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新たなる航路へ(138期 和田)


こんにちは!法学部政治学科一年の和田隆之介です。今回は、私が体育会端艇部に入部した理由についてお話ししたいと思います。

端艇部の存在を初めて知ったのは高校に入学してからでした。それまで受験勉強一筋だった私は、新しいことに挑戦してみたい、勉強以外の何かに本気で打ち込んでみたいという強い気持ちがありました。私は慶応義塾志木高等学校の出身ですが、志木高には数学研究会やクイズ研究会から野球、バスケなどのメジャースポーツ、ホッケーなどのマイナースポーツを含め多くの部活があります。新歓では様々な部活を見学させていただきましたが、その中でも一番印象に残ったのが端艇部でした。当時、剣道と水泳という個人種目系のスポーツしか経験のなかった私にとって、クルー全体で信頼を寄せ合うボートという競技はとても魅力的でした。また、明るくてかっこいい先輩が多かったこともあって、端艇部への入部を決めました。

そして始まったボート部生活は本当に大変なものでした。授業が終わった瞬間に走って駅に向かい、電車に乗り、戸田公園で練習。練習は日が沈んでも続き、終わった後は船の清掃と片付けをしてから帰宅。天候により乗艇が厳しい日はエルゴと呼ばれる機械と向き合い、与えられたメニューにただひたすらに取り組む日々。新しいことを始めたくて、かっこいい先輩のようになりたくて始めたボートでしたが、気分が乗らない日も、調子が出ない日もありました。また、私自身体格が大きい方ではなく、同期の中でもタイムは遅い方でした。そのため、COXと呼ばれるクルーに指示を出しながら舵を切って船の方向を定める役職に転向することを考えたこともありましたが、当時の私は「漕手であってこそのボート部」という誤った認識を持っており、一度決めたことは諦めたくない性格でもあったため、COXに転向するか漕手で居続けるかの葛藤を続けながらも3年間漕手として活動しました。

最後の大会であったインハイ予選を終え、無事志木高端艇部を引退しましたが、ボート部での3年間を振り返ってみると若干後悔の念がありました。3年間漕手をやり続けたことに満足する一方で、「あの時、同期のCOXと争うことになってでも自分がCOXに転向していればもっと満足できる結果で引退できたのではないか。もっと胸を張ってやり切ったと言えるボート部生活を送れたのではないか」と。

同期で頑張っているCOXを見ているうちに、私の中にあった「漕手こそかっこいい」という偏見は無くなっていました。雨の日も風の日も、暑い日も寒い日もクルーと一緒に船に乗り練習に励む。試合ではクルーと同じ船に乗り込み、同じ運命を背負う。そんなCOXがかっこよくないわけがなかったのです。最後のインハイ予選で引退となった時、どこか虚しさを感じていた自分とは対照的に、負けてしまったものの最高のクルーと共に戦えたことに満足しているCOXを見て羨ましいと思いました。そしてこれからは重要な決断から逃げずに立ち向かっていけるような強い人間になると心に誓いました。

大学ではこれらの思いもあり、入学前から端艇部に入ることを決意していました。現在は最高のメンバーとボートを漕ぎつつ、自身はCOXをさせていただいております。高校時代の経験もあり、漕手の辛さを充分理解しているつもりではありますが、やはりCOXをやり続けていると漕手の感覚を忘れてしまいそうになる時があります。そんな時はもう一度高校時代を振り返ってみる。私が目指す理想のCOXはボートの知識はもちろん、どんな時もクルーと同じ目線で同じ目標に向かって進んでいけるようなCOXです。そのためにはクルーとの信頼関係は欠かせないし、クルーの辛さを知ってこそ、水上で的確な指示が出せると思うのです。これからも陸上ではクルーと練習に励みつつ、常に謙虚な気持ちを忘れずに頑張っていきたいと思います。
 拙い文章となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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