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イベント盛りだくさん!令和6年8月の〝月記〟

まずはUSopenから

3:30amに目が覚めて、ぼんやりした頭でUSopenのライブ配信を眺めつつ、散漫に片づけやら洗濯やら。

眠い!が今寝るとムゼッティを見逃しそうだ。
今日のズべレフはナイトセッション。日本時間で朝8時にならないと始まらない。解説付きの中継では予定されていないから、オンデマンドのみ。見逃さないようにしないといけない。

午前4時過ぎ。ムゼッティ戦はそろそろ始まったかもしれないけれど、シェルトン対ティアフォーのアメリカ対決も白熱していて、なかなかチャンネルを変えられない。ただいまセットカウント1対1。第3セットも2-2と全くの互角。

ムゼッティはここのところ上位戦にたびたび現れて、試合を見る機会が増えた。パリ五輪は銅メダル!

久しぶりに見たムゼッティは少年の面影がすっかり消えて、いきなりおっさんの風貌。ヒゲが濃い。でも、イケメンはそのままで、すでにお父さんになっていた。

フリッツもズべレフもすでにお父さんと知った時は驚いた。ただ、2人とも相手の女性とは別れて、子どもと同居はしていないようだが、ムゼッティは彼女ときちんと結婚して、しっかりお父さんをしているらしい。ベビーカーを押して歩く姿がInstagramにアップされていた。

いちばん若いのにね。22歳の子育てパパだ。

わぁ、まだゲームカウント3-3。シェルトン、ティアフォー、どっちも譲らない戦いだなぁ。 
去年、木下グループオープンで試合を見たから、心情的にはシェルトン推し! 性格も明るく仕草も可愛い。
ティアフォーも多彩で器用で好きなんだけどね。

いや、テニスのことを長々書くつもりもなくて、今日は8月最終日だから、日記ではなく〝月記〟を書こうと思っている。

外は台風10号接近中の長雨。そろそろ近畿あたりまできたのかな? 湿気まじりの生暖かい空気が不快極まりない。これがあと2〜3日続くらしい。あぁ、、、

ムゼッティ戦はまだまだ始まりそうにない。
ズべレフの試合は、ナイトセッションの第二試合だった。てことはこのまま眠れないのか! 

「みんなの体操」を習慣にしよう

6時25分になったので、Eテレにして「みんなの体操」をやった。
習慣にしようと8月半ばから続けている。とにかく気がつけば驚くほど身体が硬くなっていた。起き抜けの体は特に硬くて動きが悪い。

去年まではこんなはずではなかったのだが、これも脳梗塞の影響だろうかなどとついつい考えてしまう。
最近の私は何でもかんでも脳梗塞のせいにしている。ただの老化かもしれないのに。

たった5分の体操なのに、うっすら汗をかくし、体を動かした気になる。少し動きやすくなってスッキリする。子供の頃は,こんなことやって何になるんだろうなどと生意気なことを思っていたが、今となっては非常に大事な運動だと実感できる。

排水溝はこの長雨に耐えられるのか

雨が止んだので、屋上へ続く階段の排水溝を見に行った。ゴミが詰まっているので掃除をして欲しいと管理会社にお願いしていたものだが、いまだに水が溢れて我が家の階まで流れてくる。8月上旬に掃除をしたというのだけれど??

一階下の排水溝はこんなに綺麗になっているのに
なぜか問題の排水溝は真っ黒な泥が詰まったまま。仕方ないので自分でかき出す。
掻き出した泥をビニール袋へ。

8月上旬に同じように掃除をして、こんなに泥の詰まり方が違うものだろうか? 管理会社の担当者はちゃんと確認したと言っていたけれど、
電話かメールで業者に確認しただけで、実際に見に来たわけじゃなさそうだ。

掃除でダメなら高圧ポンプで吸い上げるしかないという。すぐにどうこうと言う問題でもないので、春の排水管清掃の時に一緒にやってもらうことになっている。
今度は声をかけてもらって、ちゃんと立ち合おうと思った。

改めてテニスの過酷さを目の当たりにしつつDuolingo

ここまでの作業が終わって部屋に戻ると、まだ、シェルトン対ティアフォー戦が続いていた。4時間近くかかったろうか。

テニスというスポーツは本当に過酷だ。たった1人で4時間も炎天下を走り回るスポーツなんて他にない。

中継でシェルトン、オンデマンドでムゼッティを見ながら、コーヒーを淹れて朝食。。。 

しだいにシェルトンの敗色が濃くなり始め、ムゼッティもアルゼンチンのエチェベリ選手に食い下がられて最初から危なっかしい。まさか負けないでしょうねと思いながらDuolingoを少しやる。

