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ショート シロツメクサの花冠

退職金と貯金で、長期旅行を計画していた。私たちには子供が出来なかったしね、でも忙しくて、退職は5年も延びてしまった。それでも女房は、楽しそうに計画を立てていた。いよいよ本格的退職も迫ったある朝、「私、何だか目眩がするのよ、旅行に行けなくなると嫌だから、今日、医者へ行ってくるわ」と言う、普段風邪一つ引かない彼女に珍しいと思い、「大丈夫か?一緒に行こうか?」と言うと笑って、バカねぇ大丈夫よ! ・・・結果的にこれが女房との最後の会話になってしまった。

急な葬式だったのに、まるで引っ越すかの様に、家中が綺麗に片付いていて、死の予感があったのではないかと言う馬鹿どもに、夢の旅行計画の準備中だったと話したら、参列者全員が泣いてくれたよ

暫く姉が面倒を見てくれたが、姉も歳である。近頃では、YouTubeをあれこれ見て、時だけが過ぎていた。そんな中、あるYouTuberが廃村を巡っている番組を見ていた時、気が付いた。アッこれ、俺の村だ。3回も見て、確信した。間違い無い、女房の写真に、俺の村へ行くか?と聞いたら、嬉しそうにするので決めた。一緒に出かけようぜ

後日、馴染みの販売店へ行って、スズキのラパンを一括で購入した。

馴染みの営業マンが心配するので、廃村のことを話し、これが済んだら免許返納のつもりだと告げる。75歳の最後の大冒険なんですよハハハ!と、その気もないのに、恐縮して見せる。色々準備して、1人寝酒を楽しんでいると、忘れていた記憶が徐々に鮮明になる。

俺があの村を出たのは14歳の時だ。ダム湖に沈むという決定には、村人は殆どが反対だった。村長は毎週末説明会を開き、連日どこかで集会が開かれていた。やがて、一世帯、またもう一世帯と補助金をもらって村を離れる家が出て来た。我が家もそうだった。親父から、村にいても、俺は三男坊なので、先が見えている。それより立退料を貰って、街で一旗挙げたいと、子供にも、解る説明をしてもらって、ある日 俺たち家族3人は、そっと村を出た。だから、あれを見る迄は、てっきり村はダムの底だと思っていた。ネットで調べたら、地域を精査した結果、予定地は大幅にズレてしまい、村はそのまま衰退し、廃村となった例は多い様だ。

道の駅で食事・風呂を、夜は車中泊で、女房の写真と話しながら軽い晩酌をする。なんだか楽しくなって、俺の実家への二人旅に思えてくるのだ。たどり着いた故郷の山だが、村へ向かう道は、俗に言う酷道(こくどう)だった。ラパンにしておいて本当に良かった。

村の広場に着き、帽子を被り、女房の写真を額ごと首に下げた。これで村を案内してやろうと言うわけだ。倒壊した友達の家、屋根だけになった俺の家、学校、山上神社。全てが緑に戻ろうとしていた。広場に戻ると、一面に白詰草が咲いていた。まだ覚えているかなぁ、俺は思い出しながら、白詰草の花冠を作ってみた。おお出来るぞ! ついでに花の腕輪も作ってやった。女房は四葉のクローバーを探している。すぐに見つかったよ、昔からここには四葉が沢山あるんだ。気が付くと、山上神社の上に、煌々と明るい満月が出ている。神社の横から上に伸びる道が、高い杉の木立を縫って光って見える。あんな道が有ったのか、行くか? と聞いたら、勿論よ!と言うので、ラパンに乗り込んだ。助手席の女房の頭に、花の冠を被せてやる。この横顔が大好きなんだよ

某年某月夏、若者が3人、ゴープロを翳して、「着いたー、ここでテントを貼って、暗くなってから、廃村巡りをします。」カメラに向かってそう言うと、キャンプを設営した。「イヤー崖崩れですかね? 村の上側と道も崩れちゃってますね、」なんて言いながら、カップラーメンをすする。ソロソロ丁度良い暗さとなり、装備を整え、いざ廃村探訪へ! 1人が足元から先へ懐中電灯を照らす。「あれっ、あんなの有りましたっけ?」どれどれと近寄る。そこには白詰草の花冠があった。「おかしいでしょ! これ全く枯れてない、今作ったみたいだよ」「おい! 撤収しよう、車まで1キロ、ゆっくり行こう」テントを畳んで、足元を照らす光がゆっくり離れていった。

こりゃいかん、YouTuberを怖がらせてしまった。俺と女房は顔を見合わせて笑った。俺たちが今どこにいるかって?

そりゃ、内緒さ

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