「縁(えにし)の使者の獣医さん」第1話
【あらすじ】
生後3か月で死んでしまった黒猫「ベア」。
彼の魂は生まれ変わるまでの間、特別に地上に遊びに行くことを神さまから許される。
出かける先はベアを最期まで看取ってくれた獣医さんのところだ。
その獣医さんは、動物たちの声なき声を汲み取り動物の幸せのために飼い主をあるべき方向に導く「魂の縁(えにし)の使者」だった。
動物病院の日常の中で巻き起こる動物たちのペットとしての命を懸けた闘いと、その命を懸命に守ろうと全身全霊で闘う獣医さんの姿を間近で見る中、ベアはその獣医さんを今度は「自分が守りたい」と強く思うようになっていく。
この物語はペットと自分自身のこれからの生き方を考える機会になること必然の物語。
「はじまりの縁(えにし)」
僕は「ベア」。生後3か月の小さな子猫だ。
全身真っ黒で、金色に光るきれいな目がチャームポイントの立派な黒猫だ。
というか、正確に言うと黒猫“だった”。
僕には生まれつき、おしっこを出す管に異常があったらしく、1年くらい前の暑い夏の日、僕の身体は死んでしまった。だから今は正確に言うと、“元ベアの魂”だ。
動物は死んでしまったら、その魂はすぐに神さまのもとに還ることができる。そして次に生まれ変わるまで、神さまのおそばでお仕えしたり楽しく遊んだりする。
僕も死んですぐに神さまのもとに還ったのだけれど生きている時にあまりにも短い命だったことと、大きな病気で苦しんだ分、神さまが生まれ変わるまでの間、特別に地上に遊びにいくことを許して下さったんだ。
だから、今は蝶々になって地上で飛び回っていることが多い。
不思議なことに蝶々になっても、やっぱり黒い羽根だ。次に生まれ変わるのも、やっぱり黒い“何か”なのかな?と勝手に思ってしまう。
今日も地上に出かける。出かける先はいつも決まっている。
僕を最期まで看取ってくれた獣医さんのところだ。
僕は野良猫だった。
僕は川沿いにある古い家の縁側の下で、他の5匹の兄弟と一緒に生まれた。
母さんは兄弟みんなを平等に可愛がって育ててくれた。
けれど、僕はおしっこを出す管が体の中でうまく繋がっていなかったせいで、だんだんミルクを飲んでもうまくおしっこが出せないようになってきた。
とても身体が苦しくなってきて、うまく母さんのおっぱいも飲めなくなってきたんだ。
そんなある日、突然、母さんは僕をそこに置いたまま他の兄弟をつれて他の場所に行ってしまった。僕以外は自分でちゃんと歩けるようになっていたからだと思う。
僕は独りぼっち、その場所で動けないまま取り残されてしまった。
お腹がすいて、一生懸命「にゃっ」と叫ぶけれど、その声を出す力さえもだんだん無くなって、そのうち、お腹がすいていることすらわからないほど頭がぼーっとしてきたんだ。
それからどれくらい時間が経ったのかわからない。
ある時、その家の人が僕に気づいた。
僕はその時のことはあまり覚えていない。
かすかに覚えているのは、その人が僕を掌に乗せ、「死にかけている。大変だ」と言って僕を動物病院に連れて行ってくれたということ。
そこで僕は「院長」と呼ばれる一人の獣医さんと出会ったんだ。
院長は僕を見るや否や、聴診器を体のあちこちにあてたり、僕の瞼をあげて目をのぞき込んだり、お口の中を見たり、お腹を触ったり、そして僕の後ろ足から血を抜き取ったりした。僕は体がしんどくて抵抗できなかったけれど、なんだかいっぱい、いろいろ検査をされたようだった。
その間、「大丈夫か。しっかりしろよ」と僕に話しかけながら僕の冷え切った身体をさすり続けてくれていた大きな手の温かさだけは覚えている。
次に目覚めた時、僕の目の前には心配そうに僕をのぞき込む優しい二つの目があった。
僕は病室の中で温かい毛布にくるまれ点滴を受けていた。
院長と呼ばれた「先生」は、僕が運び込まれた日の夜遅くまで他のスタッフが帰ったあとも僕を治療し続けてくれていたんだ。
「目が覚めたか。しんどかったな。もう大丈夫だぞ。俺が助けるからな」と温かい大きな手で僕をさすり続けながら先生はそう言った。
先生の優しいまなざしと温かい手に安心して僕は再び深い眠りについた。
その眠りからは、なんだか、バタバタとしたあわただしい気配で目が覚めた。
目の前を忙しそうにスタッフの人たちが行ったり来たりしているのが見えた。
僕の病室(?)はICUと呼ばれていて、絶えず先生やスタッフの人たちの目が届くようになっている。言い換えれば、そこからは病院中が見渡せるような場所にあった。
もうすでに病院の診察が始まっているようだ。
次々と体調の悪そうな犬や猫が部屋の中に入ってくる。みんな調子が悪そうだ。
