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#174_規則の尊重から社会をみる

今日は地元サークルの学習会だった。
「規則の尊重」を窓口に、わたしたちの生き方についての話合いをした。

スタートは「きまりはあった方がよいか?」という問いから。
「最初は必要だが、最終的にはなくてよい。」「なくなる世界に至るまでにきまりが必要。」「校則がない高校に進学した。自由度が高くて過ごしやすかった。」など、教室、社会を起点にした考えが出てきた。

次の問いは学校内の想定で「この中でなくせるきまりはあるか?」
きまりはない方がよいが、実際に学校や学級を運用するとなると、やはりきまりの力に頼りたくなる気持ちもわかる、実際になくすことは難しいかも・・・という考えが出てきた。
中学校と小学校の差も大きい。中学校の方が校則が多い分、ハードルは高め。
だからこそ、小中のギャップが大きいのかも・・・という課題も見えた。

幼→小→中の接続をいかにスムーズにするか、段差をなくすかは子どもの未来を繋ぐ鍵だと改めて感じる。

こういう話合いが職場でできたらいいな。
「きまりはあった方がいいか?」をテーマに、校則についてお互いの意見を交流し合う。
職員間での共通理解がないのに、子どもたちを主権者にするのは難しい。
まずは職員室から。
今の職場ならできる気がする。

後半は、「あった方がいい?」という教材をもとに授業づくり。
自分の脇の甘さを痛感する。
毎日の授業の積み重ねができていない。
もっと積み重ねないと、力はつかないことを痛感した。
実践と理論の往還は、ここでも変わらない。
実践したら振り返って理論化していかないと、せっかくの学びの機会を無駄にすることになる。

今日は自尊心が下がる日だったけど、それでも遠くから足を運んでくださる先生がいるから
わたしは今日も、がんばろうと思えた。
支えてくれる方に感謝して
もっともっと、地を豊かに耕したい。

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