なぜ、今の中国になったか?

この文は上の動画のノートだ。僕は台湾に来て、どんどん台湾と中国は別々だとわかってきて、でも何故今の中国になったか、ずっと好奇心を持って、本も読んだり、インフルエンサーの動画もみたり、でも構造的な認識を組み立てなかったが、この動画を見て、ようやく訳がわかった。僕は中国に対しての歴史的な認識が足りないわけだ。これはほぼ全体の日本人もそうだろう。外交まで扱われた政治家たちも同じだろう?今の中国になったのは歴史的な原因があって、そう簡単に解決じゃない認識を先ず持つべきだし、今のご時世、こんな国際関係には日本人にとっては大事だと思う。

一つ、専制体制と権威体制の違い:民主主義に生活した我々は、大体全体主義の体制は全部同じく見え、それに対しての対応も同じくなったが、実はよくこういう視線で中国を見た。でも、中国を理解するのは先ず、その基本は、中国は権威体制であり、まだ専制体制じゃないと認識あるはずだ。例えば、北朝鮮は専制体制であり、古代からの中国の皇帝的な存在であり、すべての指導者は北朝鮮のトップの一人だけだ。ナチスのヒットラーもこういう存在だった。その区別は専制体制には血筋で統治すること、権威体制はレーニン式な政党を通じて統治するのだ。だから、中国の今の統治手段はロシアからの外来種であり、中国の元の文化によって生み出したことじゃない。
なぜこの区別が大切か?これはこの二つの体制によって、対応する方法も違ったゆえだ。ちょっと前の西の陣営は、中国は専制体制に勘違いして、いつか崩れたのを予測された。専制体制はいつか崩壊するのか歴史にもよくあったので、こう押したと、結局今から見ると、判断の間違った。そのせいは実は中国は権威体制であり、その対応も間違ったじゃないか?つまり、中国は詳しくないので、今の中国は歴史的専制体制の引き続きだと思われ、実は今の中国は特に政治の面は、レーニン式の政党の伝承を受け、社会を厳しくコントロールする技術を持った権威体制である。
例えば、毛沢東は西の陣営から見ると、中国古来の皇帝のような存在だと思われ、それは中国の歴史からの連想だ。実は毛沢東の統治手段はレーニンを真似して、権威主義者だった。鄧小平は偽りの仕業して、粉飾した権威主義者だった。習近平は社会の資源を全部政党を通じて、社会を掌握している。この連中は全部政党に通じて、中国を統治するのだ。
一つ、中国にも憲法運動があった:清国の末期には朝廷から始めた憲法運動で、その時の中国はすでに議員は各省にいた。実は中華民国の樹立もこのきっかけだった。では、なぜ同時に中国共産党の発展はそんなにうまくなったのか?それはその時のソ連の浸透のゆえだった。
一つ、中国に有名な「五四運動」は、その本質は民族主義だった。運動の中に主張したデモクラシー(民主)とサイエンス(科学)は、実は放棄したままだった。前の憲法運動に比べると、その時の発表した文章は、この二つのテーマをほぼ触らなかったと見られる。スローガンばかりだった。ソ連はその時の中国民族主義を利用して、浸透した。だから、その時の国民党もソ連の指導を抱えて、大歓迎した。国民党もソ連の支援を受けて、中国に有名な黃埔軍校を設立した。このソ連支援した反乱軍は、その時正統な中華民国政府を倒して、中華民国の正統を名乗った。今の台湾人も知らないかもしれないが、実はその時の反乱軍(台湾には『北伐軍』を称じた)はソ連から派遣した軍官ばかり、だから北への戦争がうまく成功した。ソ連の赤軍の軍官の企画と指導によって、まだ近代化してなかった中華民国の軍隊も敵わないことも想像できるだろう。その時の中国共産党は幅広く中国国民党に寄生した。共産党員を育ったのはその時の国民党だった。このやり方はソ連の帝政を革命した時の仕業は全部同じだった。
一つ、ソ連の直接指導:蒋介石は北の正統な政府への攻撃した時、中国共産党の陰謀をわかってきた。だから、速やかに分裂して、「清党」を行い、国民党党内の共産党員を逮捕し、処刑した人も多かった。そのゆえ、共産党は選択肢がないので、独立した。あれから、すべての「暴動」(今の中国には「起義」だと自称)は直接にスターリンの指示だった。
一つ、毛沢東の発明:中華民国は全面的に右翼になって、そのリーダーは蒋介石だった。全国の力で、共産党からすべての左翼を抑えて、これは中国共産党にとって一番苦しい時期だった。毛沢東はこの時期で、ソ連の指導から離れ、自分の権威主義政党を建設した。ソ連の中央集権と異なって、バラバラの地方を分権した歴史もあった。もし地方の権利は中央より強くなったら、経済の利益を削って、軍事にも兵を派遣して、事実上に占領した。今の中国もこういう体制で治めている。
一つ、西の陣営の間違った判断:その中心は「私有制」だ。80年代の末は、ソ連の勢力も弱くなって、中国も国内も「民主」の要求の声も出てきた。原因はレーニン主義政党が弱くなって、社会のコントロールも弱くなった。それもその時の中国共産党の指導者の鄧小平は「改革開放」のせいだった。経済的な改革と解放の故で、どんどん中産層が浮いてきて、「私有」の概念も芽生えた。私有資産を守るため、政治の参与したり、司法の独立させたり、全部は個人主義、自由主義の始まりだった。国際にも米国のソ連を牽制するつまりで、中国と手を組む国際雰囲気があふれた。この国内と国外の情勢を含めて、中国共産党は巧みに経済を発展しつつのに、「私有制」を拒否して、レーニン政党の中国共産党に全部の資源を握っている。西の陣営は中国は専制体制を捨てる先を予測して、大胆に中国と結んだ。これは大間違いだった。中国は全然打撃を受けない、逆に西の支援を受け、結局権威主義をより発達した。だから、民間の企業は発達したと、すぐ共産党のコントロールに入って、中国資産家も出奔したことも、今も珍しくないわけだ。これは「私有」を決して受け入れない、しかも「私有」は中国共産党の統治を妨げる故だ。

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