僕も全身がしんどくて、頭を持ち上げてその光景を見るのが精一杯だった。そして再び僕は眠りにおちた。
次に目覚めた時は、僕は診察室の広いベットに横たわっていた。
よく眠ったおかげで気分は随分よくなっていた。
先生と看護師さんが僕の体に管を入れて、お腹にたまったおしっこを出してくれているところだった。
「ちょっと我慢だよ。もう終わるからね」と先生は相変わらず優しいまなざしで僕を見つめてそう言った。
それが終わると、看護師さんがミルクを飲ませてくれた。
母さんのおっぱいの味とは少し違う味のような気がするが、温かいぬくもりは同じだった。
僕はがんばって飲んだ、つもりだったが、すぐに力尽きた。
看護師さんは「頑張ったね。無理しなくていいよ」と僕にやさしく頬ずりしてくれた。まるで母さんの頬ずりと同じようにくすぐったかった。
「命名 ベア」
次に目覚めた時は、なんだか眩しいほどの明るい大きな光に照らされた手術室のベットの上に僕は寝かされていた。
僕の身体の中で何が起こっているのか、どうしておしっこがおなかに溜まるのか検査をするところだった。
「目が覚めたか。せっかく目が覚めたのに悪いが、ちょっと眠ってもらうよ。でも大丈夫。この検査で身体の悪いところを見つけて治療してやるからな」と先生は言った。
僕に向けられたまなざしは相変わらず優しいままだったけれど、その顔つきはいつもと違って少し厳しい顔つきだった。それが少し気にはなったけれど、再び、僕は眠りについた。
次に目覚めた時は、僕は僕の病室に横たわっていた。
よく眠ったおかげで気分はすこぶる良い。今までは全身に力が入らず、しんどさのあまり起き上がる力もなかったが、なんだか起き上がれそうな気がするくらい気分がよかった。
ひょっとしたら、検査で眠っている間に先生が僕の身体の悪いところを治してくれたのかもしれない。
うれしくなって起き上がろうとしたけれど、頭を少ししか持ち上げることができない。やっぱりまだ無理みたいだ。けれど、なんだか身体が楽で気分がいい。
僕が頭を持ち上げたその時、少し離れたところにある院長室から、僕のその姿を見つけて先生が駆け寄ってきた。
先生は今日も夜遅くまで、診察が終わり他のスタッフが帰ったあとも僕の様子を見守ってくれていたんだ。
「あっ。起きたのか。頭を持ち上げる元気が出てきたのか。よくがんばったな。しんどくないか。」と温かい大きな手で僕をさすりながら、優しいまなざしで先生はそう言った。
僕は本当に気分が良くてうれしかった。
「検査のついでに悪いところはすっかり治療しておいたからな」と先生が言ってくれるんじゃないかとさえ思った。
けれど、僕が一生懸命持ち上げた頭を、優しく撫でてくれていた先生の温かい手が僕のおなかに触れた途端、先生の顔が急に険しくなった。
この検査で僕は生まれつき、おしっこの管が体の中でちゃんとつながっていないことがはっきりとわかった。
先生は険しい顔つきのまま、「やっぱり予想していた最悪の結果になった」とつぶやいた。
「こうなったら手術するしかない。でも、こんなに小さくて弱っているのに手術に耐えられるだろうか」そうつぶやいて僕を見つめる先生の目は苦悩に満ちていた。
そんな先生をみるのは初めてだ。いつもの先生の優しいまなざしが苦悩で満ちるほど僕の身体の状況はとんでもなく悪いということが簡単にわかった。加えてすぐに手術が必要な状況であるということも。
先生は僕が目覚めるまでの間、難しそうな手術の専門書を何冊も何冊も読んで僕の手術方法を探ってくれていた。
けれど、その手術が困難を極めることに加えて僕があまりにも幼くて小さく体力が弱りきっていることが先生を絶望に似た苦悩に陥れた。
「やるしかない。けれど、やれるのだろうか。こんな小さな身体に人工的に尿道を作り、人工膀胱として体外に尿を排泄させるなんて。
そもそも、そんな大きな手術に耐えられるのか。
しかも成長とともに何回かの段階的な手術が必要になる。
それより何より、こんな小さな体に使えるサイズの医療物品があるのか。いったい、どうすればいいんだっ⁉」
先生は僕のおなかに触れたまま天を仰いで目を閉じた。
そしてしばらくの間、まるで時間が止まったかのように、先生は身動き一つしなかった。
その間、僕のおなかに乗っかった先生の手はいつもと変わらず温かく、なんだか僕の先天的に欠損した尿道さえも温めてくれているかのようで僕は心地よかった。
しばらくして先生は、目を閉じたまま大きく長く息を吐きだした。
まるで、纏(まと)わりつく苦悩も絶望も不安もすべて振り払うかのように長く大きく息を吐いた。
