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小説/ヨロズ承り社 その2

山寺での生活(修行)は俺には、新鮮な体験ばかりで、本当に勉強になった。冬の山鳥の愛らしさ、背の高い木々の間を素早く抜けて刺さる朝日の清々しさ、凍る地面の冷徹さ、全てが初めての経験だった。早朝から広間の清掃、庭掃除、どちらも広さは半端じゃない、これを全部午前中に済ませる、これで1ヶ月の宿泊代と食事代をチャラにしてくれると言う、太っ腹な提案を快諾したのだ。勿論俺たちは、一生懸命やらせてもらった。此処に着いたその日に正月の行事があり、一般客と一緒に参加させてもらった時、住職の代わりに読経する立派な若いお坊様を見た。凛として猛々しく、その読経の音は朗々として胸を突くものだった。康平などは泣いていたし、俺も。感動とは、こう言うことかと思い知ったのだ。後に彼が、隆一の弟だと聞いて、然も有りなんと思ったよ、それからは、俺達が起業するという知らせに、心配した親族が來たり、住職の計らいで、様々な先達をご紹介いただき、助言も貰った。そして何よりも、残業続きて不規則不摂生であった生活を立て直す事が出来て、俺達は、心身共にスタートラインに立たせて頂いたと思うのだ。それは、とても有難い事だった。

引越し先も決まり、山寺の生活も残り5日を切る頃、就寝前の俺達はそれぞれの時を過ごしていた。宿坊の外廊下から聞こえる話し声は、どうやら1人は隆一だ。話している相手の声は低いが、とても通る美声だ。

「お前、立派になったなあ」
「ありがとうございます。みんな兄さんのおかげです。」
「いやいや、お前は良くやっているよ、先生に聞いたら今度の薬はすごく良いそうじゃないか」
「そうなんだ、筋ジストロフィーも治る時代が来るかもしれないね」
「ちゃんと薬を飲んで、リハビリもして、修行もこなして、しっかり出世してるし、お前は自慢の弟だよ」

少し間が空き、聞こえて来た声は少しだけ震えていた。

「兄さん聞いておきたい事があるんだ、どうして急に寺を出たの? 俺の病気が原因なの? 俺が寺を継ぐことにしたのは兄さんだよね、それは、俺が不憫だからだったの? 今日はどうしても答えてもらうよ!」

よっぽどの思いがあるのだろう、暫く、声のない嗚咽が聞こえる。隆一が語り出したが、その声は小さく、俺たち3人は息を殺して聞き耳を立てた。

「俺がリュウに何も言わずに出て行ったのは、あの時のリュウには理解できなかったからだよ、俺達は歳も近いし2人とも親父を尊敬し、一生懸命学んでいたし、この寺が大好きだよね、お前もそうだろう? お前が難病を発症した時、俺は、頑張って跡取りとなり、お前と、お前の治療代を一生背負っていこうと思ったよ、それを両親に話そうと思って母屋へ向かった時、襖の外で、お前と親父の会話を聞いたんだ。お前はすごく泣いていて、親父を怒鳴り上げていたんだよ、覚えているか? 入院して楽に暮らしてほしいと言う親父に、嫌だあ!医者にも掛かるし、薬も飲む、でも修行は続ける。痛かったら耐えてやる!苦しかったら耐えてやる。何としてでも坊主になるんだ。筋ジストロフィーの坊さんになる。苦しいなんて覚悟の上だ!どんなに辛くても人々の為に経文を唱えてみせる。邪魔するな! そう言ったよね、あの時 親父は両手をついて、それならば、それらの全ての手助けをさせてくれと言っただろう、お前の後ろの襖の外で、俺も平伏して居たんだよ、お前は一度に、親父と兄と母親を折伏してしまったんだよ。今となってはね、誰でもない、神・仏がお前を選んだのさ、きっとね、見所のあるお前に、最初の試練として与えたのが、この難病だったのかもしれない、きっとそうだ 試練ならば克服できる。俺はそう思っているよ、分かったかな?」

この後の沈黙は長かった。静かな山の夜に、清の小さなイビキだけが規則的に聴こえる。エッ!イビキ?目の前には、こちらを見てニヤッとする清の顔がある。寝たふり? 1時間以上も? 清お前も漢だねえ、感心していたその時

「ねえ、あんちゃん! 山を降りたらもう此処へは来ないんでしょう?」

「ああ、来ないよ!」

「だって俺、1人じゃ山を降りられないんだよ」

「どうしても会いたかったら、頑張って降りてこい! ほら風邪ひくぞ、もう行け、おやすみリュウ」

「うん、おやすみ あんちゃん」

隆一が襖を開けるギリギリで、3人とも布団をかぶって寝たふりをした。そっと襖を閉めると隆一は「皆んな、お騒がせしました。清お疲れー」と言って布団を被った。ケッ! 全部バレてんじゃん! 俺が隆一の後頭部に向かって、なるべく可愛く「おやすみ!あんちゃん」と言ったら、「おやすみ ユウちゃん」と言われた。それ以来、時々隆一をあんちゃんと呼んでいる。

山寺を去る日、住職は先頭で手を振ってくれた。弟さんは出て来なかったが、静かに読経を読む声が聞こえていた。軽トラの荷台に揺られながら見ると。住職がこちらに向かって、ずっと合掌をしている。横を見れば隆一もずっと山門に向かって合掌している。それに習って俺たち3人もずっと合掌をしていた。

つづく

次回は、蟷螂(かまきり)という話です。


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