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「父親のいない子どもの気持ち」ってなに?

はじめに

 12月中旬ごろ、私は母に聞いた
「『父親のいない子どもの気持ち』ってなに?」

 あるネット記事についたコメントをきっかけに、母にそんなことを聞いてみた。
 ネット記事の内容を簡単に説明すると、とあるVTuberの不倫に関する記事で妻子がいるとのことであった。
そのネット記事についたコメントが
「父親のいない子どもの気持ちを~」というものであった。

私の立場

 いきなりだが、私の家は母子家庭である。
詳しい時期は、よく知らないが私が年長のころに離婚が成立したようだ。
 要するに、私は「父親のいない子ども」というものの一人であるのだ。
もちろん、このnoteのなかで「父親のいない子ども」の代表として発言しようとは全く思ってはいない。読者の方には、そのへんにいるひとりの意見として、ふんわりと受け流してほしいと思う。

父親がいない子どもA(=私)の気持ち

 私の「父親のいない子ども」としての気持ちは全くの「無」である。
なんとも思わない無関心の「無」である。
 父親がいない、片親がいない子どもの一般的なイメージはどのようなものなのだろうか。「悲しみ」や「寂しさ」をイメージするのだろうか。
もちろん、そのような気持ちを抱く子どももいるはずである。
 しかし、私は今までの暮らしのなかでそのような気持ちを抱いたことはなかった。
 学校には行事というものがつきもので、場合によっては親が出席する機会もある。
私が通った学校では、行事で両親が必須であったことはないし、片親がいない、父親がいないことでなにか気持ちを抱くことはなかった。
 私がこう思うのは、クラスのなかに数人ひとり親家庭の子がいたからか、私が幼稚園児のころに離婚しており、父親の記憶があまり残っていないからかはわからないが、本当になんの気持ちも発生していなかった。

おわりに

 文章構成として何を言いたいのか、着地点はどこなのか、という感じではあるのだが、初めての投稿であることを免罪符に広い心で大目に見てほしいと思う。
 私の家の話ではあるが、過去の話を母から聞くとき、父親に良いイメージを抱かないどころか、正直軽蔑してしまう部分がある。
そう思うと、私は「(母親が離婚したいほど苦しいが)両親がいる子ども」よりも「父親のいない子ども」になってよかったと思うし、祖父母や母の兄弟の支えがありながらも女手一つで育ててくれた母には感謝の気持ちでいっぱいである。


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