そして再び、僕の顔を見た。
その途端、先生の苦悩に満ちたまなざしと険しい顔つきはいつもの優しい先生のそれに戻った。
そして、先生は僕を抱き上げ、掌に乗せて
「うちの子になるか?」
優しいまなざしで僕にそう微笑みかけた。
先生の病院では、入院中の捨て猫や野良猫などには新しい飼い主が決まるまでは名前はつけないルールになっている。
新しい親が付けてくれた名前が一生涯の名前となるように祈りを込めて、そんなルールにしているそうだ。
だから僕にも当然、名前がなかった。
けれど、その日を境に僕は「ベア」と名付けられた。
先生の奥さんが名付け親だ。
名前の由来は二つある。
一つは「クマ」のように強くたくましく生きることができるようにという願いを込めて付けてくれた。
もう一つは先生の次男が大のサバイバル好きで、サバイバルのオーソリティである“ベア グリルス”の大ファンであるところから、“ベア グリルス”のようにどんな条件や環境でも強く生き抜けるようにという願いを込めて付けてくれた。
その日から僕は「ベア」になった。
すごく気に入っている。僕のご自慢の真っ黒な毛並み、金色に輝く瞳にぴったりの風格のある名前だ。
名前にふさわしく、もっともっとクマのように大きく逞しく強くなってやる。僕は先生たちが僕の名前に願いを込めて名付けてくれたことが心からうれしかった。
僕の名前が決まった日、手術の日も4日後と決まった。
手術のためにいろんな検査も必要だったし、何より、僕の身体の大きさにあうカテーテルなどの医療物品をあれこれ調達しなければならないようだった。
その間、僕はメキメキ元気になった。
ミルクも結構、飲めるようになった。
あいかわらず、看護師さんは母さんのようにミルクのあと、僕に頬ずりをしてくれて「よく飲めたね」とほめてくれる。それが何よりもうれしいから「次もまた頑張って飲むぞ!」という気になる。
とにかく、今の僕の「仕事」は、頑張って「ベア」という名前に恥じないように強く大きくなることだ。
僕のそんな思いが先生に通じたのか、僕のミルクの飲みっぷりを見て先生は「こんなにミルクが飲めるのなら、そろそろ離乳食も食べることができるかもしれないな」とうれしそうに看護師さんと話をしていた。
僕はますます頑張ろうと思った。
ただ、僕にはもう一つ、頑張らなくてはならない大切な仕事があった。
それは、お腹に太い針を刺して、お腹にたまったおしっこを抜くことだ。
僕が頑張って食べれば食べるほどおしっこの量が増えた。
初めは1日1回だった仕事が、今は1日2回抜く必要が出てくるほどおしっこの量も増えていった。
その仕事の間は、ちょっとつらい。
少し前までなら歩く力もなかったから、おしっこを抜く間、寝かされ続けても苦痛ではなかった。
けれど、今は病室の中を飛び跳ねる元気も出てきた僕には、診察台の上に横に寝かされて、同じ姿勢で押さえつけられたまま長い時間を待ち続けることは、ちょっと苦痛だ。
じっとすることに飽きてきて、じたばた身体を動かそうとすると「こら。ベア!動いちゃだめだ。もう少しの我慢だよ。じっとしてないと、お腹の奥に針が突き刺さるぞ!」と先生に脅される。
僕のおしっこを出すための処置をしている時の先生は、厳しい目をしている。真剣そのものだ。それだけ、僕にとっては危険で失敗が許されない処置なんだと思う。
針を刺すのに痛みはない。先生が痛くないように麻酔をしてくれるから。けれど針をさす機会が増えれば増えるほど、感染の危険があり、なにしろ、お腹の中と外の世界が直結しているのだから、先生が厳しい表情になるのは仕方ない。
それがわかるから、おとなしく我慢するしかないと思うし、その我慢は僕の大切な仕事なのだ。
そして、僕はよく眠った。これも大切な仕事だ。
大きな難しい手術をちゃんと乗り越えるために、体力をつける、それが今の僕がやるべきことだ。
先生は、毎日夜遅くまで、スタッフが帰ったあとも僕の手術のために、いろいろな専門書を読んだりしてくれているようだった。
勉強に疲れたら、先生は僕の病室に来てくれる。
そして、僕を温かく大きな掌にのっけて「ベアは強いな。しっかり食べて、眠って、強制排尿に耐えて。本当にえらいぞ。手術、がんばろうな。俺は絶対、お前を助けるからな」といつもそう言って僕に頬ずりしてくれる。
先生の手は本当に温かく、心地いいんだ。母さんの胸の中にいるような気持ちになる。
「僕も本気で頑張るからね」そう思いながら、僕はいつも深い眠りに落ちていくんだ。
「大手術」
そして、とうとう手術の日がやってきた。
手術に必要な医療物品、僕の体力、先生の心の準備も先生の計画通り、すべて揃ったからだ。
