千載一遇のチャンス
先月、「初対面がお葬式」という記事を書きました。
読んでくださった方からコメントをいただきました。
「亡くなった方が引き合わせてくれたのかも」
そのように考えたことがなかったので、新しい視点だと思うと同時に、お葬式という場にもかかわらずわたしを受け入れてくれた夫の親戚一同に改めて感謝の気持ちが湧きました。
いただいたコメントで自分になかった発想を知るのは興味深いです。
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今日は「千載一遇のチャンス」という言葉にまつわる話です。
「千載一遇」という言葉は、辞書ではこのように説明されています。
わたしの父方の祖父が亡くなった時の話です。
わたしの父は祖父の作った会社で働いていました。後から叔父たちも加わり、いわゆる同族会社を経営していました。
明治生まれの祖父は絵に描いたような頑固で亭主関白でワンマンな人でしたが、孫のわたしには優しかったです。
お酒に強く社長机の足元に日本酒の一升瓶を置いて飲みながら仕事をし、「100まで生きる」が口癖だった祖父はある時突然倒れ、3年ほどの闘病の後、亡くなりました。
父と叔父たちと祖母で、葬儀と会社の今後の話し合いが行われました。
葬儀は、取引先が多かったので社葬をすることになりました。
会社の方は、当時常務だった父が継ぐことになりました。それ自体は問題なく、満場一致で話し合いがつきました。
問題は、遺産でした。
ちなみに相続遺産を分けることを「遺産分割」と言います。
こちらの記事がとてもわかりやすかったです。
実を言うと、祖母は後妻でした。
父と叔父たちの実母はすでに亡くなっていました。
一番下のおじは後妻の息子でした。
父はどうしても後妻の祖母のことを好きにはなれなかったようですが、孫のわたしをとてもよく可愛がってくれたので、わたしにとっては好きな祖母でしたし、母や叔母たちとの嫁姑関係も良好だったと思います。
後妻だから先妻の息子たちの嫁に強い態度で接することがなかっただけのことかもしれませんが。
実際、母は「生みの親のお母さんが生きていたら、嫁としては大変だったと思う。厳しい人だったそうだから」と言っていました。
でも本当に祖父が死ぬまでは、後妻の祖母とは仲良くやっていたんです。
さて祖父が亡くなったとなると、祖父の個人の資産と、会社の資産、それぞれをちゃんと整理なければなりません。
そこそこ成功していた会社なので、祖父は遺言書を書いて金庫にしまってあったはずなのですが、見当たらない、と祖母が言いました。
そんなはずはない、と父たちは言いました。
父たちとしては、”苦労して作った会社のことを記した遺言書がないはずがない。会社には従業員もたくさんいる。闘病中に祖父が会社の今後のことを考えなかったはずがない” と主張。
一方、祖母は”遺言書なんて、知らない、見てない”の一点張り。
それぞれの意見が真っ向から対立し、話し合いは平行線。
遺言書がなければ、当然のことながら、法律に則って遺産が分割されます。
実は父たちは、祖父が書いた遺言書があると聞いていたので、祖母がそれを隠しているか嘘をついているのでは?と疑い始めました。
なぜなら会社の経理を担当していた祖母は金庫を開けることができたからです。
それを問い詰めたとき、祖母は言いました、
「こんな千載一遇のチャンスに、あたしが嘘なんかつくわけない」
え?「千載一遇のチャンス」?
それって人が死んだ時に使う言葉じゃないよね?
父たちが問いただすと、祖母は、
「遺言書があったのは知っているが中身は見たことはない」
「(祖父が)死んだ後に金庫を開けたが遺言書はなかった」
「(祖母は)遺言書は持ち出していない」
「自分は後妻として苦労したのだから多めに遺産をもらいたい」
「祖父が死んだら遺産をたくさんもらって出ていくつもりだった」
というようなことを言いました。
父たちは納得しませんでした。
遺言書の内容を勝手に見て、祖母に有利なことが書かれていなかったので憤慨して勝手に処分したのではないか、というのが父たちの予想でした。
最後まで遺言書は出てこなかったので、祖父が本当はどうしたかったのかはわからないままでした。
あとで母が言ってましたが、祖母は人が変わったようにお金に執着した発言ばかりしていたそうです。
会社の顧問も務めていた税理士さんに間に入ってもらい、法律に則って遺産分割をする方向で話を進めることになりました。
父たちが戸籍謄本など必要な書類を準備していたところ、驚くことが判明しました。
一番年下の叔父(末の弟)は長男だったのです。
弟なのに長男。
何を言っているのかわからないと思うが、
わたしも最初に聞いた時はわからんかった。
後妻の祖母は、自分が産んだ子を”長男”として届けを出していたんです。
だから、祖父には長男が二人いることになってました。
そんなことがどうして通ったのかよくわかりません。
「長男が二人」案件についてはどうなったかはわたしは聞いていません。
いずれにしても、父たちと祖母の関係はすっかり冷め切ってしまいました。
わたしはというと、当時まだ中学生くらいだったのであまりピンときていませんでしたが、祖母が子供のわたしに見せていた顔と父たちに見せた顔はずいぶんと違ってたんだなと思うしかなかったですね。
そんな祖母は、数年前に亡くなりましたが、施設に入っておりコロナ禍だったので、満足なお葬式をあげられなかったそうです。
祖母のことは嫌いにはならなかったし、今もわたしにとってはいいおばあちゃんだったけど、祖母の人生、なんだか残念な人生だったなと少々複雑な気持ちです。
祖父に関しては、一人で田舎から出て一人で商売を立ち上げ一人で会社を築いたという自負だけでがむしゃらに生きていたんだと思います。
自分の会社について、信頼できる人と相談しながら遺言書を作り、その人に預ける、という発想はなかったんだと思います。
もし第三者を交えてちゃんと準備していれば、こんな騒動にはならなかったのではないかと思います。
頑固なのも考えものです。
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人が死ぬということは、本人や周りの人の思わぬ一面、人生、人となりや考え方がいろいろ浮き彫りになる出来事なんだなぁと思います。
昨今は「終活」という「人生を終える準備をする」という考え方があります。自分のためだけではなく、残される家族のための積極的な準備でもあります。まだ先だけど、頭の隅っこに置いておこうと思いました。
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だいぶ前のことで断片的にしか覚えていないこともあり、また法律の細かいところは当時の記憶なので曖昧です。
おかしな点があるかもしれませんが、どうかご容赦を。