見出し画像

ショート 傘をさしたお地蔵様

テレビのニュースで、小さな子供が行方不明になっていた。何日も見つからなくて、世間が絶望に打ち拉がれていたその時、元気な姿で発見された。迷子になった彼は、お地蔵様に供えられたお萩を食べていたらしいのだ。インタビューに答えた地域の人が、「ああ、甘くしておいて良かったー」と答えていた。

それを見ていて、忘れていた。一番大切な記憶が蘇った。

その頃俺は、廃墟のような三軒長屋に住んでいた。左側の部屋は、屋根が落ちてしまっていて人が住めない状態で、真ん中の一応屋根が無事な部屋に、父親と2人で住んでいた。俺が小学校6年生になる春に、引っ越してきたのだ。父親は事故で片足がうまく動かなかったが、普通に生活は出来たので、介助等は必要なかった。生活保護みたいなのは受けてなかった。父親は何とか働けるからって断ってしまう様な人だった。でも実際の生活は大変だった。朝食はいつも無かったし、給食は俺にとって、頼みの綱だったよ。夕御飯は、有る時も無い時もあった。その上、学校は遠くて、歩いて通う俺は朝5時頃には家を出ていた。まだ暗かったが、農家の人達が朝早いので、怖いと思うことは無かった。ある朝、畑の隅のお地蔵様に、先ほどお参りを済ませたのか小さな灯がともっていた。その横には、夜目にも白い湯気の立つぼた餅が三つ置かれている。俺は思わず小声でお地蔵様に、「食って良いですか?」と聞いた。すると、遠くから小声で「はい」と聞こえた。思わず頬張ると、まだ暖かくて、供物なので味は付いてなかったが、中の餅米がまた旨くて涙が出てきた。グズグズ泣いてしまったが、全部平らげて、「ごちそうさまでした」と手を合わせて、学校に向かって駆け出した。翌日の朝、腹が減っている俺は、有るかな?有るかな?とだけ思って家を出た。雲の多い、昨日より暗い朝だった。小雨も降っていた。遠目に灯が見えて、小走りになる。有った! あれ! お地蔵さんが大きな傘をさしている。アッ湯気も立ってる! 手を合わせ「いただきます」と言ってさっそく大きな傘の中へ、そして頬張る。アレッ 甘い、旨い、三つも有ったのを一飲みに食ってしまった。元気よく「ごちそうさま」と言って、本降りの雨の中、学校へ向かって猛ダッシュした。

そんな事が卒業するまでの大凡一年間続いた。夏休みの間も1日も欠かさずに、お地蔵様の供物は続いた。角煮の入ったおにぎりだったり、五目混ぜご飯のおにぎりだったりした。いただきます、ごちそうさま、と繰り返し、俺はどんどん元気になり、一年で随分と体もデカくなった気がした。お地蔵様のお供物を毎回くすねていたので、罪の意識から、父親にはどうしても話せなかった。中学進学と当時に、父親の仕事先が決まり、家も引っ越してしまい、お地蔵様にお礼に行っていないのだ。

社会人になった今、やっと あの時の、ありがたさが身に沁みるのです。神様・仏様。そして人様の温かい手で、命を助けてもらいました。

車窓を流れる、初夏の青々とした畑を見ながら、美味しい大きなぼた餅の夢を見ました。

おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?