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壱岐 iki に魅せられた私の物語 第5話

壱岐に魅せられて5年。
今、私は壱岐の「関係人口」として生きています。

「関係人口」という言葉も知らなかった私が、5年前に愛知から東京に転勤してきて、どうして壱岐の関係人口になったのか。
壱岐をきっかけに多様な人々との関係が繋がり、どのように自分の人生が変わっていったのか。
副業も始め、壱岐で家を借りて、別荘兼一棟貸しを準備するまでに至った私の物語を、少しずつ整理しながら記していきたいと思います。

いざ、壱岐に上陸 2019.9.27-29 その参

逆参勤交代フィールドワークのハイライトは、その地で活躍されている人との出会いです。

市役所の素敵な方々との出会い

まずは、移動中のバスの中、壱岐市役所 企画振興部 政策企画課の斉藤弥寿孝係長が、壱州弁も交えながら壱岐の魅力、景勝地、名物を名調子でご紹介いただき、お互いに初顔も多い逆参勤交代のメンバーも、話に引き込まれながら、なごんだ雰囲気になります。

政策企画課 平田課長と斉藤係長

そして、壱岐テレワークセンター(通称:FREE WILL STUDIO)で、白川市長、本田企画振興部長、平田政策企画課長といった方々から、改めて壱岐の課題をお聴きしました。

白川市長(当時)

「壱岐は、1955年には約5万1000人の人口がいましたが、現在は約2万7000人で、65年間で2分の1近くにまで減少しています。若い世代の流出も相まって毎年500人近い人口減が続いています。
有人国境離島法を活用した助成制度などを展開し、雇用の拡大、人口減の歯止めなど、様々な取り組みもしていますが、"人口減少"は市にとって最大の課題です。
一方で我々は、富士ゼロックスと連携協定を結んで地域振興を進めたり、自治体SDGsモデル事業の「SDGs未来都市」の一つに選ばれるなどの取り組みも実施しています。」

そして市長から、
「私自身、興味があるものに対して何にでも手を挙げる性格ですし、この島は豊富なポテンシャルを持った場所ですので、実りある時間を過ごしていただきたいと思います。そして、皆様の目で壱岐の課題と新たな可能性を発見してみてください」
と暖かい檄をいただきました。

壱岐を愛する白川市長、本田部長、平田課長から、次々と壱岐の魅力が語られます。

企画振興部 本田部長


「全島に光ファイバー網を敷設されていて、どこでもネットがつながりやすい。」
「島は、アップダウンは多いが、標高の高い山がなく、最も高いのが、212.8mの岳ノ辻。高低差がある分、一箇所に水が集中しづらく、一度の豪雨が降ったとしても、大きな災害にはつながらない。」
「米の生産は、長崎県2位。」
「麦焼酎の発祥の地で7つの蔵が競い合っている。麦焼酎生産のための大麦も島で作っている。」
「アスパラガス、イチゴ、トマトなどの栽培も盛んで絶品。」
「幻の赤ウニ、冬場の高級魚アラ(クエ)と海の幸も豊富。」
そして、島に上陸して早々に味わった壱岐牛。
「壱岐は6000頭の子牛を飼育し、5000頭は島外に出ていって、佐賀牛など、各地のブランド牛に肥育される。しかし、残った1000頭は、幻の壱岐牛として島で大事に育てられる。」

農業、漁業、畜産業が充実し、麦焼酎は美味しく、災害も少なく、ネット環境も快適。
こんなすごい島があったのか。
自給自足ができる島!
だからこそ、行政の方々も、熱く、郷土の愛を語るのでしょう。

素敵な人達との出会いが続く

ジェットフォイルで上陸した芦辺港の近くの小さな町、芦辺浦。
この町で「たちまち」というグループを立ち上げ、「芦辺浦を人と人の交差点にする」というミッションを掲げて地域活性化に取り組んでいる篠﨑竜大さんです。

たちまち https://www.instagram.com/explore/locations/603574963329522/

たちまちの街づくり

彼は、地元に生まれ、一級建築士としての勉強、経験を島外で積み、10年ほど前に島に戻ってこられました。

「たちまち」とは、「非常に短い時間に行われる様」「すぐ」「即刻」といった意味の言葉ですが、壱岐では「とりあえず」という意味でも使われるそうです。まさに、この意味合いで、「うまくいくかどうかわからないけど、たちまちやってみよう!」の精神で、活動を進められているとのこと。

はじめるにあたっては、一時的なイベントや指針、目先の利益などではなく、まちの新しい日常を創っていくこと、そしてこのまちを好きになってくれる人がじわじわと増えていくことを目指し、
多世代交流の拠点となる施設づくりや交流活動に取り組まれています。

