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太陽のいたずら─三島由紀夫の命盤をよむ─文学好き占い

パルです。
前回、三島由紀夫の読書感想文を書きましたが今回は三島の命盤をみてさらに三島由紀夫という人を知りたいと思います。文学好き占いって何?って感じですがどうぞお付き合いくださいませ。

三島由紀夫
1925年1月14日 東京都生まれ
生時 21時から23時

生時はネットにある時間を採用しました。

三島由紀夫の命盤

命盤は欽天四化派紫微斗数のものです。
赤文字の年齢はもし今も生きていれば、という年齢です。
1925年生まれなので本来は丑年生まれですが1月生まれなので前年の子年生まれの扱いとなります。
紫微斗数はいくつかの流派がありますが、それらを併せてみていきます。

来因宮は財帛宮(ざいはくきゅう)。
そこから四化星が飛びます。生年化禄(以下生年A)が兄弟宮、生年化権(生年B)と生年化科(生年C)が田宅宮、生年化忌(生年D)が官禄宮に入ります。


簡単に四化星の意味することを説明すると、

生年A→ 良い縁のはじまり、人や財に恵まれる、虚
生年B→ 積極的、競争、責任、トラブル
生年C→ 情、温厚、学問、芸術、優柔不断
生年D→ 縁の終わり、真面目、不器用、獲得

四化星は重要で特に生年Bと生年Dは「絶対」の力を秘めてます。来因宮から出た四化星は状態にもよりますが生きていく上で自分が使える武器、天からの贈り物です。

三島の命盤から判断できることを書き連ねると、

まず目をひくのは命宮から遷移宮にはいる一本の矢のような向心力です。常に社会に目を向け、社会に対し自分がなんらかの働きかけをしたい、積極的に主張したいという強い意欲があります。
そして、

信頼できる人間に恵まれる人であること、

仕事や活動に対してストイックで視野がせまくなるほど固執する傾向にあること、

家や事務所で働き学術・芸術的なことでお金が稼ぐことができ、それには信頼のできる人との縁が助けになること、

夫婦の仲はそれほど性格が合うというわけでもないがお互い情があり、離れ難い関係であること、

社会に対して働きかけたい気持ちが常にあり、意識が自分より周囲に向くため疲れやすくなること、

健康に問題を抱えやすいこと、

などが判断できます。

では命盤から10年ごとの運勢をもう少し詳しくみていきます。

0歳から15歳まで(実年齢だと13歳まで)

健康状態がよくないです。常に体調不良だったのではないでしょうか。そのせいかもしれませんが、精神状態も悪いです。内向きに気持ちは閉じていて焦燥感を持ってる感じ。精神的に停滞しているけど能動性はありそうです。そして勉強はすごくよくできます。成績はかなりよかったでしょうね。両親とは縁も情もありますが、何かしらの問題が出そうです。仲のよい友達はいたのではないでしょうか。
周囲の人達も好意的に接していたでしょうね。
ただいかんせん幼少期に健康状態と精神状態が悪いと長じてその記憶が足枷になったりするので注意が必要です。

16歳から25歳まで(実年齢14歳から23歳まで)

精神状態がかなりよくなります。勉強も引き続きよくできるし、仕事のほうも専門分野のこと、芸術的なことなどができますが、実を結びません。お金も稼げるけど出ていくほうが多そうです。異性縁はありますがなんらかの問題のある人、もしくは問題が出てきそうな人と縁がありそうでトラブル注意です。結婚に不向きな期間で結婚しても縁が切れそうです。家庭では家を購入したりするのにはいい期間です。両親との関係はあまりよくないです。親しい友人との付き合いもいい出会いがあるけどトラブルもありそうです。

26歳から35歳まで(実年齢24歳から33歳まで)


健康状態がよくなります。精神的にも落ち着いています。よい異性との出会いがあります。この時期の結婚がよいでしょう。仕事はうまくいかなそうで金銭的にも苦労が多そうです。両親や親しい友人との関係に気持ちが向き、人間関係に気苦労があり煩わしさを感じそうです。


36歳から45歳まで(実年齢34歳から43歳まで)

健康状態は平常。やりたいことに対して積極的に取り組み、リーダー的な存在になります。学問や芸術の分野で成果がでそうです。活発に動きながらも精神面は冷静です。マイナス思考になりがちかも。
財運はかなりいいです。夫婦関係はよくないです。気持ちのすれ違いとかありそう。大衆からの人気があります。知名度も上がるでしょう。本人の社会に対する感情はよくないです。

実年齢44歳から45歳まで

今までと生き方を変える転換点となる10年です。精神状態はよくないです。停滞と焦燥感。外に出ての活動はできます。自分のやりたいように出来るでしょう。何か活動する際はリーダーとして振る舞いたまに軋轢も伴うでしょうが、周りの人に恵まれるでしょう。財運はとても悪いです。一般大衆からはいい印象を持たれず、批判されやすくなります。夫婦関係は良好です。


