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何かが欲しいなら、与えてみればいいんじゃない?

自分のマイモットーのお話ですな。

もし欲しいものがあったとして


 ニンゲンなる生き物は、凄まじく欲にまみれている。いいとか悪いとかそんなんじゃーないで。
 生まれ持ってるものに文句ぶうたれてどうするのさ。

 で、欲しいものを手っ取り早く手に入れられる魔法の呪文があるんよ。

自分は笑ってたか?自分は挨拶してたか?

 自分はね、小中高の全部で人間付き合いを拗らせてた。
 でさ、高校生になった時、

「人と関わるのがこんなに苦しいんなら、関わらなければいいんや!」
 こーいう発想に至ってしまってさ。

 授業中だけでなく、休み時間も一人で過ごすようになったんよ。話しかけてくるやつもおったけど、威嚇して追い払ってたね。
 
 見事なボッチの完成である。

 そうやって、自分でボッチの道を選んだくせに思うわけよ。

「自分に話しかけて欲しい。仲良くなって欲しい」

 まー矛盾してるよな。

 ・・・きっかけになった本の名前は覚えてない。でも、本を読んでてさ。
 フッと唐突に悟ったんよ。

(自分は今まで何をしてたんやろ?)

 ってさ。

(何かを欲しがってばかりで、何も周りにあげてなかった。挨拶もしない、笑いもしない。そんな人間に、誰が近寄りたいんやろ?)

 そうして、自分は最強の願いを叶える呪文を手に入れたってわけ。

欲しいのなら、何かを与えよう

 例えば、漫画の単行本が欲しいなら。
 書店に行って買いに行く、あるいは、ネットで注文してみる。

 例えば、漫画家になりたいなら。
 漫画家になるために必要なことを考える、それを実行する、漫画家のインタビューとか見て学ぶ、とか。

 例えば、友達に楽しくすごして欲しいなら。
 友達が楽しくすごせるように工夫してみる、とか。

 例えば、世界が平和になって欲しいなら。
 まず、平和とは何なのか突き詰めて考えてみる。自分の周りの人たちを大切にする、とか。

 欲しいものがあるんなら、与えればいいんじゃないか

 あまりにささやかかもしれんけど、これこそが願いを叶える最強の呪文やないかな?

 与えるものは、形ある物質だとは限らん。与える相手は自分かもしれんし、そうじゃないんかも。

 でも、「くれやくれやぁ!」って縋ってるよりもずっと、願いを叶えてくれそうじゃないかな?
 もし、本当に神様がいたとしてよ。

「神様!俺、野球選手になりたいんです!!」

 って、神社で熱心に祈るだけなのか。必死こいて人生の全部を野球に費やした人間が、同じことを祈ってたとしてさ。

 自分は、後者の人間を応援したいね。
 
 


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