手術が始まる前、先生は僕の病室にやってきた。
先生の格好はいつもの白衣ではなく、頭まですっぽりと帽子をかぶったりして、なんだかいつもの先生と雰囲気が違う。
けれど、いつものように、先生は僕を温かい大きな掌に乗っけた。
そして「ベア。さあ、手術だ。俺は絶対おまえを助けるからな。そして、手術が終わったら、これまでの辛かった痛みや苦しさが大きかった分、うちの子として、幸せに一緒に暮らしていこう」先生はそう言った。
なんだか夢のようだ。
この手術を乗り越えたら、僕が先生のうちの子として、先生と一緒に暮らせるなんて。
僕はきっと大丈夫。先生がきっと助けてくれる。僕はそう信じて疑わなかった。
次に目覚めた時は、僕は、僕の病室に横たわっていた。
よく眠った気がするけれど、全身が重くて、しんどさのあまり起き上がる力が出なかった。起き上がろうとしたけれど、頭を少し持ち上げることしかできない。
僕が頭を持ち上げたその時、院長室から僕のその姿を見つけて先生が駆け寄ってきた。
先生は今日も夜遅くまで、他のスタッフが帰ったあとも僕の様子を見守ってくれていたんだ。
「あっ。起きたのか。ベア。よくがんばったな。痛み止めは打ってあるから、痛みはないだろうが、まだしんどいはずだ。無理するなよ。大変な手術だったけれど、無事終わったぞ!本当によくがんばったぞ!さすが“ベア”だ」と温かい大きな手で僕をさすりながら、少し潤んだ優しいまなざしで先生はそう言った。
「そうか。手術が無事に終わったのか。よかった。僕、頑張って手術を乗り越えることができたんだね。なんだか、先生に褒めてもらうと、一気に元気が出てくる。先生はすごい獣医さんだ。やっぱり僕を助けてくれた。先生、ありがとう」そう思いながら、僕は再び、深い眠りに落ちていった。
次に目覚めた時は、僕は僕の病室に横たわっていた。
よく眠ったはずだが、まだ体が重い。けれど、前よりは少し上体を起こすことができるようになっていた。
僕が上体を起こしたその時、今日も先生が院長室から駆け寄ってきた。
「ずいぶん、長く起きなかったから心配してたんだ。どうだ。気分は?」
先生は、点滴の速度をチェックしながら、そう言った。
お腹にチクチクとした痛みがある。
お腹を切ったり、縫ったりしているからその痛みかもしれない。
その痛さのために動きがとまった僕を見て先生は、「お腹が痛いのか。そろそろ痛み止めが切れる頃だからな。今、痛みを取ってやるからな」と言った。そのあと、先生が薬を点滴の中に入れてくれて、すぐにその痛みは消えていった。
僕は不思議で仕方なかった。どうして、先生には僕のことが手に取るようにわかるんだろう。そして僕の苦痛を確実に救ってくれる。
先生は本当にすごい獣医さんだと思う。
僕が楽になったのを見極めてから、先生は温かい大きな掌に僕を乗っけて、手術のことを話してくれた。
手術は4時間もの時間を要した。
入院中に随分体力はついたはずだが、4時間にも及ぶ大手術は体に与えるダメージが大きすぎたようだ。
手術の途中に、呼吸がとまったりする危険が何度もあったそうだ。
4時間もの長い間、麻酔をかけながら僕の呼吸をしっかり維持するには困難を極めたそうだ。加えて、僕の身体が小さすぎることが難しさを助長した。
なにせ、先生はあの大きな手で、小さな僕のお腹の中の、途中で途切れた細い細い尿道と膀胱を手術したのだ。
つまり、人工的に尿道を作り、体外におしっこを排泄させる人工膀胱を僕のお腹につくってくれたのだ。緻密で正確さを求められる作業を手早く確実に行うのは至難の業だったそうだ。
けれど、先生の手術のおかげで、今まで僕のお腹に溜まる一方であったおしっこが、お腹に溜まることなく人工膀胱から出ていくことができるようになった。
これで一日に何回もお腹に直接針を刺すことも無くなったので、僕の苦痛はなくなった。感染の心配は変わらずあるものの、機会が減ったことは確かだ。
でも先生の一番の心配は、この人工膀胱がそう長くは使えないことだ。
僕はこれからどんどん大きくなるだろう。当然、それに合わせて、人工尿道の距離も長くしなければならない。
今のサイズの限界がやってきた時、再び、大きな手術が必要となるのだ。そう何度も何度もできるほど、僕へのダメージが少ない手術ではないのだ。
そこまで話した時、来るべき将来を思いやって、先生の表情が厳しくなった。
だから僕は、僕を抱き上げた先生の掌にグイグイ頭を擦りつけながら言った。
「先生。僕なら大丈夫。先生がきっと助けてくれる。そう信じているから」。
すると先生は、我に返ったように僕を見つめて優しい表情に戻る。