以上が10年ごとの運勢です。
ここから年譜と併せてみていきます。


幼少期から学習院中等科に入るまで三島(本名 平岡公威)は祖母夏子の監視下のもとで育ちました。
行儀作法に厳しく、ものを振りまわしたり音の出るおもちゃで遊ぶことは禁じられ、外で同じ年頃の子供と遊ぶことも許されず、祖母の選んだ女の子と女言葉で遊んでいました。身体が弱く、医者から直射日光に30分以上当たることを禁じられていたそうです。一方で祖母夏子は永井荷風と親戚筋でもともと歌舞伎や文学など芸術を好み、三島は幼い頃から文学や芝居に親しみました。

この時期の三島の健康状態と精神状態はすこぶる悪く、父母との縁薄く、厳格な祖母のもと特殊な状態下で育ったのでははないでしょうか。

欽天四化でみると三島は太陽Dの人です。
太陽は原始宮は子女宮。子どもの星。
陽気で楽天的。活動的でひょうきん者。細かいことは気にしない目立ちたがり屋さん。

その性質が生年Dがつくことで反転します。
こだわり、粘着、孤独、過敏、あきらめない、こだわり以外のことに関心がいかない、獲得。
太陽Dは精神の病をみたりもします。
三島は幼少期のことをこう記しています。

つらつら自分の幼児を思いめぐらすと、私にとっては、言葉の記憶は肉体の記憶よりもはるかに遠くまで遡る。世のつねの人にとっては、肉体が先に訪れ、それから言葉が訪れるのであろうに、私にとっては、まず言葉が訪れて、ずっとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしていたところの肉体が訪れたが、その肉体は云うまでもなく、すでに言葉に蝕まれていた。

『太陽と鉄』より 中公文庫

病弱と祖母の過保護ゆえに肉体を動かす楽しさを知らず、一人だけの言葉の世界に埋没し、やがて言葉の腐蝕作用を着実にすすめ、作品を成し、それを自分の仕事にしようと決意します。それと同時に言葉の全く関与しない領域で現実に出会いたいという欲求もありました。


官禄宮に生年Dは、自分のメインとなる活動にこだわり、のめり込み、妥協を許さない性質があります。そのため対宮の夫妻宮にも影響が出やすくなります。「あなたは仕事大好き人間ですね。でも今世は仕事ばっかりしてないで配偶者のことも考えないとだめですよー」という天からのお知らせが出ているのです。三島の場合、生年Dに自化Aがつくのでマイナス作用を伴いながらも親しい人からの支援を得て、収入を得ます。どこで?家庭で、職場で、学校で。

命盤からみてどんな職業ならやっていけるのか、みていきます。

三島は生年AとDの人です。祖父や父親と同じように超エリート官僚として生計を立てることもできたはずです。ただその場合、私たちは作家三島由紀夫と出会えなかったと思いますが。実際、祖父や父親同様東大を出て、大蔵省(現経済産業省)に入省しましたが、作家になるために9か月で辞めています。が、先祖を遡ってみても国の行政に携わるような血筋の人なのは事実です。

もう一つは官禄宮の生年Dと田宅宮の生年Cのチャンレンから組織に属すことなく自力で文学や芸術方面のことで生計をたてること。これは、三島が実際に行っていたことです。作家活動の成功は命盤を充分活用できていた結果だといえます。

またもう一つ。それは教育者としての資質を利用すること。三島の私設団体といってもよい『盾の会』は100名もの会員がいたそうで、100名もの人間から尊敬を受け、死後も影響を与えたということですから、教育者として資質があるのは間違いないと思います。
父母宮と子女宮に業報因果の星があることからみても、私設ではなくもっと広い公的な場所で、自分より若い人を教え導くことが大切なことだったと思います。

1970年、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて自決した時三島は作家としては既に名声を得ていました。

思考は本質的に夜に属するのではないだろうか?言葉による創造は、必然的に、夜の熱い闇のなかで営まれるのではないだろうか?

『太陽と鉄』中公文庫より

彼を運動へと駆り立てたものは何か。
それはやっぱり「太陽」だったと思うのです。夜の住人だった「太陽D」の三島は太陽の光を浴びて引きずり出されてしまった。

もともと三島は、明け方まで執筆活動をつづけ、正午ごろまで睡眠をとる。そして、自宅のベランダに出て、午後一時ごろまで日光浴をする。三島が自慢していた赤銅色の肉体は、この日光浴の賜物であった。自らの意志を試すかのように、三島は、一時間のこの日光浴を欠かさずつづけていた。
「先生、曇りの日には日光浴しても意味がないじゃありませんか」
 あるとき盾の会の会員が、三島にたずねたことがある。盾の会の会員が三島の自宅を訪れるときは、正午に出向き、一時間のこの日光浴を利用して、いろいろ打ち合わせをする。そんなときのことであった。
「そうじゃない。俺は意志が弱いから、一日でも休めば、つぎつぎに理由をつくってやめてしまうにきまっているんだ。それを防ぐには、少々の雨でも、こうしてベランダにでることにしているんだ」
 その会員は、このときの三島のしんみりした口ぶりを忘れていない。生来の気質を自らの意志によってコントロールしようとするタイプにみえたといっている。

保阪正康著『三島由紀夫と盾の会事件』ちくま文庫より


太陽と握手したことで自ら変わることを決意し、太陽の光を浴びて三島は現実の世界と向き合いました。私には三島は、太陽の光に翻弄され続けたのではないかと思えるのでした。

ここまで
お読みくださりありがとうございました🍑

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