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『君たちはどう生きるか』をどう観るか

アカデミー賞受賞作品であるジブリ長編作品の
『君たちはどう生きるか』
傑作であるが、その評価は賛否両論である。
さらには賛の意見があまりにもポヤポヤしている感覚派の言葉が多いために、否を主張するものから君たちはどう生きるかが理解る俺かっけぇ〜等と言われる始末、当然である。私もお酒に明るくない為に、自称ワイン通の上司のパヤパヤなカスのレポートを聞いていると「わかる人にはわかるんだな」と思う反面赤く着色したビッグマンでも飲ませてやろうかと意地の悪い事を考えてしまうのが常である。わかろうとしない事は罪だが、わからない事は罪ではない。「『君たち』マウントきちぃ〜」と言ってきた上司を責めるわけにはいかない、興味がない事があるのは何も悪い事ではない、モノによっては良い事ですらある。

前置きが長くなってしまったが、この記事ではタイトルの通り『君たちはどう生きるか』を、どのように観れば良いのかを説明するものになる。
しかし、そのような記事や動画は世の中にごまんと存在し、ネットという広大な世界のnoteという田舎の場末で、最近畑を耕し出した新人が何を言えるのだという声は最もである。記事の3本のうち2本がうんこちんこの話の人間がジブリを語るとは何事かと石を投げられても仕方がない、顔は10点ちんちんは50点でお願いします。

しかし、世にある『君たちはどう生きるか』の解説は、姉に復讐する妹の物語だの、アオキジは鈴木敏夫だの、あの積み石は創作活動だの、父親の不倫等ばかりが語られる。これを読んだ否の意見を持つ人はこう思ったはずだ

「だからなんだと言うのだ」

確かに上記の解説は間違いではないのかも知れない、だが解説するべきはそこではないのだ。異常に早くに妊娠している義母や、大叔父が守る世界の歪さは誰しもが感じ取っている。その歪の理由がわかったとしても何故それを描いたのかはわからないままである。
赤ワインの口当たりの重厚さや芳醇な香りは確かにわかるが、それがどのように美味しいのか、ワイン素人にはそこが難しいのである。ワインで知的好奇心を刺激したいのではない、味蕾を刺激し脳汁を出したいのだ。
一般の人は宮崎駿の母性へのコンプレックスも、宮崎駿が敬愛してやまない高畑勲との因縁も、若くて美人な女性アニメーターが結婚する事を宮崎にどう伝えるべきか苦難する鈴木敏夫の人物像には興味がないのだ、面白い楽しい作品を観たいがために2000円払って2時間以上黙って椅子に座っているのだ。
なので、この記事はストーリーの内容を解説するものではない、作品を観る上での指針を解説するものだ。
赤ワインはジンジャエールを入れると飲みやすくなるよ、という初心者向けのアドバイスである。


まず先に断っておくが映画『君たちはどう生きるか』と言う作品は、お世辞にも現代の娯楽としては優しいと言えない作りになっている。
カーチェイスの末、派手に爆発しドンパチをする等の視覚聴覚をビンビン刺激させる、4DX映えする作品ではない。不思議な世界の説明がないまま結構な時間座らされる。「映画観てると時間があっという間だね」と言うこともなく実際の上映時間も体感時間もしっかり長いため、鑑賞前にトイレに行き、上映中の水分補給は口を湿らせる程度にする事をオススメする。


本作品を観る上でのポイントは3つである

・宮崎駿は子どものためにアニメを作っている
・作品は最序盤に何を描くのか説明がある
・作中に原作が出てくる

一つ一つ説明していこう。

・宮崎駿は子どものためにアニメを作っている
宮崎駿は子どもたちに楽しんでもらうために作品を作っている、三権分立の成り立たなくなった日本というグロい世界を描いているチャゲアスのon your markのMVですら、子どもでも楽しめるようにと、翼の生えた少女を広い空へ逃す、という大筋に沿って作られている。
宮崎駿自身に子どもが産まれた際も子どものためにと深夜までスタジオに籠りアニメを作っていた。
本作品も例外ではない、様々な大人の悪意や厳しい自然の代謝を描いておきながらも、その骨子となるものはやはり子どもへのメッセージである。
大人にはわからないけれど、子どもにはわかると言う話ではない、子どもが当時の時代背景や、なんか小さくてポワポワしてるやつが鳥に喰われ、女の子がなんか小さくてポワポワしてるやつごと焼き払い、鳥を追い払うシーンが何を意味するのかわかるはずがない。
凝り性ゆえに、世界観が濃くなり、それを描かずにいられない。本作品は宮崎駿の原液とまで言われているが、その世界観の細かい設定はわからずとも、しっかり子どもに伝えたい事は伝えようとしている。世界観についていけないからと途中で観る事をやめ、画面を眺めながら明日の仕事の事を考えるのは非常に勿体無い、なんだこれは……と思いながら観て欲しい。