そして「どんなことがあっても、俺はお前を助けるからな。お前を幸せにするからな」と先生は言ってくれた。
「僕は、もうすでに、幸せだよ。先生」
僕はそう言いながら、先生の温かい手に包まれて再び、深い眠りに落ちていった。
その後、日に日に僕は元気になっていった。
熱がでることもなく、傷口が痛むこともなかった。
手術から4日目には起き上がって立つこともできるようになった。
5日目には手術前よりもっとミルクも飲めるようになったので離乳食を食べ始めた。
僕の仕事は、とにかく、よく眠ってよく食べて、まずは傷を治すことだ。
あと、おしっこをすること。
一日2回、もうつらい思いをしなくても、人工膀胱の先についているキャップをはずして、そこから注射器で看護師さんにおしっこを抜いてもらう。
そして、1日1回、膀胱洗浄をすること。それが僕の新しい日課になった。
先生が作ってくれた人工膀胱は完璧だ。
おしっこも「きれいな良いおしっこ」らしい。そういう風に看護師さんが先生に報告していた。
僕はすこぶる快調で、気分がよかった。
こんなにしんどくない日を過ごせるようになるなんて、本当に夢のようだ。
生まれて初めて、僕はしんどさや痛みがない毎日がどれだけ幸せかを実感した。
そしてあと一つ、僕が幸せを実感できる日課が増えた。
それは、その日一日のすべての仕事を終えた後に先生と過ごす「おしゃべりタイム」だ。
先生は、スタッフが帰った後も入院の動物たちの治療やカルテ整理などで、いつもいつも遅くまで病院に残っている。
容体の悪い動物が入院している時は一晩中、病院で夜を明かすこともある。 僕の容体が安定してからは、先生はお家に帰る前に必ず、僕の病室に来て僕とお話してくれることが日課になった。
「ベア。やっと今日も一日、仕事が終わったよ」先生はほっとしたような穏やかな顔で、僕の頭をなぜてくれる。そして、今日、この病院で起こった出来事など、あれこれ、僕にお話してくれる。
先生のお話は、やはり、ぜんぶ動物のことだ。
入院中の輸血が必要なプードルの心配や飲み込んだ異物をとる手術を終え無事に退院したラグドールのこと、飼い主さん自身が入院するため今日入院してきたゴールデンレトリバーのこと、などなど、全部、動物たちのことばかりだ。
そして最後に、「ベア。今日も元気でいてくれてうれしいよ。ありがとうな。おやすみ。また明日な!」そう言って、先生は頬ずりしてくれる。
僕にとってはこれ以上、幸せに包まれるひと時は他にはない。そして、僕は、安心して、深い眠りに落ちるのだ。
「大忙しの救世主」
朝は、なんだかバタバタした雰囲気の物音で目が覚めることが多い。
今日もすでに診察は始まっていて先生や看護師さんたちも大忙しだ。
僕は僕で、病室から、診察室に入ってくる動物たちを眺めたり、離乳食を頑張って食べたり、お昼寝したり、僕なりに大忙しだ。
あと、僕は随分、元気になったから、病室の中に看護師さんが入れてくれたおもちゃのボールを相手に「狩り」の練習を始めた。
初めはうまくできなかったし、すぐに体力が尽きてしまった。けれど、日に日に、ボールを押さえつけたり、すくいあげて放り投げたり、前足で転がして追いかけたりと、段々、「獲物」を捕まえることができるようになってきた。僕も退院する頃には、狩りの名人(名猫?)になっていたいものだ。
今日も今日とて、狩りの練習をしていると、ふいに診察室のドアがばたんと開いて、猫を抱えた飼い主さんがあわてて飛び込んできたのが目に入った。
「先生、この子、爪楊枝を食べてしまったの」と飼い主さんが泣きながら先生に受診理由を説明している。
なんだか、そのメインクーンはお腹を抱えて目を閉じたまま随分痛そうにしている。
そのまま検査室に連れていかれて、今日の夜に緊急手術することになったようだ。
その夜はいつも以上に、随分遅くまで、先生だけでなく、看護師さんたちもバタバタと忙しそうにしていた。
先生も僕の手術をしてくれた時と同じ格好の手術着を着て、本当に忙しそうにしていた。
先生が僕のところにやってきたのは、真夜中2時を過ぎた頃だった。
先生は少し疲れた顔をしていたが「やあ。ベア。まだ起きていたのか。やっと今日も一日、終わったよ」そう言いながら、僕の頭をなでてくれた。
メインクーンが飲み込んだ爪楊枝は、彼女の十二指腸を半分突き破った位置で発見された。
結果的に腸を開いて取り出す大手術になってしまったようだ。
猫は、元来、狩りで獲物を得ていた生まれながらのハンターだ。
その狩猟本能は今も残っていて、動くものを見ると勝手に体が反応して追いかけてしまう。
