緑川抹茶

弱虫で何にもない高校生 お薬にしている『言葉』を書いていきます。 言葉にしていく練習の…

緑川抹茶

弱虫で何にもない高校生 お薬にしている『言葉』を書いていきます。 言葉にしていく練習の様なものです。

最近の記事

言葉に意味はない

言葉としての無気力と、人間が陥る感情、状態としての無気力はニュアンスが全然違う。 だから感情を言葉にするというのは、無理があって不可能な気がしてしまう。 気持ちを言葉には出来ない。 でも今はとても苦しくて叫びたい。 怒鳴りたい。 喉が枯れて痛んでもいい。 ただ苦しいんだ。

    • 言わなくていいこと

      昨日、授業中にスマホが鳴った。 ボクの物からだった。 先生はそれほど怒らず、 ちゃんとマナーモードとかにしとけよー。 と全体へ軽く注意をした。 ボクは授業が終わったら謝りに行こうと思った。 とてつもなく恥ずかしかったから、そう思った。    絶対に隣の席の人には気づかれた  なんで朝、設定を変えなかったんだろう グルグルと思考が巡って 恥ずかしさが気持ちを満たした。 どうにか気持ち悪いその感覚を 拭い去りたくなった。 だから授業後、職員室へ謝りに行った。 先生は授業中の反応と

      • 普通じゃない

        たぶんずっと普通じゃないんだと思う 幼稚園児の頃から子どもらしくなくて 気が利く子だって言われて 小学生の頃は親の機嫌とか都合を窺って 友達と放課後、遊びに行きたいのに 伝えられなくて、そのくせ 宿題とか勉強は嫌いでやらなくて 何度怒られても 自分でもやらなきゃって思っても やらなくて、出来なくて そんなアンバランスな人格で生きてきて 今になって自分の表と裏、AとB、白と黒みたいな 二面性に悩んで、困惑してる。 でも普通じゃなくていいと思う。 でも普通になりたいって思う。

        • たられば

          自分でもわかんない心の中を カメラで撮れたらいいのに。 好き嫌いだけじゃ この先の時間は決められなくて それなのに向き不向きを分別出来るほどの 客観性はもっていない。 明日さえ迷っている。 なりゆきに任せられるような度胸でもあれば その度胸を覚悟に出来るのに。

        言葉に意味はない

          なんでボクらが悪いみたいに言うの それはあなたの勝手でしょ ボクは疾うにあなたに何も期待してない 求めてない 毒まみれの態度で僕らの家に来ないで

          なんでボクらが悪いみたいに言うの それはあなたの勝手でしょ ボクは疾うにあなたに何も期待してない 求めてない 毒まみれの態度で僕らの家に来ないで

          この地球上に平和って実現するのかな。 ただ理不尽に望まない死を受ける人が 今後増えていかないことだけを願う。 出来るなら争うことの無益さに気付くことも。

          この地球上に平和って実現するのかな。 ただ理不尽に望まない死を受ける人が 今後増えていかないことだけを願う。 出来るなら争うことの無益さに気付くことも。

          過呼吸じみた感情

          ボクの感情や心という器は異常なのか? ボクのような情緒的気質をもった人は 他になかった。 それ故に不審に、白い目で見られてきた。 誰も感情を外に出さなかった。 悲しい気持ちも、悔しい気持ち、怒りも。 それでも喜び合うことは強要された。 ボクの感情は遥か太古のヒト、其れすなわち 獣のように、 器に収まらないほど巨大なのだろうか? はたまた、 正常な感情さえも、取り零してしまうほど 小さな器なのだろうか?

          過呼吸じみた感情

          七夕の願いことなんて、たいしてないけど叶えてくれるなら早く死にたい。

          七夕の願いことなんて、たいしてないけど叶えてくれるなら早く死にたい。

          無法者

          人は見掛けによらないよ。 他人より出来るところだけを見ないで。 他人より出来ないところが その人の本来の性質でしょ? あたりまえを手にするために、 時間と心を削って、本当の気持ちを偽って、 でも、あたりまえにしかすぎないの。 その評価が正しいもの、 一般的な意見であることは分かっているつもり。 けど、 どうしてもずっと受け入れ難いと感じる気持ちを 偽れない。 小学校に入学したての時に抱いてしまった、 社会のなかに存在するための暗黙の条件のような 違和感を今でも拭えない。 今も

          死生の哲学

          生きることは自ら死を選ぶことと同じだ。 どれだけ懸命に生きても どれだけ人望や財産を得ても それは時々刻々と死へ近づいて行くだけ。 生き物はもとより死を持って生まれてくる。 しかし人間だけは死を否定し抗おうとする、 それは“生きている”様にみえて 生きていないからだ。かといって、 死んでいる訳でもない ただ生きているフリをしているだけ。 生きるフリをするだけなら簡単で楽だと思うが それは死を受容しないままでいることでもある。 生き物は必ず死ぬんだ。 たとえ、それが紅海月

          死生の哲学

          さみしいは冷たい

          独りでいるほど 鼓動が鳴り響くような静寂さを感じる 飛行機は轟音を立てて空を飛び 僕の後ろから くつおとが耳を刺す 知りたくないことが 輪郭を見せ 光のない表情を生む 我に返れば 冷たい自分の視線とぶつかる その姿に 会いたくなかった 気付きたくなかった 嫌気がしていたのは 孤独じゃなくて 羨ましいと嘆くのに 心の底では嫌ってること 誰にも見せられない自分を棚に上げていること 狭い檻に独りなんかじゃない 狭い心のなかに独りぼっちだった

          さみしいは冷たい

          『新年』が嫌いかもしれない

          初めまして、ボクは緑川抹茶と申します。 特技や秀でたことを何ももっていない高校生です。 新年はいつも何処か慌ただしく進み、それを楽しむのが正月というものなのかもしれませんが、それによって同様にいつもボクは焦りや生きているという不安を感じてしまいます。その希死念慮的な感覚を抑えようと、自らに刃を向けてしまうことも過去ありました。現在はそこまでの弱さはなくなりましたが、人間の感情がなくなることのないように、その気持ちは心に生じるのです。それでも、刃がボクへ向かなくなったのは言葉

          『新年』が嫌いかもしれない