例えば、芦辺浦の空き家を買い取り、地域の人はもちろん、移住者の方々も、子供たちも、いろんな人を巻き込んで、空き家を自分たちの手で、壁を壊したり、ペンキを塗ったりしながら再生し、「チリトリ自由食堂」という交流、飲食スペースを構築してきています。
また、近くに、篠崎さん設計の移住者のための賃貸住宅を設置したり、気の合う仲間たちと共に毎日を楽しく過ごすにはどうすればいいか考えながら、少しずつ歩みを進めているようです。

再生されたチリトリ自由食堂

「子どもたちにはこの場所ができる過程を感じてもらいたかったし、地域の人にも、"何かが始まっている"と気にしてもらい、自らまちづくりに参加する意識をもってもらいたい。」

多くの人にとって心地よい場創りをするために、街の歴史を大事にするだけではなく、外部から人を呼び込んで、新陳代謝を進めることが肝要だという話に、私たち逆参勤交代フィールドワークのメンバーも、何か関われるところがあるのではないかと刺激を受けたものでした。
そして、何より、肩ひじ張らず、自然体で話される篠崎さんの語り口に、私は、何かとても引き寄せられるものを感じたのでした。
そして、これが後の活動につながる大きなご縁になるのです。

夜は、市の職員の方々と再会して大宴会。
壱岐の乾杯条例「発声は、壱岐焼酎で乾杯!」でスタートし、
米麹で醸された麦焼酎は、何ともまろやか。
壱岐の海の幸、山の幸に舌鼓。
そして、港町のスナック街へ。。。

壱岐焼酎 海鴉の至高の香り
これも名物、ずしりと重い壱州豆腐の厚揚げ

翌日は、移住してきた方々との交流の場が持たれました。
午前中は、地域おこし協力隊で壱岐に来た梅田さん、小林さん、山内さんの3名と壱岐しごとサポートセンターIki-Biz センター長の森さんと現地で生活してみた実感や、島の人との交流などを意見交換させてもらいました。

左上から森俊介氏、梅田はつみ氏、小林伸行氏、山内裕介氏

そして、最後に森さんから、
「地域に暮らす人からすると、"壱岐はこうしたらいいのではないか"というアイディアもありがたいのですが、本当に嬉しいのは"実際に壱岐で○○をやります"というアプローチなんです。」
この一言は、フィールドワークメンバーにぐさり。

逆参勤交代フィールドワーク主催の松田さんからも、
「最終日に市長にプレゼンを実施してもらいますが、そこでキーワードにしてもらいたいのは"主語は誰か"という点です。都会から来た人が地方に何らかの提案をする際、あなたの街はこうすべきと、どうしてもその街や地方が主語になりがちですが、本来的には主語は自分たち、つまり受講生の皆さん自身が主体的に何をすべきかなんです。」

主語は私。
視点が決まりました。

あったかなイルカと人のふれあい、そして人同士のふれあい

次に向かったのが壱岐イルカパーク&リゾート。
天然の入江を活かした海浜公園で、イルカにタッチしたり、一緒に泳いだりして、イルカと触れ合える珍しい施設です。
2019年から同施設の再建を任されたIKI PARK MANAGEMENT株式会社の高田佳岳さんとの交流です。

IKI PARK MANAGEMENT株式会社代表の高田氏

もともとは、市から経営を再生し、パークが自走できるように企画してほしい、と依頼を受けていて、企画で終わる予定のはずでしたが、なぜか自ら実行役になることに。
企画と実行とは、また異なるスキルの仕事ですが、企画した船の船頭としてチャレンジをはじめることになったそうです。
行政ではなく、民間の視点で、まずは観光客の客単価を高めるため、園内にカフェをつくってくつろぎながらイルカを見てもらったり、キャンプやバーベキューセットを貸し出すなどの施策を打つとともに、島民の方々が喜んで来てくれるようにしないと、イルカパークは続いていかないと考え、ミニ動物園を開園したり、島では食べられなかったパンケーキをメニューに加えたり、様々な工夫をされています。

また、イルカパークでは、イルカのトレーニング方法として、アメとムチで言うことをきかせるような方策ではなく、イルカと対等な関係づくりをしながら、意思を伝えあって、いろいろなことができるようになるということを目指しています。
そのイルカに対しての対峙の仕方も素晴らしいのですが、その対峙の仕方を応用して企業向けの研修プログラムを開発し、「人が学びを得られるテーマパーク」への進化を目指しているということです。

人に興味津々のイルカたち

そして、イルカパークの夕暮れを観ながらBBQ。
イルカトレーナーたちの訓練の苦労や、島に渡ってきての楽しい暮らしぶり、高田さんのイルカ愛など、挑戦と日常の良い塩梅での交わり、そして話をする人たちの一人ひとりの笑顔に、こちらも温かく、ゆっくり湧き上がってくるような感情を覚えたものでした。

イルカパークの心温まるBBQの宴

ここに、その後の私の人生を変えていく、もう一人のキーマン、高田さんとの関係が始まりました。

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