今回のように爪楊枝や、食パンの袋の留め金など、人間では考えられないことだが、それらを前足で弾いて遊んだり、口の中に入れたりしている間に、飲み込んでしまうことが多い。
ひも状の物もよく間違って飲み込んでしまって、飼い主さんたちが大騒ぎすることは本当に多い。
口の中やおしりから糸やひもが出ていることでひも状異物を飲み込んだことが発覚する場合もある。それを飼い主さんが慌てて引っ張ったりすると消化管に穴が開いて取り返しのつかないことが起こったりするらしい。
猫にとっては、まさに天敵となるひも状異物などは飼い主さんが管理してくれる他、予防策はないのだ。
今日の飼い主さんも自分が使った爪楊枝を床に落としたままにしてしまったことを本当に悔やんでしょんぼりしていた。
幸いなことにメインクーンは術後、容体は安定している。
でも先生は「あの子もつらかったろうな。かわいそうに。動物を守ってやれるのは、飼い主しかいないんだ。飼い主が気を付けるしかないんだよ」と少し厳しい口調でそう言った。
そう。先生は、いつも動物の味方だ。それがよくわかった。
次の日は、僕の病室の下に大きな犬が入院してきた。
僕の病室は2階建ての部屋の2階にあり小型の犬や猫がはいるようなサイズの病室になっている。
だから大型犬は、容体が悪くても2階のⅠⅭUではなく1階の病室に入院となる。
そのラブラドールレトリバーは子宮蓄膿症で子宮が破裂寸前の危険な容体らしい。昨日に引き続き、先生たちは今日も手術になるようだ。
予想通り、今夜も先生たちは夜遅い時間までバタバタと大忙しだった。
先生が僕のところにやってきたのは、今日と明日が入れ替わる12時頃だった。
昨日に続いて今日も時間外の手術をしたせいか、さすがに先生は疲れ切った顔をしていたが「やあ。ベア。まだ起きていたのか。やっと今日も一日、終わったよ」そう言いながら僕の頭をなでてくれた。
ラブラドールレトリバーの子宮は膿が溜まりすぎて破裂寸前の危機にあったが、無事、手術は終わったそうだ。
子宮蓄膿症は避妊手術をしていない犬に起こりやすい病気だ。先生は子宮蓄膿症で命を落とした犬を何匹も診てきた。だから先生は避妊手術を飼い主さんに必ず勧めている。
ただ、今回のようにいつもは他に主治医がいて、たまたま容体が悪くなった時に主治医が休診のため先生の所に急患としてやってくる場合は、先生にしてみれば、やりきれない思いでいっぱいになる。
1階の病室で横たわっているラブラドールレトリバーに向かって「お前もつらかったろうな。かわいそうに。主治医はちゃんと避妊手術を勧めておくべきだったと思うよ。本当に危ないところだった。よかったな。助かって」と先生は優しいまなざしで彼女を見つめてそう言った。
「ありがとう。先生」彼女の、細い途切れ途切れの感謝の言葉が2階にいる僕にも聞こえてきた。
先生は身をかがめて「もう大丈夫だよ。安心して眠るんだよ」と大きな温かい手で彼女の頭を撫でながらそう言った。
そのあと、彼女は深い眠りに落ちたようだった。それを見届けて、先生は「さあ。ベア。お前もゆっくりおやすみ。今日も元気でいてくれてうれしいよ。ありがとうな。また明日な!」そう言って僕に頬ずりしてくれた。
先生。僕たち、動物こそ、先生にありがとうと言いたいよ。
先生は全身全霊で、僕たち動物を救い、守ってくれようとしている。
先生に出会えた動物たちは、みんな本当に幸せだと思っているよ。そう思いながら、先生の掌の温かさの余韻を感じて、僕は今日も深い眠りに落ちていった。
「母さん猫」
次の日、「院長!またやられました!」という看護師さんの大きな声で僕は目覚めた。
「ひどいですよ。今度は、郵便受けの中に毛布も入れずにそのまま、5匹捨ててありました。ひどすぎます!」と、いつもは本当に優しい看護師さんが怒りで顔を真っ赤にしている。
「まったく!なんてことを!」
看護師さんに毛布で包まれ震えている5匹の赤ちゃん猫を見て、先生も怒り心頭に達したようにそう叫んだ。
先生はすぐさま、受付のスタッフを呼んで、「すぐにポスターを作って、あちこちに貼ってくれ!」と指示をだした。
「ポスターの内容は、こんな風に書いてくれ!『●月◎日夜、当院の郵便ポストに5匹の猫が捨てられました。動物の遺棄は犯罪です。1年以下の懲役、100万円以下の罰金が処せられます。防犯カメラの記録により、犯人がわかり次第、警察に通報します。また、当院では、捨てられた猫を一切、育てることは致しません!捨てられた猫の里親探しは、一切、致しません!』とね。
とにかく大きく書いて、玄関、駐車場、掲示板いろんなところに張り出しておいてくれ!」と先生は言った。
