見出し画像

老婆みたいだね

老婆みたい

 先日、友人に会ったときに開口一番、「老婆みたいだね」と言われた。
言われた瞬間、ガツンと頭を殴られた気分に。なにせその日は、いつもより念入りに髪の毛を整え、時間をかけてお化粧をして、それなりに整えたつもりでいたのだ。だから、とても気分を害されたような気持ちになった。
 と同時に、自分でも「もう少しどうにかならんものか…」とため息をついてしまう気持ちを見透かされたようで、ムキになって「ひどいじゃん」と抵抗するも、さらに笑いを誘う結果に。
「なんでそんなにムキになってるの?だって本当のことなんだからしょうがないじゃん」
むくれる筆者の横で、おなかを抱えて笑い続ける友人。
「だってさぁ、髪の毛もっさもさでさぁ、その恰好でしょう? どうしたってそう見えるじゃん」
「老婆、老婆って!」語気を強めて言ってみるも、
「老婆とは言ってないよ、そう見えるって言っただけだよ。正直に言っただけなのに、他にどう言えばいいのさ」
「じゃあ、どうすれば老婆じゃなくなるのよっ」
「知らない。努力してないんじゃん?もっと工夫するとかさ、いろいろあるでしょ?」

真似て学ぶにはやっぱり動画

 ムカムカは収まらないのだが、そう言われてしまうと言い返す言葉も見つからない。自分なりにということは、自己満足の範囲を出ていないということでもあり、それ以上に頑張っているか、努力しているか、と問われれば、頑張ってるもん、とは言えないからである。
 それでも時間が経てばムカムカもだいぶ収まり冷静になれるというもの。そこで思いついたのが、動画を見て学ぶことだ。検索すれば、まぁたくさんのメイクに関する動画があるではないか。
 メイク方法についての動画や、年代別のメイク方法、プチプラコスメ(すべてドラッグストアで購入とか、オール●×円以下でメイクする、など)といったテーマなど、いろいろとある。動画の中で顔の半分をNGメイク、もう片方をOKメイクでその違いを見せてくれているものも多くあり勉強になる。
 なかでも唸ってしまったのが、1つの動画の中で、いくつものNGメイクをしてみせてくれるというものだ。たとえば、
「ナチュラルメイクといって、手抜きメイクになる方…(中略)、顔色悪く老けて見えますね」といって、間違ったナチュラルメイクをした「つもり」人の顔がどどーん。血色が悪くのっぺらぼうで、ま、まさしく筆者の顔。
「若い時に覚えたメイクが頭の中にこびりついてしまっている人」…といって、昔はやっていたメイクの顔が出て、思わずのけぞる。ぎょっとするほど、ゾゾっとするほど、「ザ・昔の顔」である。アイシャドウの入れ方など、筆者が毎日やっている方法ズバリ同じだ。
 「勘違いナチュラルメイク」と「ザ・昔の顔メイク」、どちらも大いに当てはまる。この顔で街を歩かれたら、たとえ通りすがりの人でさえ、ぞっとするであろう。何せ筆者自身が動画のNGメイクにのけぞったのだから、絶対だ。しかも筆者の場合はさらに髪の毛を振り乱して(友人の言葉)歩いていたのだから、もうゾンビ以外の何物でもないだろう。
 動画を見ていて、他人に不快感を与えないようにするためには、ここまでの努力と、ほどよく流行を取り入れる姿勢が必要なのかと感心してしまう。「きれい」「素敵」と言われる人は、それなりの努力をしているのだ。わかってはいたものの、まざまざと見せつけられると、自分の努力がいかにしょぼいものかがわかってお恥ずかしい。

動画選びは参考書選びに似てる?

