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東南アジアの多様性から私たちは何を学べるのか?

東南アジアで話されている様々な言語の挨拶表現。
ただし、これは東南アジアで使われる言語のごく一部である。 
作成 本 真莉子(studio avis)

まずは本書『東南アジアで学ぶ文化人類学』の序章の扉に掲載した上のイラストを見てほしい。これは東南アジアのさまざまな地域の文字で「こんにちは」という挨拶に相当する語を並べている。

このイラストに記されているのは必ずしも国家をもつ集団の言語ばかりではない。ビルマ語やタイ語、ラオ語(ラオス)、クメール語(カンボジア)、インドネシア語、タガログ語(フィリピン)、テトゥン語(東ティモール)といった国家のなかで公用語とされている言葉ばかりでなく、シャン語やカレン語、ウォリオ語、バリ語といった国家のなかの一地域で使用されている言語も含めている。ここから東南アジアでは多様な文字が使われているということ、そして多様な挨拶の表現があることがわかる。

ここからわかるのは、それだけではない。この挨拶表現に着目するだけでも、様々な気づきが得られる。

例えば、日本語の「こんにちは」とは、「今日は、ご機嫌いかがですか」という問いかけの後半部分が省略したものだと言われている。かつて日本語話者が、人とが出会ったとき、まず確認し合うのが、相手の機嫌だったのである。

一方、ラオ語の挨拶である「サバーイディ」は、直訳するならば「気分がよい」という意味になる。ラオ語のなかで「サバーイ」はとても重要な概念だ。来訪した客に対して「どうぞおくつろぎください」と日本語でもよく言うが、ラオ人は同じような意味で「ターム・サバーイ」という。他にも「サバーイ」は日常的によく使われるのだが、サバーイが意味するのは「ストレスなく心地よい状態」ということである。

他の東南アジアの言語でも、挨拶表現にはどのような意味があるのかを調べてみるとおもしろい。インドネシア語のスラマッ(ト)・シアン(selamat siang)のスラマットは「平穏・無事」を意味、バリ語のオム・スワスティヤストゥ(om swastiastu)は「神々のご加護のもとで平穏でありますように」という意味になる。

ちなみに、これらの語を英訳すると、happyという訳語があてられることもあるのだが、じっさいは英語のハッピーの状態(ちょっと高揚感のある、テンションの上がっている感じ?)とは異なり、穏やかな気分というニュアンスのほうが近いだろう(だから、ラオ語のサバーイと似ている)。

このように挨拶表現の意味を比較してみることによって、その言語を使用する人々に共有されている重要な価値を読み取ることができる。

例えば、日本語の「こんにちは」を通して、私たちは日本語話者にとって、まずもって関わり合う相手の機嫌への配慮が重要な関心事になっていることに気づく。一方、ラオ語やインドネシア語、バリ語の話者にとっては、そういった相手への気遣いよりも、日常の関心事はストレスなく心地よい日々を過ごしているかどうかであることに気づく。

このように、ありふれた挨拶表現の成り立ちやその意味を振り返って調べたり推測したりするだけでも、人々の世界観の一端に触れることができる。
 

だが、さらに興味深いのは、そもそも「こんにちは」に相当する表現をもたない言語もあるということである。実はこのイラストを作成する段階で、本書の執筆者に、自身の調査地で使われている挨拶表現を教えてもらった。だが、一部の執筆者から、「そのような表現はない」という返事がかえってきた。本書のなかで登場するミナンカバウやブタウィ、ムラブリなどは、独自の言語を日常的に使用して生活している。にもかかわらず、人間関係を築く基本であるかのようにみえる挨拶に関する語彙がないのである。

では、彼らは人と人が出会った際にどうするのかというと、いわゆる挨拶とは別の表現をつかってコミュニケーションをとる。例えば、「ごはん食べたか」「どこ行くのか」といった問いかけが一般的である。

じっさい私もラオスで生活し始めたとき、家の前を通ると様々な村人からいきなり「ごはん食べたか(gin khao leeo bo)」と問いかけられて、戸惑ったことがある。もっともラオ語には「サバーイディ」という挨拶表現はあるのだが、それでも村の中で日常的に使われるのは、このような問いかけである。

さて、挨拶表現というありふれた話題でさえも、私たちの常識を覆す知見が得られることがわかるだろう。私たちは幼少のころから、「挨拶はしっかりしなさい」「挨拶は礼儀だ」と言われて育ってきたはずだ。だが、それは決して世界中どこでも通用する常識ではなかったのだ。

文化人類学を学ぶ醍醐味は、このように他者を理解することを通して、自分たちの暗黙の前提を捉えなおすことにあるのだ。本書では個別のトピックにしたがって、さらにこの人類学的なものの見方を体験してみてほしい。

箕曲在弘・二文字屋脩・吉田ゆか子(編)『東南アジアで学ぶ文化人類学』昭和堂


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