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おかけざま(135期 田中)

135期、田中理貴です。
引退ブログの提出期限を大幅に過ぎている中、最後の提出期限ギリギリに書いております。馬場ごめん。
現在10月6日に書いておりまして、引退してから早1ヶ月が過ぎようとしています。ここまで過ぎると毎日早寝早起きしてボート漕いでたのが信じられないし、よくあそこまできつい生活送ってたなーと感じます。今もう一回端艇部でボート漕げと言われたら絶対できません。(笑)
 
今回は引退ブログということで僕のボート人生を振り返ってみようと思います。僕がボートに出会ったのは大学ではなく、高校でした。当時、親の駐在でアメリカに引っ越すことになり、高校に転入して最初か2回目の体育の授業でボートクラブのコーチがリクルートに来ていて、学校にあるエルゴをちょろっと引いてボートクラブの説明をして終わるという内容で授業は終わりました。僕はそこでは特に何も感じませんでしたが、父親が大学生の時にボート部に入っていたことは知っていたので家に帰って両親に話してみると一回体験に行ってみろということで体験会に参加しました。体験会に行くと色々な高校から僕と同じように体験会に来た高校生がいて、その人たちと一緒にエイトに乗りました。船は全然進んでなかったですが、それまでまともにスポーツをやってこなかった身としてはすごく新鮮で面白いなと感じて結局そのまま流れで入ってしまいました。
 
高校のボート部は最初の1年はNoviceチームといって1年目の選手と一緒に練習し、2年目からVarsityチームといって正式な部員の仲間入りという感じでした。初めての部活で週6、2時間の練習はきつかったですし、冬なんかは死ぬほど寒かったですが、エルゴのタイムはやれば毎回伸びるし5,000mエルゴT Tはそれなりに上位に食い込んでいて、大会でも勝ってたのでめちゃめちゃ楽しかったです。
 
そんなボートが苦しくなったのはVarsityチームに入ってからでした。2年目からはより高いレベルでシート争いをすることは勿論のこと、それまで一緒に練習していた同期が目覚めだし、次々に僕を追い越していったのです。2,000m TTをやっても全然伸びないし、どんどん下位のチームになりました。毎回学校が終わって家に帰ってから母親に車で練習に送ってもらっていましたが嫌すぎて行く途中で帰りたいと母親にごねて練習をサボったこともありました。今考えると情けないです。仲間は優しかったですが、僕は結局その状況に耐えきれず、勉強に専念するとか色々理由をつけて辞めることにしました。
 
その後は学業とか色々頑張って大学に入り、ボート部があることは知っていても入ろうとはせず、サークルやバイトを1年弱やっていました。ただ、大学に入ってからまともに何かを頑張っていなかったので流石にまずいと思い、嫌とは思いながら一度ボート部の体験に行きました。ボート部の先輩方、同期は冬に急に見学にやってきた僕にもすごく優しく、気づいたら入部していました。僕の新歓飯で大下さんやエイトさんに熱烈に説得されたことは今でも覚えています(笑)。僕自身、高校の時の挫折経験を乗り越えることなく過ごしていたことに未練はあったので厳しいとは思いつつももう一回頑張ろうと思いました。
 
大学に入ってからのボート部は意外と高校の時より伸び、高校の時は届かないと思っていた2,000m7分切りも割とすぐにできましたがやはり再び伸び悩み、選考にも負ける辛い時期はやってきました。しかし、その時はどんなに辛くても練習したくない、やめたいと思うことはあまりありませんでした。それは、僕と同じように悔しい思いをした部員がものすごい熱量で頑張っていたからだと思います。僕と接している人はわかると思いますが僕は周りにすぐ流される人です。僕が大学3年になりたての時期に早慶戦に乗れなかった部員で一緒に限界までエグりきれたおかげで自己ベスト更新できました。その時の嬉しさはそれなりにやっていれば結果が伸びた時期の比にならないくらい嬉しかったです。あの時期一緒にエルゴやってくれた伊藤ちゃん、馬場、峯岸、最後の年の全日本で頼りないリーダーだったけど、田邉さんのメニュー強行してくれた憲昭、遼太、どんな時もパッションで訴えてきた竹峰のようなアツい人たちに引っ張られて僕はこの部活を辞めることなく引退できました。本当に感謝してます。

 
 
今ボート部にいる後輩やこれから入る人は絶対に辛い思いをする時期が来ると思います。そんな時はアツい思いを持った人と時間を過ごすと良いと思います。きっと自分の中に火がついてもっと頑張れます。そういった思いを伝播させてよりアツい端艇部をつくってくれたら嬉しいです。いつも応援してます。
 
ありがとうございました!!
 
135期 田中理貴
 

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