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建築学生の日常#4 「30人しかいない村」

お疲れ様です。かもしれです。


今回は研究の集落比較として小さな漁村の視察に行って参りました
視察の内容は、空き家調査/島歩きがメインでした

記録も兼ねて、視察で得たことを書こうと思います


警察がいない村

島の人口はたったの30人ほど
昭和46年には約1000人が住み、160世帯もあったそうです


車もなく、徒歩や自転車で移動できるほどの小さな集落
今では、移住者も少しずつ来ているとのこと


船着場について歩いていると

おばあちゃんが海外の方を案内していたところに遭遇した
(後から聞くと、お遍路目的で訪れる外国人が多いのだとか)


海外の人も来るのか〜と思いながら
民宿先に荷物を置いて、村長のところに向かおうとしたところ


「あんたらこんなところになんしにきんや〜」
と先ほどのおばあちゃんが


『あれ?さっきまで外国の方案内してなかったっけ???』
と内心呟く

このおばあちゃんは“せっちゃん”
せっちゃんこそが街を守るセキュリティそのものだったのだ


なぜなら、

傘を届けに村を探し回り、

夕飯を食べる場所にも現れ、

村を普通に歩いているだけでも二回はあった


「せっちゃんってもしかして3人いる?」と本気で思ってしまうほど遭遇した


さらに、魅力的なのは人情溢れる人柄

夕方ごろに、訪れた旅行者に対して
予定外だったにも関わらず、すぐに宿泊先もご飯も用意してあげた

宿泊先とお布団敷いたことを伝えるためだけに
島中を探し回っていた

とにかく働き者で見回りをしている「せっちゃん」


警察なんかいなくても、
どこのどんな人が入ってきたのかが一瞬にして村中に伝わる
それは「せっちゃん」が宿泊者や移住者の面倒をしっかり見ているから

まさに“人間版”顔認証システム

村の誰もが知り合いであり、
悪いことをすればすぐに情報が回るのは当たり前

せっちゃんの強い責任力とあたたかさが村を自然と守っている


人がいない理由

素朴で何もない村に惹かれる人も多い
移住者もそれなりにいる

それでも人口が少ない理由は、
原住民と移住者とのミスマッチが起きているからだ

頑固な考えで凝り固まっている人がいるというより
その人たちが村を守っているような気がした

住民は皆、稼ぐことに無関心だ

良くも悪くも、

自然を上手く利用してお金に変えていこうとする資本的な移住者がいると
原住民から受け入れられない現状もあるようだ


貨幣経済とはかけ離れた生活

村にはスーパーはもちろんコンビニなどの買い物できる場所はありません
唯一お金がかかるのは、数百円の自販機ぐらい

2週間に一回か二回ほど、村を出て買いに行くのだとか

お金にとらわれない生活

それは、住民の本質を表しているような気がした
その日に取れたものをみんなで分け合えば十分に賄える

それだけで豊かな暮らしが送れる

何もないことが豊か

帰り道

新幹線が来るのを待っていた時
私の師匠がこんなことを言っていた

「東京が色々なものがあるが何も豊かではない」

便利になりすぎてしまった生活では私たち人間は堕落になっていく

何も無いからこそ、

体を動かし
互いに協力しながら
食料や衣服や住処をこしらえる

これこそが私たちの在るべき生き様なのではないかと

この言葉を聞いた瞬間
何かがすんと落ちたような気がした


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