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ショート シルバーニャ・ファミリー

私は70歳のお婆さんです。長い教員生活で、お付き合いした人も居ましたが、結局定年まで勤めてしまい。退職後も資格を生かして働いていたのです。親の介護も終わり、父の愛犬だった秋田犬のタロを連れて、将来ドッグランに出来そうな広い敷地の、この家を買いました。家は二階建ての小さな物ですが、一人者にはこれで十分。

ですが、問題はありました。敷地内に建つ古い木造のアパート。見学時にはてっきり廃墟だと思った。不動産会社も、更地にする約束をしてくれた。ところが、私が引っ越しをした段階で、まだそれは建っていたのです。住人が居たのだ。22歳の青年で、名前は村井次郎。彼は、私が引っ越したその夜、電話で、お訪ねしてもよろしいですか?と、丁寧にアポをとってから、やって来たのです。

こちらも、是非お話を伺いたいので、来て頂いたのです。聞けば、彼は引き篭もりで、家族に捨てられたそうで、やっとポスティングのアルバイトを始めたばかりで、引っ越しの費用がない、市役所で、住み込みの仕事を探しているが、それも未だ見つからない、せめて、後2ヶ月住まわせて欲しいと、ガリガリに痩せて、無理に作る笑顔が、力及ばず、逝ってしまった教え子とダブって、痛々しい、

断れる分けがない!思わず聴いたのは、何か食べた?お腹空いてない? です。なにしろ、電気もガスも水道も止まってる。昨日から食べてないと言うから、作りましたよ、カツ丼・肉野菜炒め・豚汁・青野菜の胡麻和え、その他あれこれとネ、ちょっと作り過ぎたのですが、さあ食べましょうと、私とタロも参戦し、ぺろっと平らげました。「俺手伝います」と言うので、一緒に皿洗いをしていたら、突然、腹を押さえて苦しみ出し、トイレに飛んでいった。中々出て来ないので、見に行ったら倒れていて、驚いて救急車を呼んだ。

医者の話は衝撃的なものでした。あと1キロでも体重が減ったら、命に関わるほど痩せていました。全身に古傷があり、骨折さえあるのに、治療の痕跡が無いのだ。倒れた原因は突発性の消化不良でした。体力も落ちているので、ちょっと長めですが、60日の入院治療をお願いしました。痛みが引くと、帰ろうとするので、家族には絶対連絡しない事と、費用はタロの散歩で相殺するので、心配いらないことを告げて、無理矢理納得させた。

ジロウ君が家に来た時、直ぐに気付いたんです。長い期間、虐待されていたことを、いじめもそうですが、子供が日常的に暴力に晒されると、目の前で、人が立ち上がっただけで、無意識に防御姿勢をとります。それが長期間に及ぶと。防御行動は、忍耐行動にそして人格分裂に至るのです。ジロウ君は忍耐行動、つまり首をすくめて目をぎゅっと閉じる。つまり、逃げられないから、じっと我慢して過ぎるのを待つ! これでした。現役の頃、高校生の疾患には、これが一番多かったのです。私が定年まで勤めた原因の大きな部分でした。恐怖の方向を退かしてやれば、救助可能なのです。だって本当は、彼等の方が若くて強いんですから。

不動産屋に寄って、帰宅したのは夜中でした。タロが開けっ放しの玄関で、立派に番犬していてくれました。

不動産屋は朝7時に飛んで来た。アパートを建て直して賃貸のマンションにしたいと言う話で、興奮している。実は今の物件を紹介頂いた時、古いアパートの建て替えを勧められました。目の前の団地内と、後方五百メートルに、2つの鉄道の駅を抱え、不動産としては、とても良い立地! あなたがオーナーでマンションにするなら、是非! 当方に不動産業務を任せて頂いたら、きっと豊かなシニアライフが送れますよ。と言っていたのだから、その通りになって大張り切りだ。まるで用意していたかの様に3階建てのパースを見せて来た。全部了承した上で、マンションの管理を、ジロウ君でをお願いした。

環境が変わり、朝夕タロの散歩をして、マンションの清掃もやり、破損箇所があれば、業者に手配し、ジロウ君はうまくやれている。そして、それが自信に繋がれば良い、夕方、タロを連れて駆け出す後ろ姿が、何だか少し、逞しく見える。

マンション名はコジロウハイツだ。近場の大学の学生で満室である。年若い管理人も人気だ。初め私は山本さんと呼ばれていたが、おばさんとなり、ばとさの間にあが入り、短時間で婆ちゃんとなった。

ある日、団地の子供たちが、汚れた段ボールを抱えて来た。子猫が捨てられていたので、飼って欲しいと言うのだ。見ると、小さいのが5匹もいる。少し動いているが、だいぶ弱っている。獣医さんに行った方がいいと思い、タロがお世話になっている獣医さんに電話した。ジロウ君とタロと一緒にバンで向かった。幸い子猫は助かりそうだ。

その夜からは大変だった。3時間おきのミルク、その他諸々のお世話、翌朝、獣医さんが手配してくれたボランティアの方が到着するまで続いた。実は私は、ソファで気絶していたのだが、ジロウ君は一心不乱に頑張っていた。ぶっ倒れた婆さんを起こさない様に、やっとミルクに吸い付いた子猫に小声で「そうそう、偉いね」排尿できた子猫に、「良かったね」と話しかけ、疲労困憊する私の目の前で、延々と尊い命の救済は続いたのです。

午後になって、ランドセルのまま駆け込んで来た子供達を、お目目がパッチリ開いた子猫が迎えて、ジロウ君は彼らのヒーローになった。子猫と聞いて見に来た大学生たちが、ワイワイとジロウ君の手伝いをして、子供達と大学生と子猫で我が家の一階は大騒ぎ、やがて、みんなが帰って、子猫達も寝てしまうと。「タロの散歩に行って来まーす」と玄関を出たジロウ君が、「婆ちゃん!来て」と呼ぶので、外に出ると、玄関扉に、画用紙4枚にデカデカと『シルバーニャ・ファミリーの家』と書かれていました。イラスト付きです。彼が「剥がしときますね」と言うので「気に入ったわ、このままでいきましょう」と答えた。中々上手い命名である。元気に走り出す1人と1匹を見送って、ボランティアが言っていた3ヶ月後の譲渡会のことを考えた。全部飼うのは大変だよねえ、考えながら寝ている子猫を見ていたら、この世に、こんなに可愛い生き物が居たなんて、長生きして良かった。なんて思うのだ。

おしまい


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