まるでたくさんの友人がそこにいるような、noteの中でのつながり
定年退職後の日々
昨年の3月末に定年退職してからほぼ1年と2ヶ月が過ぎた。
そして、その間の生活状況を改めて考えてみた。
それは(あえてややこしく、かつカッコつけて)称するならば、「物理的外部社会からの孤立」状態といえるのではないだろうか。
朝起きてから夜寝るまで外に出ないというわけではないので、いわゆる「引きこもり」には該当しない。。ナビの散歩にも行くし、買い物にも行く。たまには気分転換に遠方の商業施設にも出かける。
また人とのコミュニケーションがないかというと、一日中モーニャン(妻)と(人ではないが)ナビとはコミュニケーションをとっている。
したがって、外の社会を構成する人々とのフェース・ツー・フェースによるコミュニケーションが絶たれている状態、つまり「物理的外部社会からの孤立」状態だと言ってみた。
定年退職前の日々
会社に勤務していた頃は良いも悪いも、また望むと望まざるに関わらず、周囲とコミュニケーションをとっていた。
しかしそれが満足するものだったかというと、そうではなかった。むしろそれらは大いなるストレスの原因となり得るものだった。
そして定年退職によって、そのような会社での不満なコミュニケーションから解放され、「物理的外部社会からの孤立」状態になれたわけだから、よかったじゃないかというものなのだが、(佐伯啓思的に言うと)問題はそんなに簡単ではない。
今まで嫌と言うほどのコミュニケーションの渦の中にいた者が、その状況から解放されると精神的な平穏は得られるものの、それとは別に本能的に不安になる・・・はずなのだ。
noteとの出会い
ところが今、その「物理的」な外部社会からの孤立状態の中にいながら、「精神的」には外部社会からの孤立を感じないのである。
多くの友人がすぐそばにいるかのような感覚なのだ。
それは、ひとえにnoteのおかげである。
書評、旅行、料理、車中泊、犬、ガジェット、そして日々の出来事などなど、盛りだくさんの記事とクリエーターさんがそこにいるのである。いつものお馴染みの方々や初めてお目にかかる方などクリエーターさんもさまざまだ。
それらの方々のことを(勝手に)想像して、印象を頭の中で画像にして(これまた勝手に)あたかも友人のような気持ちになっている。
モーニャン(妻)との会話の中でもクリエーターさんの名前が頻繁に出てくる。夫婦間でのコミュニケーションを活性化するためのネタにもなっている。
noteとのこれからの日々
noteのアカウントを取得して、4ヶ月になるが、他のクリエーターさんが評している通り、ここは至極居心地の良い空間である。
noteを初めて1ヶ月たった時に感想を投稿しているが、その時の気持ちは今も変わらない。そしてさらに新たにそこに加わったのが、ここで言う精神的コミュニケーション・エリアとしての広がりである。
noteは単なるコミュニケーション・ツールではなくそこから収益を得ることもできることから、noteに求めるものは人それぞれだろう。
しかし私にとっては、「たくさんの友人とつながることができる居心地の良いコミュニケーション・エリア」であり、それ以上でもそれ以下でもないと言うのが現時点でのnoteである。
そしてつながり続けるために、発信する。発信するために周囲のできごとやそこにあるものに敏感になる。そして行動する。本末転倒かもしれないが、それでもいいじゃないか。
日々を漫然と過ごすことほど、人生の無駄遣いはない。日々何かに刺激をもらいながら過ごす。noteはそのきっかけとしては十分なツールではないだろうか!
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