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雨降り朝顔(コヒルガオ)-3

神の手を持つ看護師さん

泣き過ぎて、顔が腫れてしまい、朝出勤前に顔を出した両親に、また、心配をさせてしまった。看護師さんが、リハビリルームに来てごらんと言うので、付いて行った。部屋中央からは死角になっている衝立の裏に座らされた。看護師さんはニッコリ笑って、シー静かにと言う動作をし、扉を開き、「隆一君、お母さん、こちらへ入って下さい」と言った。はいっと言って隆一君は2本の平行に置かれた丸木の端に車椅子を付け。母親がもう一方の端に立ち両手を広げた。看護師さんは新しい白いズック靴を出し、屈んで隆一君に履かせると左足の靴底をパンッと叩いた。そして「さあ隆一君、もう一度言うよ、君のお父さんは君を精一杯守ったんだよ! 先生も足は麻痺していないと言ったでしょう? お父さんが守ってくれた君は元気なはずだよ!さあ」と言った。同時に母親が、「さあ、リュウちゃん、ここまでおいて」と手を広げた。そしたら、隆一君は立ち上がったのです。二、三歩はゆっくり、後は駆け出していました。お母さんも隆一君も、笑いながら泣いていました。

その日のうちに隆一君は退院して行ったのです。小児病棟の窓から見ていたら、もう隆一君は、走り回っていました。上から見ると病院の庭はこの時期、雨降り朝顔が一面に咲いているのです。その日は1日その花を見て、1人で過ごしました。翌日すごく朝寝坊をしてしまい、看護師さんに「おはよう! よく寝てたね」と起こされました。見ると、サイドテーブルに、コップいっぱいの雨降り朝顔があって、ヒッと小さく悲鳴を上げてしまった。途端に咳き込んだ私の背中に、看護師さんの温かい手が添えられる。この手は100%私の咳を治める。私にとって“神の手”だ。小さな声で、本当に久しぶりに話した。話さないと大変なことになるから! 「あのね、この花は“雨降り朝顔”って言ってね、これを摘むと雨が降るの、それなのに、こんなに沢山積んだら、大変な事になっちゃうの」すると、背中の手はゆっくり上下して、呼吸はとても楽になって行ったのです。そして「それはね、嘘なんだよ。この可憐な花の本当の名前は“コヒルガオ”って言うのよ、見てごらん」と言うと、立って行って大きな窓のカーテンを引いた。ついで 窓を全開、風が、懐かしい夏の香りを連れて来る。そして窓一面に真っ青な空が広がっている。看護師さんの横に立って、外を眺めていると、涙が溢れる。看護師さんが椅子を2つ窓際に持って来てくれたので、窓の下に一面に広がる花壇とコヒルガオの眩しさと、クッキリとした木々の影に見惚れ、背中に神の手の暖かさを感じながら、遠足の日の事を、話していた。自分の勘違いから、とんでもない心配を両親にかけてしまっていることも、全部、全部、長く話して疲れてしまった。

誰かに話して解放された安心感で、窓にもたれて眠ってしまい、料理の美味しそうな匂いで目が覚めた。お昼寝から目覚めてすぐ、ハンバーグを完食して、夕方来た母親と看護師さんに笑われた。

程なくして、退院した私は月に一度の通院に決まった。家も引っ越して、転校して、外の世界に出ることができた。暫くは、月に一度背中に当てられる神の手を頼りながら、生きている。


この話は、これでおしまいです。

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