そのあと、僕の病室の前の処置台に、僕よりも小さな赤ちゃん猫たちが5匹乗せられているのが見えた。
「ニー、ニー」「ミャー、ミャー」と弱々しく鳴き声を上げているのが聞こえる。なんだか昔の自分を思い出した。
母さん猫はどうしたんだろう。
子どもを置いて自分だけどこかにいくはずがない。それとも5匹とも、僕と同じように病気だから置いていかれたのだろうか。あれこれと僕は心配になった。
けれど、そんな僕の思いなどお構いなしに、看護師さんたちはテキパキと5匹の身体の様子を観察し、体重を計ったり、目ヤニや鼻水を拭いたり、ミルクを飲ませたり、どんどん、世話をしていく。
まるでお母さん猫のようだ。
たちまち、子猫たちはお腹も満腹になりあったかい毛布にくるまれて、すやすやと眠りに落ちたようだった。そのあとは別室の入院部屋に入院となったようだ。
その夜、先生とのおしゃべりタイムが来るのを待っていると、先生と一緒に、初めて見る男の人が診察室に入ってきた。
そしてその人が僕を見つけて「おう。ベア。初めまして!だね!元気になってよかったな!」と、その人は先生にそっくりの優しいまなざしをして僕にそう言った。
驚いたけれど、なんだか僕の回復を応援してくれている人が先生たちの他にもいることがわかってとてもうれしかった。
その人は先生の長男だった。
長男さんは、どうやら子猫5匹の世話をするためにやってきたみたいだった。
入院部屋から処置室に連れてこられた子猫たちは、またお腹をすかせて「ニー、ニー」「ミャー、ミャー」と弱々しく小さな鳴き声を上げていた。 長男さんは、「これは小さいな。まだ目も開いてないから、しばらく大変だな」と言いながらも、手際よく、1匹1匹の様子を観察している。
ひととおり観察し終えると、長男さんはティッシュペーパーで子猫のおしっこの出口を優しく刺激し始めた。
子猫は、まるで母さん猫に舐めてもらっているような心地いい気分でおしっこをする。これで、またお腹いっぱい、子猫たちはミルクが飲める準備ができたのだ。
次に長男さんはミルクを準備し哺乳瓶で5匹に次々とミルクを飲ませた。最後は目ヤニや鼻水、ミルクを飲んだ後のお口の周囲などの汚れを優しく拭き取って、5匹をたちまち眠りにつかせてしまった。
まるで「母さん猫級」の子育ての腕前だ。しかも世話をしている長男さんの表情は、子猫たちへの愛情にあふれていた。
まるで先生が僕を見つめてくれている時と同じ表情だった。
そこに先生が他の入院の子の世話を終えてやってきた。
「ご苦労様。さすがだね。子猫の世話はプロ級というより母さん猫級だね」と先生は長男さんに声をかけた。
長男さんの子猫の世話の手際の良さを見て先生も僕と全く同じ感想を持ったようだ。
「ははは。まあね。でも、こんな小さな子たちを郵便ポストに押し込むなんて本当にひどいことをする奴があるものだ。許せないや。郵便ポストだって毎日開けるとは限らないし、このまま2,3日、気づかずにいたらどうするつもりなんだろう」と憤懣やるかたない表情で長男さんは声を荒げている。
「全くだ。ふざけるなと言いたいよ。ポスターもあちこちに張り出しておいたが、なかなか抑止力にはならないだろうな。とにかく、早く気づいてよかった。ところでどうだ?飲み具合は。」と先生は子猫たちのミルクの飲みっぷりについて長男さんに確認した。
「この2匹が飲みが悪そうで心配だよ。あとの3匹は力強く飲めるようだ。今12時だから、次は朝方4時ころ、もう一度、ミルクをあげに来るよ」と長男さんは言った。
「そうか。悪いが頼んだぞ。」そう言って、先生は5匹の子猫を僕の病室の隣に入院させた。
長男さんは、「ベア。これからはしばらく俺が毎日、夜中にミルクをあげに来るからね。俺とも仲良くしようぜ。よろしくな!」と僕に言って、お家に帰っていった。
先生は「ベア。少々、うるさいかもしれないが、お隣の入院患者たちだ。よろしく頼むよ」と僕に言った。
そして、待ちに待った先生とのおしゃべりタイムが始まった。
先生の病院では今までも何度も玄関などに子猫が捨てられたことがある。病院が終わってから夜遅くにこっそりと子猫を捨てに来る場合が多いらしい。
先生たちがすぐに気づけばいいが、見つかりにくい駐車場の陰などに捨てられ、気づいた時にはすっかり弱っていて手の施しようがなかったということも今までにはあったそうだ。
また、今日の子猫たちのように目が開いてないような小さな時期に捨てられたら、その後の世話が大変だ。
母さん猫がいない以上、誰かが世話をしなければならない。