エクセルのマクロがわからずとも業務に支障はない by上司


・作品は最序盤に何を描くのか説明がある
これは何も宮崎駿作品だけの話ではなく、物語の構成としてよく用いられる手法である。
物語の起こりよりも前に、作品の勘所を示唆するシーンを差し込む手法だ。
例として最近の大ヒット作であるトッドフィリップス監督作品の『JOKER』でも用いられている。
この作品は主人公アーサーが両手の人差し指を口に入れ、無理やり口角をあげ一粒の涙をこぼす、ホアキン・フェニックスの怪演から始まる。アーサーの笑顔に孕む痛みを端的かつ叙情的に表現した名シーンである。
『君たちはどう生きるか』も同じように冒頭で物語の核に触れているのだ。
物語冒頭で主人公 眞人の母が入院している病棟で火事がおき、眞人は母の死に直面する。眞人が幼い体で、人混みを掻き分け病院に走る姿と、火の手の早きの迫力は観客を圧倒する。衝撃的な幕開けに面食らった人も多いだろう。
しかし、観るべきは駆ける眞人でも、何故か火の中に映る母の姿でもない。急の事態でありながら、一度出た足を戻し、部屋で寝巻きから外着に着替える眞人である。物語の掴みである冒頭で、かなりの尺を使い着替える眞人の姿をしっかりと描いている。母に会うための身嗜みに妥協ができない、背伸びをした幼心とも捉えられるが、原作の著者である吉野源三郎の言葉を借りるならば"立派そうに見える人"とも言える。厳しい言い方になってしまったが、母の死に目で、見てくれを優先してしまった事は、いくら少年の気持ちを汲んだとしても変わりようのない事実である。
人からどう見られているかと言う事に聡い嫌に大人染みた眞人の姿は、やはり物語冒頭20分ほどのところで、頭を石で殴り、わざとらしく血を流しながら帰路につくシーンで補強されている。

・作中に原作が出てくる
これはもう大事件である。
大事件である。
劇場でひっくり返った人も多いはずだ。宮崎駿が原作に沿ったアニメを作らないことは今に始まった話ではないが、原作本を作中にタイトルをデカデカとうつし、主人公が手に取り、読む。作品を大きく動かす存在として原作本が出てくる事は正に珍事である。雑誌の袋とじがSa○ta Fe……

これは宮崎駿が『君たちはどう生きるか』を観にきた客に
「この映画は君たちはどう生きるかじゃないよ」
と宣言したようなものだ。いや宣戦布告だろうか。
まぁポスターをみた時から、皆うすうす勘付いてはいたが『君たちはどう生きるか』の宮崎駿なりの解釈だろうなくらいに思っていたが、全くの別物を持ってきたのは驚きである。お使いに行ったおじいちゃんが全く別のものを買ってきたら認知症を疑わねばならないが規模が違う。ガンダムではなくガンガルを買ってきたどころか、ガンダムを頼んだら新長田にあるはずの鉄人28号を引きずってきたのだ。

この作品は吉野源三郎が書いた「君たちはどう生きるか」ではないのだ。
『君たちはどう生きるか』を読んだ眞人くんの物語なのだ。
我々は『君たちはどう生きるか』を読んだ眞人くんの後を追わねばならない。

不思議ワールドに足を踏み入れた眞人くんは不思議ワールドで起こる事についていけず、現地の方に結構迷惑をかける。
なんかちいさくてポワポワしてるやつを食い散らかす鳥を燃やすヒミ様に対し、今日来たばかりの余所者のガキンチョが「やめろ!」と叫び、現地で暮らしているキリコさんをびっくりさせたり、大叔父様が頑張って世界の均衡を保っている尊い仕事に「そんだけ?!」とかなかなか無礼な事を言ったりする。

少し話は原作の「君たちはどう生きるか」に移る。
本作を噛み砕いて大雑把に説明すると、色んなものは色んなものと繋がっている、と言う話である。
自分の目では意味のないものに見えても
それはどこかで自分を支えている
とても大切な事だ、これを「地球儀を回すように」と歌った米津玄師の凄さはもっと話題に上がるべきだ。

この原作の内容を知った上で眞人くんの行動を追いかけると、この少年はおそらく「君たちはどう生きるか」の内容を全くわかっていないのだ。
亡き母が残した贈り物の嬉しさが先行してしまい、本の内容を理解することがないままページを繰ってしまったのである。

この3つを分かった上で『君たちはどう生きるか』を鑑賞すると、何もわからない状態から、言語化は難しいけどなんとなくわかるかもしれない状態にはなるだろう。



まとめ

作中このようなセリフが登場する。
「まだナニカ残っている」
このセリフは丘を登る眞人くんが、足元の石のようなものを拾おうとしたシーンのヒミ様のセリフである。カメラは寄りもせず引きもせず、定点カメラで背景の端に2人の姿を映しながら出てくるセリフである。
聞きこぼしてしまいそうなこのセリフにこそ、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」と言う本の骨子が詰まっている。我々が当たり前に目にする世界は様々なもので成り立っている。しかし、それが共利共生なのか、寄生なのか判断する事は非常に難しい、自分には意味がなくとも、何かには掛け替えのないものかもしれない。己の功利を優先しモノの善し悪しをはかるべきではない。
不思議ワールドでの実体験を経て、眞人くんは成長し、ゆっくりと言葉の意味を知っていく。
宮崎駿の『君たちはどう生きるか』は子どもたちのもつ若さの肯定だったのではないか、母から与えられるものが特別であり優先することは何も悪い事ではない。
映画は寂しさを感じさせる、しずかな動きの少ない画面で幕を閉じる。家族から一歩引いた眞人くんの目には、両親に手を引かれる弟がいた。
他人との共生は、自分の幸せと他人の幸せを天秤にかけざるを得ない。それに気づいた彼は人生の永遠の課題に取り組んでいく。
赤玉パンチは結構美味しい





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