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定年退職後に届いた懇親会の案内に何を思う?

昼前に郵便受けを確認すると、昨年定年退職した会社からの封筒が入っていた。

「いったい今頃何なのだろう。」
「まさか手違いで多く支払った退職金を返納しろ、なんて連絡じゃないよな。」
「いやいや、そこまでいい加減な会社じゃないし、すでに1年たっているし。」

などなど、つまらん妄想をしながら封筒を開けてみると、退職した一定以上の役職者を対象にした懇親会の案内だった。いわゆるOB会の案内である。初めてそんなものがあることを知った。

OB会への加入の意思確認も含まれていたので、迷うことなく「加入しない」に丸をつけて、懇親会も「不参加」で返信封筒に入れて、当日のうちに投函しておいた。

何も書かずに結論だけを即刻返信すると、「何か失礼なことでもしたのだろうか」と事務局に思わせても申し訳いないので、近況連絡欄に次のように補足しておいた。

「在籍中は大変お世話になりました。おかげさまで元気に過ごしています。過去には区切りをつけることにしていますので、会への加入と懇親会の参加は辞退させてもらいます。御社の今後の益々のご繁栄を祈念しております。」

一種私の信念のようなものなのだが、上述の通り過去には一線を引くことにしている。

人生を一本の物語として捉えて、第一章が終われば、その続きで第二章が始まると言う風に考えるか、あるいは人生はいくつかの物語の集まりだと考えるかの違いだ。

過去に大学の同窓会への加入で事務局の女性と言い争ったことがある。

毎年、出身大学から同窓会報と会費の振込用紙が送られてきた。金額はそれほど多いものではないが、はなから同窓会に加入する気はなかった。

「同窓会に加入したつもりはないので、今後は会報も振込用紙も送ってこないでください」

と事務局に電話を入れると、事務局曰く、

「卒業生は全員が自動的に加入することになっています」

とのこと。

「そんなことに同意したことはない。送ってくるのは勝手だが、会費は払わないのでそのつもりでいてください。」

と告げた。

すると捨て台詞のように彼女が言った。

「わかりました。その代わりあなたに送られる会報の制作費は他の会員の会費で賄われていることを忘れないでください。」

そして、一方的に電話は切られた。
なんという意味のわからない理屈だ。呆れかえってしまった。

すでに卒業したり、退職した者にはその後の人生がある。中には過去からの延長線上の人生を歩んでいる者もいるだろうが、多くは過去とは関係なく、新たな人生を生きている。

そんな状況の中で、過去の仲間と過去の思い出に浸ったり、あるいは近況を披露し合うことに、どうも私は意義を感じないのである。あくまでも個人的な価値観なのだが。

人は過去に縛られていては、未来に歩み出すことはできない。また、現在の状況を人と比べる必要は何もない。

過去は過去、人は人、それらは一旦横に置いておいて、新たな未来に向かって、自分の「今」を精一杯生きていくべきではないだろうか。

ちょっと大袈裟な話になってしまったが、一通の懇親会の案内状に思ったことである。多分に個人的な偏見があることはお許し願いたい。

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