 最初は「すごいなぁ」とただただ感心しながら見ていたのだが、自然と自分でもなんとかできそうなもの、自分に合いそうなメイクを紹介している動画を好んで見るように。似たようなテーマがたくさんあっても、自分に合ったものというと、それなりに絞られてくる。
 たとえば同じ「プチプラメイク」をテーマにしている動画でも、「今の自分にはちょっとハードルが高そうだから、もう少しメイクに慣れてうまくなってからかな」と感じるものと「素敵だけど、自分には合わないなぁ」というものと「これなら丁寧に解説してくれるし、なんとかついていけるかも」というものとに分かれる。
 自分に力があれば、たくさんある中からここはこの動画、こっちはこの動画、という風にいいとこどりしてアレンジもできるのだろうが、今はまだハードルが高すぎる。最初のうちは一人の方のメイク方法を全部真似たほうが、取り入れ易いだろうなどと考えているうちに、ふと勉強や読書と同じだなと気づく。
 受験生が自分に合う参考書を探したり、自分に合った勉強方法を探ったり。あるいは読書が好き、小説を読むのが好きといっても、人によって好みの傾向が違っているようなものか。

いざドラッグストアへ…も、順番が違った

 ようやく自分に合いそうな動画を見つけて、そこで紹介されていた化粧品をメモしてさっそくドラッグストアまで行ってみた。そこまでは良かったのだが、いざ陳列棚の前に行くと、あまりの商品の多さに、くらくらしてしまう。そそくさとドラッグストアから退散。「来月、ポイントがさくさん付く日に買った方がお得だしね。どうせ買うなら、お得感があったほうがいいもんね」と心の中で呟き、そのまま帰ってきてしまった。
 本を買うなら金欠にあえぎながらでも「ま、いいか」とポンと買ってしまうのに、それより安価な化粧品にも躊躇しているのだから、始末に負えない。せっかく重い腰を上げて行ったのに、なんでこうなるのかなぁと思い返せば、心当たりは古本屋。最初にドラッグストアに行けばいいものを、素通りして古本屋でたくさん買い込んでしまったのだから、ずっしり重い上に財布は心もとない。これでは買う気が起きないのも当然である。
 加えて動画で紹介していた化粧品すべてを一気に買おうとするから、いけない。いくらプチプラ、ドラッグストアとはいえ、複数商品買えばそれなりの合計金額になる。かといって、じゃあ1点だけその場でさっと選べるかといえば、それほどにはまだ知識がない。結果、すごすごと家に帰るしかなかったのだと思い至る。

気ままに選べる・学べる動画

 近いうちにもう一度、動画を見返して吟味してみようと思う。自分ができそうなものを一つだけ選びなおせばいいのだ。いや、一つといわず、購入順位をつけておけば万全であろう。
 それにしても、動画という「やってみせてくれるお手本」があるというのは、筆者が若かったころに比べてなんと便利なことか。何より具体的だし、自分に合ったもの、自分にできそうなものを自由気ままに選べるという気軽さといったらない。店員さんに捕まったら最後、うまく逃れられない筆者としては、合わなければ相手の心情(相手は商売だから、心情を慮る必要もないのだろうが)を考えずパッと切り替えられるのもいい。動画の活用方法はどんどん広がっていくだろう。

プチプラメイクでいつか大人に

 そういえば件の友人ときたら、
「老婆がダメなら、魔女ならいい?」
などと言う。内心、どっちもダメだよ!と思いつつ、これ以上ぶーぶー言うのも憚られるかと
「まぁ、そうだね」
と答えた筆者。
 メイク頑張るぞ、と鼻息荒くプチプラメイク動画を見始めたのであったが、何本か見ただけですでにギブアップ状態、お腹がいっぱいに近い状態だ。それでも次に友人に会うまでには、どこか1か所だけでも「今風メイク」を習得しておきたい。そうすれば、たとえまた「老婆」と笑われても、頑張った自分に胸を張れるというものだ。
 老婆の一因だった「髪の毛もっさもさ」については次の課題か。そう考えると、老婆を脱するまでには時間がだいぶかかりそうだけれど(しかも年齢を重ねていくわけで)、何事もやった分だけ、努力した分だけ身に着き、自信も芽生えるということ。一歩一歩、できることからやるしかない。

さされても、さらりと受け流す

 グサッとささるような言葉を言われた時に、常にさらりと受け流せるようにする。難しいことだが、できるかどうかは不断の努力と、それに裏付けられた自信があるかどうかだろう。そういう人ほど心が広く、心が広い人ほど余裕が生まれ、常にゆったりと構えられるようになると思う。つまりはそれが大人ということか。
 何があってもさらりと受け流せる、そんな人間に少しでも近づきたい。まずは老婆、脱出だっ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?