#49_石碑に刻まれた思い

勤務校付近のフィールドワークに出かけた。
思わぬ過去と巡り会った。

そこにあったのは、昭和初期に建てられた石碑。

よく読むと、過去に水害があった記念碑だった。
以下に、記されていた言葉を記す。(一部略)

昭和22年九月〇〇県下はカスリン台風の襲来にあう。同十五日午後三時過ぎ突如まことに突如として不気味なる音響とともに荒砥川は二メートルの水高をもつ濁流となつて押下り瞬時にして根古屋部落を流失し更に本流は沿岸を襲い支流は大胡上町より仲町下町を貫流し客関において本流に合し他の一支流は琴平町を流下して本流に合す。このため大胡町は文字通り水魔の跳梁にふみにじられ生きながらの地獄を現出するに至る。日没なり水勢衰えを見せ安堵の思いをなすもこの間各河川の橋梁は全部流出し交通社絶の中に不安の夜を迎えたり。殊荒砥川を挟んで東西は数日間孤立す。幸い消防団員はじめ有志の献身的なる努力により誘導避難の宜しきを得て被害を最少に止め得たるも、その影には消防団員六名の殉職者を出すに至る。被害は死者七十一名、重軽傷者四三四名、家屋流出一ニ四戸、倒壊半壊九八戸、埋没ニ九七戸、床上浸水一〇五戸、被災世帯六〇〇世帯、二五〇〇名埋没冠水。(中略)
本年恰かも(あたかも)水害十周年を迎えるに際し当時の状況を記し数々の恩愛を謝するとともに、後人のために再びこの不幸を繰り返すことの誡めとなし、併せて子孫は今後赤城山の治山治水に努め河川愛護に衷心されることを切望して建碑の記となす。
昭和三二年九月十五日

衝撃的すぎて震えた。
勤務校のすぐ裏に、こんな事実が隠されていたなんて。

同じ災害を繰り返さないために、、、という点も、心から共感した。
子どもたちは絶対、知らない。
親も、知らない。

今扱っている単元の終末に相応しい石碑。
必ず触れる。
先人が決死の思いでわたしたち子孫に遺した教訓を、後世に確実に伝えるために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?