見出し画像

わたしが福祉の世界から芸能の世界に大学3年生で飛び込んだワケ。

なんやこのポーズ。

はじめまして!これが初note投稿になるわけですが、清島理愛(きよしま りあ)です。2000年生まれの大学4年生です。就活しないタイプの。(笑)
特技は寿司の早握りと、物まね芸人コロッケさんの顔真似です。

わたしの人柄とかはぜひTwitterや配信などほかの媒体で観察してください!よく言われるのは「声がでかすぎる」です。序論は短めで。次!!


こんな感じの学生です


医療福祉系の大学で、社会福祉を学んでいます。
よく考えるのは性的マイノリティについてのいろいろです。特に恋愛かな。これもいつか話せたらいいなあ。
入学当初から障害がある人の介助ボランティアをしています。知的、身体障害者と良く関わっています。実は今はその夜勤中。(笑)
ちなみに、私は障”害”者表記が自分には合っていると考えています。障害分野のこともいつか書こう。

そして、就活を考え始めた大学3年生、去年の12月から芸能の養成事務所に所属し、お芝居を学んだり、舞台に出たりしています。今は舞台が楽しくて、たくさん出演して、経験を積んでいきたいなと考えています。将来的には、といってももう22歳なのですが(笑)、いろいろなお芝居に挑戦しながらも自分の意見を述べたり、場を盛り上げたりするタレント業なんかもできたらなあと考えています。ラジオとかもいいよね。遅すぎるスタートですが、今はお金を払って経験値を積んでいるところです。

え、なんで!?

そのまま福祉系に就職しないの?

という声が聞こえますね。ぶっちゃけ自分からも。

なんでそんなことになったのか、皆さんに知ってもらいたいな、思いとかも伝えたいし、よかったら読んでください。

人助けが好きだと思っていた

 人を助けたりするとすごく嬉しい気持ちになりますよね。だから、大抵の人は人を助けることが好きだと思います。わたしもすごく好きで、家事を手伝ったり、道を教えたりするとその日1日は幸せになるものです。
高校3年生のわたしは、その感情から『人助けが好き』『人のためになる人生を送りたい』と思い込んで、

『人助けが好き』=福祉の仕事が好き

だと考えて、福祉の大学を受験したわけです。
初めの頃こそ、その考えにズレはないと感じていました。大学2年前期までは…。

自己犠牲をやめてから気づいたこと

私は、子どものころから自己犠牲の念が強かったように思います。本当は少し嫌なことも、親に頼まれたことはなんでもやって、そのおかげでなんでも私ばかり頼まれるようになりました。時間がなくてできなかった日は、学校にいながら「どうしよう、できなかった」と自分を責めました。まさに自己犠牲です。それと、肌荒れが酷くなるにつれて自己肯定感がとても低くなってしまい、目を見て話せなかったり、可愛い子と並んでるのを見られたくなくて顔を伏せたりしてました。まあまあ可愛いのにねっ(笑)
だから、本当は嫌なことも、遂行することで安心感を覚えていました。多分あれは、親の役に立つことで、『自分の存在意義』を確かめたかったんだと思います。そこで自己を肯定してあげたかったのかなと。
大学に入って、友達のいなかった私にとても良い出会いがあって、自己犠牲から『自分を大切にしてあげよう』『自分のために生きよう』と自分の意識が変わりました。授業に遅刻して、自分を責めてボロ泣きで大学のトイレから出られなくて結局出席しなかったわたしが、「行こうとしてるだけ偉いな、誰も見てねえから行くか」になりました。自分の楽しいことにお金を使って、すきなことも見つかりました。それが大学2年生頃の話です。

そこでわたしは気づいてしまったのです。
人助けが好きなわけじゃない。人の役に立って自分の存在を認めようとしてるだけだと…。
わたしが進むべき道は福祉の道だ!という気持ちがブレまくりました。授業のモチベもなく、就職先も考えられません。笑
(ゼミの先生見てたらすみませんwwww)
私に助けを求める人がいなくなったら?
私は存在を認められなくて自殺してしまうのではないでしょうか。
人生は他人との関わりではありますが、他人がいなければ自己を肯定できない人生なんて寂しいな、と思うようになりました。

