「喋っちゃう人見知り」の生きづらさ


私は、自称人見知りです。

なぜ「自称」なのかというと、周りの人からは「人見知りに見えない!」と言われることの方が圧倒的に多いからです。

けれど個人的には
「私人見知りなんです」と初対面の人に公表したり、「あ、この人人見知りなんだ」と周りに察させることすらできない私のような人のことを「真の人見知り」だと勝手に思っています。

そして、私にとって「真の人見知り」は隠れコンプレックスというか、変えられないと分かりつつもできるならば変えたいと思っている要素のひとつでもあります。

そこで、私なりに「人見知り」を解析してみました。

そもそも人見知りには2種類ある

まず、人見知りには2種類あるのではないかと思っています。

一つは
・緊張して喋れない人見知り、
もう一つは
・緊張して喋っちゃう人見知り
です。

私は圧倒的に後者タイプの人見知りで、これこそが私が「人見知りではない」と周りから言われる最大の理由だと思っています。

新しい人と出会った時、「何か喋らなきゃ」「困っていると思わせないようにしなきゃ」と思って、
楽しそうな自分」を演じてしまうのです。

つまりは、
「人見知りしている」というありのままの自分さえ出せないのです。

「この人人見知りしてるな」と気づかれると、周りが「この子を楽しませなきゃ」と周りが自分に意識を向けてくれるのが申し訳なくて、「程よく楽しんでる自分」を演じてしまう。

そのくせ、そんな当たり障りない自分を演じているからゆえ、人に対して印象や爪痕を残せずに、なんだかちょっぴり落ち込むという、面倒臭いプライドを持ち合わせるしょーもない自分もいます。

1対1が苦手

私が憧れるのは、
[集団でいると人見知りしてあまり喋らないけど、2人でしゃべると面白い人]
です。

私は真逆。
[集団でいると賑やかで楽しいけど、いざ二人になると何話していいかわからない人]
なのです。

集団だと何言っても周りが拾ってくれたり、話さなくても周りが楽しんでいるからいいのですが、
いざ、
「あ、君も中央線下り?私もだから途中まで一緒だね〜!」
と二人きりになったときのプレッシャーたるや!

その人が好きとか嫌いとかではなく、

私が一人でこの人を楽しませなきゃいけないのか!

と、突如要らぬ責任感が襲ってきてしまいます。

そしてどうにか楽しくこの時間を過ごさなきゃ、と当たり障りない話を振ってその場をやり過ごし、解散してから自分のトーク力の無さに軽い反省会を繰り返す日々、、、。

そもそもお前如きが人を楽しませようなどと思い上がるな!肩の力を抜け!と客観的には思うのですが、いつも肩の力が入ってしまうのです。


結局「何も考えてない人」が最強説

とはいえ、いざ日本人国民に
自分は人見知りですか?
と言うアンケートを取ったら7割くらいが「はい」と答えるのでは?と思うほど、自分を人見知りだと思う人の方が多いような気がします。

そりゃ初対面相手に緊張しない人の方が少ないですよね。

完全に持論ですが、人見知りしない人は
・生粋の人と話すの大好きな人
・あんまり何にも考えてない人

のどちらかなのではないかと勝手に思っています。

この何も考えてない人というのは、決して揶揄してる訳でもなんでもなく、純粋に褒めの気持ちで使っています。

というのも、私の中の人見知りしないロールモデルとして挙げられるのが旦那さん。

そんなに自ら新しい出会いの場に行くタイプではなく交友関係も狭いタイプですが、
例えば私の友人が会いたがってたり、急遽家に泊まりに来ることになってしまった!と言う時も
いつも「別にいいよ」
とウキウキもやな顔もせず受け入れてくれます。

けれど、旦那さんは決して周りから
「話すのが上手!」とか「コミュニケーション能力が高いよね!」などと言われるようなわけでは決してありません。

おそらく、
あんまり何にも考えてない人」なのです。

必要以上に
人によく思われたい!とか
うまくやらなきゃ!とか
がなく、肩の力が抜けている。

なのでそんなに喋るわけでも気遣いなわけでもないけれど、だからこそ周りもあまり彼に気を使わずに楽に入れるのかもしれません。

そんな彼を見ていると、
そもそも私は気負いすぎだったり、人を気にしすぎるなんだなあと改めて感じたりします。


とはいえ自分の性格だからなかなか変えられない、喋っちゃう人見知り。

だけども御年30歳、少しずつ肩の力を抜いて人と関われるようになりたいですね。


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