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私は車に轢かれたい。

こういう記事を書いたのだが、昨日無事に10万円が返ってきた。良かった。これはもう実質10万円増えたようなものなので、パーッと使ってしまおうと思う。

ところで、ここ二年間くらい毎日会社に通っている。
なんとなく自分はそういうのが苦手だと思っていて、会社づとめはしないことにしていたのだが、いい加減税金についてあれこれ頭を悩ませるのにも疲れたので、モラトリアム的に会社員をやってみている。とくに遅刻もなく、やればできるものである。会社員はおすすめ。

しかし、不快なことがないわけではない。
私は電車通勤をしているのだが、最寄り駅までの道が、意外と交通量が多いのである。


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私の住む地域はマンション街である。マンションとマンションとの間に車2台と人一人がぎりぎり通れるくらいの道路があり、そこが朝から地味に賑わっているのだ。

これが、本当に地味に賑わっているのである。たえず車が通るわけではないのだが、「あ、また通った」、「まただ!」という具合に、気にし出すと気になってしかたないくらいには、コンスタントに車が行き来する。これが不快なのだ。

私はこういう不快感に気づくのが遅い。最初の一年間は脳の表面の薄皮みたいな部分で「なんかヤなんだよなあ」とうっすら感じるだけであった。
それがある日、

「いや、車多いって!!!!!!!!」

と気づいてしまったのだった。

それからというもの、私は毎日その道を通るたびに、「車通んなや……」と、行き来する車に向かって、ギャルみたいに毒づいている。で、毒づいてみると分かるのだが、毒づくのはあまり気持のよいものではない。ちょっと罪悪感が生まれる。ムカつくウザい○ねと好き勝手言ってるギャルも、あれはあれで結構身を削って毒づいているのである。

そこで、ここ最近は、車に轢かれても良いかもなあと、ちょっと思ったりしている(この思想は危険なので真に受けないでほしいのだが、一応聞いて)。


アクション映画を見ていると、主人公やその仲間が車に轢かれるという場面によく出くわす。だが、それで死ぬということはほとんどないのである
車に轢かれる登場人物たちは皆、向かってくるバンパーをふわりとかわして、滑り込んできたボンネットに背中を預ける。それで多少ふっとんだりすることもあるわけだが、つぎの瞬間には何事もなかったかのように戦闘の構えをとり、元気に格闘をつづける。車に轢かれるとは、まあ、そんなもんなのではないだろうか。

車を運転している連中からすれば、こういうことを考えている歩行者がいることは恐怖でしかないが、だれも他人の思考を制限することなどできない。イメトレの中の私はいつだって車に轢かれてもケロッとしているのである


平気

あと、ガラスを素手で割るとかもできるのではないかと思っている。
幼いころなど、誤ってビンを割ると「あぶないからあっちにいってなさい」と母親に言われたものだが、ハリウッドスターたちはパリパリ楽しそうにいろんなガラスを素手や体全体で割っている。あれは見ていて気持良いし、あいつらに出来て私にできないということはないのではないだろうか。
そう思えば、カーミーとかのwebメディアが、車に閉じ込められたときのために脱出用のハンマーを準備しておけなどとしたり顔で言ってくることがあるが、まったくバカなことである。素手よ、素手。素手があれば万事順調だ。


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