ミルクも一回にはたくさん飲めないから頻回に飲ませなくてはならない。おしっこやうんちの世話、毛づくろいの世話なども、母さん猫がするようにずっと世話をしなければならない。それでなくても忙しい先生たちは、もっともっと忙しくなってしまうから本当に大変だ。
でも、それより何より野良猫だけでなく避妊手術を受けさせないで生まれてしまった自分の家の子猫であっても、「野山に捨てたら死ぬかもしれないからかわいそうだ。動物病院に捨てたら助けてもらえるだろう」という安易な間違った正義感から動物病院にわざわざ捨てに来る人がいる。
そんなご都合主義な思いに対して「思い違いも甚だしい偽善者だ」と先生は声を荒げてそう言い放った。
本当に先生のいうとおりだと僕も思った。
でも、次の瞬間、先生は急に肩を落として、
「でもね、本当に偽善者なのは、一番、許せないのは結局、俺自身だ。ベア。俺はね、もう二度と、子猫たちの命を奪いたくないんだよ」
先生は絞り出すように自分自身に吐き捨てるようにそう言った。
そんな先生の苦々しい表情を見るのは初めてだった。
「ベア。俺はね、俺は数えきれないほどのたくさんの動物の命を奪ってきたんだよ」先生は暗く重い口調でそう言った。
先生は、昔、動物の最終処分場で働いていたそうだ。
そこには毎日、捨て猫、捨て犬や野良猫、野良犬たちが次々と施設に集められてきた。
先生は動物の命を助けるために獣医になったはずなのに、そこでは法律どおりに期日が来たら安楽死をさせる役割を果たしていた。
先生は、その期日が来るまで収監された動物たちのご飯の世話やうんちの世話などをする中で、人間の身勝手で捨てられた動物や野良にされてしまった動物たちが先生に甘えてきたり懐いてくるようになったとしても、自分の手で命を奪わねばならない不条理、やり場のない憤りに日々、心が押し潰されていった。
飼い主に捨てられ処分されてしまうのに、それでもひたすら飼い主が迎えに来てくれるのを信じて待っている動物のけなげな瞳。自分の命を奪おうとする人間を信じ切った澄んだ瞳。
その瞳に見つめられる度、尊く美しい魂を自分は葬らなければならないのか、先生は、日々、心が粉々に砕けていくのを感じていた。
一方で、先生は「動物と人間がこの社会で共存していくためには仕方ないことなんだ」と自分に言い聞かせながらその仕事を続けていたが、やがて先生の心が限界に達した。自己嫌悪、罪悪感、無力感、絶望感、そんな思いで自分の心が溢れた時、先生はその仕事を辞めた。
そこでは、生まれて目が開かないような小さな子猫は、ほぼ安楽死となっていた。実際に手を下すのが獣医である先生の仕事だった。
先生は安楽死させた1匹1匹の姿を30年経った今でも決して忘れてはいない。
「俺はもう二度と安楽死はしない。」先生はそう強く思っている。
先生は今、その時の「償い」を必死でしているのかもしれないと僕は思った。
そんな先生の強い味方が長男さんらしい。
これまでも長男さんは、子猫が捨てられると自分から子猫の世話を申し出てくれて、特に夜中の授乳とおしっこの世話をしてくれている。
これまでに長男さんによって立派に育てられ新しい里親さんにもらわれていった幸せな子猫の数は数えきれないほど、その功績は大きい。
今回もまた、長男さんが母さん猫になってくれるようだ。
なんだか、今日の子猫たちがうらやましい気がした。本物の母さん猫はいないけれど、こんなにも大切に育てて守ってくれる人たちに巡り合うことができたんだ。本当に幸せな運命だと思った。
先生はしばらく僕とそんなお話をした後、「ベア。今日も元気でいてくれてうれしいよ。ありがとうな。とにかく早くおやすみ。今夜からは毎日、夜中に起こされるかもしれないぞ!」そう言って先生は頬ずりしてくれる。 僕にとってはこれ以上、幸せに包まれるひと時は他にはない。
子猫たちも幸せな運命だけれど、僕がきっと一番幸せだ。そして、僕は、安心して今日も眠りに落ちていった。
夜中に起こされるかもしれないという先生の心配は杞憂に終わり、僕はぐっすり朝まで眠った。
目が覚めると、ちょうど、看護師さんたちが5匹の子猫たちを隣の病室から処置台に移して世話をしているところだった。
長男さんは、僕が眠っている間にちゃんと5匹の世話をしてくれたようで、「朝方4時にこの3匹はミルク30cc飲めたみたい。あとの2匹は飲みが悪いみたいね」と看護師さんたちが話していた。
さすがは母さん猫だ。昼間は、看護師さんたちが母さん猫として、5匹の世話をやいてくれる。
きっと、もうこの子猫たちは大丈夫だと思った。
第2話 https://editor.note.com/notes/nd1e5eaea35c8/edit/