ドロヘドロについて

わたしがドロヘドロにもっている印象は
アメリカの笑い声が入るドラマを見ているような
もしくは、大きなドールハウスで人形遊びをしているような感覚である。
これだけだと読みたいと興味を持つ人はいないかもしれないが……

もうかれこれ20年ぐらい前になるのか、3巻目が出たくらいだっただろうか、当時は書店で紙媒体の漫画を口コミもなしに何となくで読んだことないものを買っていた。
手に取ったドロヘドロを表紙買いし、すぐに掲載誌を買って追いかけたのを覚えている。
単行本は普通の物より大きく表紙はエンボス加工され特別感もあり、おまけの漫画もついていて出会えたことがとても嬉しかった。掲載誌廃刊を挟みつつも完結まで追いかけた好きな漫画の一つである。

それが低めの評価をされていたのを見て残念に感じた時にふと思い浮かんだことをつづる。好みの問題もあるので評価を変えることが目的ではなく、感じたことを書くだけである。

なのでストーリーやキャラの魅力だとかを説明はしない。

だから、もっと漫画そのものについて感じたことを書く。漫画はだれでも何冊も読んだことがあると思う、何作もというべきか。
いろんなジャンルの漫画がある。学園もの、バトルもの、恋愛もの、歴史もの、たくさんある。言うまでもなく誰もが認識しているものだと思う。

今回書きたいことは、漫画のタイプである。
コマ割りであったり演出の仕方、ストーリー構成だったり描写の仕方で受ける印象が変わってくるように思う。漫画らしい漫画はそれでいいのだが、ここでは少し違うように感じたものを例に挙げてみようと思う。

一つ目はオノナツメのリストランテ・パラディーゾ。
ドロヘドロと同じ掲載誌に作者がさらい屋五葉という漫画を掲載していたので興味を持って買った漫画である。オノナツメのこの漫画は間というのか空気感がテレビドラマや映画のように感じた。
話自体も、田舎の祖父母のもとに置き去りにされた娘が大きくなり、母のいる都会に出てきてリストランテの老紳士たちと交流しながら成長していく話なのでおしゃれでハートフルな映画やドラマのようではあるのだが、漫画の造り自体もそう感じるのである。
さらい屋五葉もアニメ化されたけど漫画ほど面白く感じなかった。スピンオフのふたがしらが実写化されたらしいが見てないので何とも言えないが、リストランテ・パラディーゾは特にアニメよりドラマの方が合いそうという感覚があった。
リストランテ・パラディーゾはスピンオフも含めて好きな漫画であるが、アニメは物足りないと感じた作品でもある。

二つ目はすぎむらしんいちのサムライダー(新しい方)
アメリカの州の一つになった日本で、ある地方の町にバイクに乗ったサムライダーが現れ不良殺しまくる事件が起きる、そして過去にサムライダーと因縁がある主人公が故郷であるその町に戻ってストーリーが展開していく漫画。
ストーリー展開自体もそうなんだけど、シチュエーションであったり演出の仕方がアクション映画の様な疾走感で展開されて行って最後まで読み終えた時に、あー面白かったとアクション映画を最後まで見た時に似た様な感覚があったのを覚えている。

あと特殊な漫画と言えばボーボボーくらいだろうか
漫画自体は漫画ではあるんだけど、そこまで意味はないが心地よい情報のシャワーやリズム感はyoutuberが流行りだした頃のテンプレ的つくりの動画が近いのではないかと思う。
特に意味のないことをしている動画を何故か見てしまうのに似ている。大して自分の役にも立たない内容の動画なのに音楽や適度な間隔で効果音に大きな声、文字やエフェクトに映像の動きに気を取られてしまうような。
ボーボボーは誰にもまねできない漫画だし好きである。
ちょっと無理矢理に類似点を挙げてしまったかもしれない。


では、ドロヘドロについて話を戻す。

漫画はストーリーやその展開の仕方、コマ割り、コマに書かれるものによって受ける印象が変わる。漫画らしい漫画もあれば、絵本みたいな漫画、漫画と言ってるイラスト、テレビドラマみたいな漫画、アクション映画みたいな漫画さまざまである。

最初に書いた通り
わたしがドロヘドロにもっている印象は
アメリカの笑い声が入るようなドラマを見ているような
もしくは、大きなドールハウスで人形遊びをしているような感覚である。

そう感じる理由としては、比較的キャラクターの全身が入っているコマが多いように感じたり、キャラクターがよく動いている。
全身が映るコマや俯瞰、複数のキャラが入ってるコマが多いのもあって単行本も大きかったのだろうか?もしくは大きいことがいいことに作用していたのではと今思った。

こういう漫画は場面場面を楽しむことが必要であると思う。私は雑誌掲載を追いかけていたのもあって、単行本も含めて何度も読み返した。絵の情報が多いので読み返す度に発見があったりして楽しめた。
先程書いたように、全身が映るコマや複数のキャラが入っているコマが多いので人によってはごちゃごちゃしていると感じるかもしれませんが、そのコマの中にしっかりそれぞれのキャラが何をしているか書かれているので読むたびにそれぞれのキャラの造詣が深まっていきます。

キャラの顔や胸から上ばかりのコマが多い漫画はセリフやストーリーが面白くなければ一回読んで終わりになってしまう。

ドロヘドロに関して言えば読み返して目に入ってなかった絵を見たりしてキャラクターの理解を深める必要があるのかもしれません。

漫画によってはセリフといった文字だけでなくコマ内に描かれてる絵の情報を拾う量も大切なのかもしれない。

作品によってはキャラを好きになることが必要かもしれない。愛着が必要なのかもしれない。愛着はすごく大切なこと。

ドロヘドロは電子書籍ではなく紙媒体で読むべきである。他の単行本にはない特別感があり大切に思うからである。

話は戻る。
大きなドールハウスで人形遊びと表現したのは、
ドロヘドロを思い出した時に両手にもった人形で楽しく遊んでいるような感覚が思い浮かんだのだ。
私にとっては好きな人形たちが手元で踊っているような、そんな大切な漫画だったのかなと思う。

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