2月ごろから始めたスマホの英語アプリ、これもなんとか続いている。
今日でレッスンは199日目だ。

またすぐ降り出すだろうと思っていた雨はなかなか降らない。この台風は本当に読めない。パーっと日が照ったと思ったら、雨が降り出したりもした。

結局シェルトンが負け、ムゼッティも負けてしまった。
ようやくズべレフの試合が始まるという頃には睡魔がピークで少し寝る。

この間に、ジョコビッチが負けていた。パリ五輪は素晴らしい活躍で悲願の金メダルを獲得したジョコ。そろそろ引退なのかと噂されるなかで見せたジョコの底力には心底驚かされたものだった。
そのジョコも3回戦で消えた。
アルカラスも2回戦で消えた。
パリ五輪で決勝を戦った2人だから、体力的に厳しかったということかもしれない。

やっとこさズべレフ+プロテニス選手と家族

今日はズべレフも今ひとつ調子が上がらないようで、終始ヒヤヒヤしっぱなしだ。
ズベレフのコーチは実のお父さん。旧ソ連時代のデビスカップ(?うろ覚え)の選手だったそうだ。
ズべレフはサーシャ、お兄さんはミーシャと愛称で呼ぶけれど、それってロシア文学などでもよくお目にかかる呼び名だものね。

お兄さんのミーシャも数年前まではツアー選手だったらしい。陣営席に陣取って、ズべレフにあれこれ声をかけていた。 
時々兄弟喧嘩みたいになっているのも微笑ましい。ズべレフはジュニアの頃からそうやって、家族でテニスに打ち込んできたのだろう。

そういえば,シェルトンもご両親が、ティアフォーもお母さんと彼の恋人らしい女性が陣営席で、時に心配そうに時に熱くなって声を張り上げていた。

大坂なおみもかつてはコーチだったお父さんとお母さんがいつも一緒だったな。いまではプロのコーチがついてお父さんは姿を見せなくなったけれど、陣営にいる時でさえ、娘の試合は見ていられないとばかりにいつも俯いていた。時には陣営席に居られずに、一般席に紛れ込んでいる時もあった。
それにしても昨今の大坂母は、ずいぶん綺麗になっている。真っ赤なドレスで陣営席の後方に映っていた。
大坂も自分でブランドを持ってウエアなシューズなどをデザインしているようで、今回の全米用ウエアはフリフリ3段スカートに大きなおリボン。靴のかかとにも同色のおリボンがついていた。

シンプルなテニスウエアが多いなか、もっとオシャレしても良いんじゃない?ってことなんだろう。
セレナ・ウィリアムズもフリルやリボンが大好きっぽかったから、ファッションセンスが似ているのだろう。

そういえは、ガウフのお母さんも出てくるたびに洗練されて、綺麗になったな。ガウフはいつもタッパーに生のフルーツを入れて、ベンチに戻ったときの補食にしている。
大きなタッパーをパカッと開けて大きな口でパクっと食べるガウフはなかなか可愛い。

ルードの家族は美男美女揃いでびっくりしたし、アルカラスの両親の若さにも目が点になった。

それぞれの家族の形が見えてくるのも面白い。

チチパスのお父さんは、試合中のコーチングが禁止の時でもついつい熱くなって声が出てしまい、問題になったこともあったけれども、そもそも試合中にアドバイスしちゃいけないなんてルールがおかしかったんじゃないのかな。

あー、なかなか月記にならないぞ。
結局、テニスのことばかりになっちゃってるし、久々の更新がこんなグダグダってどうよ?


お待たせしました、ようやく月記スタートです 笑

と、書いてみたところで、そろそろ今日8月31日が終わりに近づいている。
あらら、急がねば!

せめて箇条書きでまとめておこう。
後で別記事にするものもあるはずだから。

急にまた雨が強くなってきた。台風恐るべし。日テレでは恒例の24時間テレビが流れている。やす子はこの台風の中走るのね。

🔳8月2日 帰省のお土産探しなどで品川へ。猛暑の中バスでのお出かけは初だった。家を出ちゃった方がバスや電車、建物の冷房でよっぽど涼しい。気持ちもほぐれる。

🔳8月3日。友人が入院中のリハビリ病院へ。急遽思い立ってお見舞い。しばらく行けそうにないからな
。それにしても病院の冷房は、どうしてこんなに心地いいんだろう😥

🔳8月6日 帰省
今年は久しぶりにゆっくりお盆まで実家で過ごした。
高地だから空気がカラリとしていて、多少暑くてもエアコンなしで耐えられたのに、今年は暑くて暑くて、結局,冷房の部屋にこもりがちになってしまった。

また母と喧嘩しながらの日々。ただ,母の物忘れがかなりひどくなっていて驚いた。

🔳9日に腰に蚊取り線香をぶら下げて、義妹とお墓の掃除に行き、12日にお盆飾りを作って13日にお墓参り。ご先祖さまを背負って帰る。
午後、庵住さまがお盆のお経をあげにくる
お盆期間中におはぎと野菜の天ぷら、細く切った昆布を入れた煮物を食べるのが我が家のしきたり。
16日にまたお墓参りをして,ご先祖様には帰っていただいた。

父が亡くなって18年になるのかな。2006年のクリスマスイブに逝った父。
両親をほとんど知らずに育った父は一族のお墓を次々に3つも建てた。これまで全く意識していなかったけれど、なかなかできることじゃない。私だったらそのまま放ったらかしたことだろう。

