でも、未だにわかには信じられない。「どこかで布を使っているのではないか」と単眼境をのぞき込んでしまう。

今にもすっと前に足が動き、能の舞を見せてくれそう。
着物の裏や脇など見えそうにない部分にまで丁寧に彩色が施されている。

 彫刻にこれほどまでに熱中するとは思わなかったのだが、作家の気迫に思わず吸い込まれるような企画展だった。


 

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