コーヒーはぼくの杖

無職を脱却するにあたり、少しずつ読書をするようになりました。

ほとんど読まない月もありますが、以前と比べると天と地の差があります。
今後は読了する度に記事にしていきたいと思います。

今回読んだのは、岩野響さんの「コーヒーはぼくの杖」という本です。

小学生のうちに発達障害の診断を受け、中学校を中退しコーヒーの焙煎士になるまでの過程が、両親と本人の3人の口から語られています。

響さんは2002年生まれなので8個下、現在は20歳前後かなあ。
笑われる経験がトラウマになっているようで、今でも時々癇癪を起すこともあるそうですが、成人式はどのように過ごす(過ごした?)のでしょうか。

もっとも、ご両親と共に、ふつうに拘らないという選択をされた以上、成人式という枠組みにもハマらないかもしれませんね。

でも、それも素敵だなあと私は思います。

実は私自身、無職の期間中にコーヒーと出会い、開業を目指している身分であります。
これまでのB型作業所におけるボランティア活動や介護の経験などから、コーヒーと福祉を絡めた事業を将来的に展開していきたいのです。今回はその参考とするためにもこの本を読みました。

ご両親の伝える工夫や反省に加え、本人の言葉で、当時感じた思いなどが綴られており、非常に興味深く感じました。


障がい者という線引きは、健常者と呼ばれる人たちが一方的に決めたものだと私は考えています。

聴覚や臭覚過敏などの障がい者と呼ばれる方からすれば、自分には聞こえるはずの音が聞こえていない健常者と呼ばれる人の方が異常であって、また、自分には聞こえるはずの音が聞こえていない健常者と呼ばれる人の方が異常なわけであります。彼らからすれば私たちだって障がい者となりうるわけです。

これすなわち、障がい者/健常者という枠組みを変えていく必要があると私は思います。

加えて、現在健常者と呼ばれる人よりも優れた感覚を持つ、障がい者と呼ばれる方々に対しては、個々の能力が存分に発揮できる環境を用意し、対価として正当な報酬を与えるべきです。

既にコーヒー×作業所という組み合わせは、国内でもぽつぽつと出てきているようですが、もっと利益を追求してもいい(そうするべきである)し、それだけの可能性のある市場のように、私の目には映ります。

皆さんはどう思いますか?

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