🔳11日には中学時代からの友人2人とカジュアルフレンチ。
もう何年になるんだろう。出会って50年超えてるよ😱

🔳17日 東京へ帰宅。
夜になって、勝浦市役所から留守電が何本も入っていることにきづいた。9日に朝、昼、夕と3本。15日にも1本。
いゃ〜な予感が過ぎってしまう。

🔳19日 週が明け、市役所に電話を入れ状況を知る。
最悪の予感は見事に外れて、ホッとする。たったひとりで孤独死なんてことになっていたらどうしようと思っていたのだ。

🔳20日 Kが車を出してくれるというので勝浦へ



夏は千葉県一涼しいと今、話題の勝浦。でも、かなり暑かった。

真夏の海ほたる

市役所の高齢者支援課の方と会って色々と事情を聞いた。

勝浦では、父の従姉妹=祖母の姪にあたる大叔母?が一人暮らしをしている。
本人には会えなかったけれど、今後、親戚として私も何らかの決定には関与していくことになりそうだ。かなり遠い親族なんだけね、、、。私しかいないのかなぁ、、、、、。

帰りに道の駅でお寿司。
やす!うま!


🔳22日 大学時代の合気道会の飲み会で日本橋へ。

久しぶりに会った仲間たちは皆同様に歳をとっていた。当たり前だけど。

日本酒もちょっと飲んじゃったゾ
飲めちゃったゾ
絶品 とうもろこしとジャコのかき揚げ

気の置けない仲間たちとの飲み会は本当に楽しい。こんなに楽しかったっけ?
テンション上がりっぱなしで、アドレナリンやらセロトニンやらが出まくったのか、夜遅くまで滑舌が悪くなることもなく、言葉が出てこないなんてこともほぼなかった。

それどころか言葉がもつれるのも、パパッと出てこないのもみんな一緒だった。
脳梗塞のせいじゃなかった。
全然違った。

午後6時から11時近くまで店内で大騒ぎしている間に、都内はゲリラ豪雨に見舞われてニュースになっていた。隣町では川が溢れて道路が冠水。膝まで水に浸かって歩く映像がニュースで流れるなか、私たちは何も知らずに飲めや食べろやの大騒ぎ。幸せなメンバー。上機嫌でそれぞれの家に帰った。

🔳この間に仕事のデータが来て、26日打ち合わせ。原稿アップは9月17日。余裕のあるスケジュールで助かる

🔳知らないうちにスーパーからお米が消えていて、焦る

🔳24、25日 麻布十番納涼祭り

魚のえさとストレーナのスポンジを買いに行ったら、十番祭りの真っ只中だった。

一の橋高架下
午後4時ごろ。
十番通りはすでにギュウギュウ


🔳27日は糖尿内科定期検診で病院へ

🔳28日 ポストに入っていたチラシで整体?へ行ってみた。
理学療法士さんが待機していて、症状やそこに至る過程をじっくり聞いてくれた。歩き方の特徴や力の入り具合,バランスなどの検査もあった。
少しマッサージをしてくれて、あとは腰痛改善を目指して、家でできる体操などを教わってきた。

柔軟性が戻り、筋力がついてくればもっと股関節は動くはずだし、腰痛も解消するはずだという。

こういう指導がずっとずっとほしかつまた。股関節手術の後のリハビリを担当したのは作業療法士だったし、筋トレよりもストレッチを重視して、とにかく歩けとしか言われなかった。でも今回わかったのは、まだまだ正しく歩けておらず、足の裏の真ん中のみでベタベタ歩くので,歩けば歩くほどその衝撃がすべて腰にかかってきている、ということだった。

足の指も踵もほぼ使っておらず、衝撃吸収が全くできていないという。

なーるほど!

脳梗塞の後も、リハビリは不要ということで運動指導などは全くなかったので、実はリハビリ病院に転院して、いろいろと体や筋肉の状況を診てもらっている同病の方たちのnoteを読むたびに羨ましかったのだ。

出るのは痛み止めだけで、言われたように歩いていてもかえって腰痛はひどくなるばかり。運動なんて関係ない、手術しかないと言われても全く納得できなかった。

そのまま歩くのも嫌になり、家のこもれば、それこそフレイルまっしぐら,寝たきり生活こんにちはではなかったか。でも、どうしたら良いのかなんて誰も教えてくれなかった。

もちろんこの整体で本当に良くなるかどうかはこれからだ。お値段も通常の整体よりもさらに高い。
たまたま仕事が何本か入ったからやる気になったけれども、仕事がなかった時期には受けられなかったろう。

兎にも角にも希望がもてるようになったのは嬉しい。がんばるぞ!

🔳29日 母の誕生日。88歳。
こちらから電話する前に母から電話が入る。米寿なんだよねぇ。義妹とあれこれプレゼントを画策中、

そんなこんなの8月1ヶ月
駆け足で書いてギリギリ31日中にアップできるかな

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