それと、福祉というのは、問題解決型です。一概には言えないかもしれませんが…。
例えば、生活が困窮してから生活保護を受給します。児童虐待が起きたら介入します。何なら解決出来ずに子どもが犠牲になることもありますよね。そのようなことを体感して、問題解決ではなく、予防の観点が必要なのではないか?と福祉に批判の目を向けるようになりました。わたしはそうではなくて、人が落ち込んでしまう前のストッパーとして生きたいと感じました。自分のことを大切にして、好きなことをしながら。
それで、どういう仕事をしたらそのように生きられるのだろう、と考えた結果、エンターテインメントの世界でした。わたしは、K-POPが好きなのですが、彼らを見てると、落ち込んでいてもいつの間にか元気になっています。普通のファンは、「可愛い、かっこいい」でおわるところを、わたしは尊敬の感情が生まれました。
尊敬するということは、「こういう人として生きたい」と思っているということなんだろうな、と思いました。ダンスできないしめちゃくちゃ可愛い訳では無いから、アイドルは無理だ!と思って、(笑)昔から感情表現がすきで、お芝居も経験してみたいと思っていたので、マジで本気で演技未経験の私が、思い立って3日くらいで養成事務所のオーディションを受けました。あと単純に、自分の魅力を活かしたかったです。わたしは笑顔が魅力ですから。まずはやってみるか、の精神で。早ければ早い方がいいからね。

今は携帯の画面等でエンターテインメントの世界を気軽に楽しむことができます。その経験が、ひとりの人を元気付けて、落ち込んでしまうことを防ぐ可能性を感じています。
舞台だったら、観に行くまでのモチベーションになります。観劇自体もパワーを与えますが、当日までの期間もパワーを与えることができます。そんなお仕事は絶対に素敵です!実際に観劇すると、みなさん楽しそうに演じていて、それ自体がパワーを与えてくれます。『ため生き』がまさにそうでした🤍

だから、人のために生きたい、という気持ちがない訳では無いです。だれかのモチベーションになったりして、人生が辛くなることを'予防'する一員になりたいという感じ…?それを自分が楽しみながら成し遂げたいのです。自己犠牲ではなく。

これらの気づきと『ため生き』を踏まえて言うと、結局だれかのために生きるということは自分のためだったりします。わたしだったら存在意義の確認。題材になっていたボランティアだって、言い方は悪いですがストレートに言うと、本人たちがやりたいから勝手にやっているのです。いいことをしている!という気持ちを得るためだとわたしは思っています。それが対象者も全面同意しているなら話は別ですが、対象者にしっかり同意を得てから行っているボランティア団体って、どれくらいいるのでしょう。だれかのために勝手に始めることは、そのだれか(対象者)とも合意形成しないといけないなあ、と、これはこの前の実習での気づき笑

『ため生き』の観劇の感想とすこし織り交ぜて話してしまいましたが、未経験のわたしが芸能活動をしている理由を論理的にお話してみました。いかがでしょうか。意外と頭いいんだなと思ってください笑
楽しくなければすぐやめようと思っていたのですが、今のところすごく楽しいし、世界が変わりました。舞台も沢山出たいし、たくさんの人と会って、お喋りしたいです。舞台に出て、世の中暖かい人はたくさんいるということにも気づきました。やっぱりなにかをがんばっている人ってとてもかっこいいのです❕❕

いろんな人の毎日をすこし底上げする要因のひとつになれるように、だれかのモチベーションになれるように、これからも笑顔で楽しく
清島理愛として生きていきたいので、これからも仲良くしてください❕

めちゃくちゃ長いのにここまで読んでくれてありがとう╰(*´︶`*)╯(3000文字あるw)
みなさんいつもこんなわたしを見守って下さりありがとうございます!
これからも仲良くしてください🤝

清島 理愛 きよしま りあ










この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?