#112_古書を読む「主体にきり結ぶ発問」

1969年に発刊された本書は、静岡大学教育学部附属静岡中学校の当時の研究をまとめたものである。

生徒は生まれながらにして主体性をもっているわけではない、という書きぶりは現代の教育観とはやや離れた場所にあると感じずにはいられないが、その後の書きぶりは納得のいく内容である。

子どもは客観的環境に働きかけながら、自分の主体性を自覚していくのである。つまり、対象に働きかける実践ということが主体を確立する基礎となっている。

中学校の多くの教科は、小学校の礎のもとに成り立っている。
小学校で主体的な学習が習慣化している子どもと、小学校の時点で受動的な学習をする習慣がついている子どもとでは、その学習への構えは大きく異なる。
この書籍の子どもたちは恐らく、後者のような実態をもった子どもたちなのであろう。

この場合、客観世界が単調であったり、その本質に迫る認識が浅かったりすれば、主体性は幼稚な段階で固定化してしまう。ところが、人間が複雑な物質的社会的環境にとりまかれていると、主体性は容易に組織化されない。そこに、外的状況ときり離して自分の主体性を保持しようとする傾向も生じてくる。(中略)
この主体性の状態をそのまま是認するのでは教育の役割は果たせない。この主体性をより高次のものに高めることによって、さらに高い段階の均衡状態を可能にすることを目指している。現代社会が複雑であればあるほど、教育の役割は重要になってくるのである。

この内容は特筆すべきものである。
1960年代は大型デパートができ始めた高度経済成長期である。
人々の生活が大きく変わり、消費の場が専門店街からデパートへと移り変わり、流通が複雑化し始めた時期である。
生産と生活の場が離れ始め、モノの出所が見えにくくなったのもこの時期だ。
生活から「死」が切り離されて考えられるようになったため、「生」を感じにくくなった。
生活のなかから学びの場が消失し始めた時期でもある。
意図的に学ばないと「生きている実感」を感じにくくなったからこそ、見えないしくみを見えるようにする学校での学びがより重要視されるようになったのである。

1960年代、70年代の書籍の面白さは、この時代が大きく変わる中で生きてきた人々の生々しい実感が、具体を通して記録されてるからであると感じた。

2020年代の今、社会はより複雑化し、学校での学びと生活との乖離がますます進んでいる。
今こそ生々しい学びの場が必要であろう。
そのためには・・・正直、幼児教育やシングルエイジ(9歳まで)の実感を伴う体験活動が一番重要で、小学校中学年以降はその体験に基づいた、教科の本質に迫る学びの場をつくることが急務だ。

主体性の発揮には、体験を礎とした教科の本質に迫る学びが必要である。
そんな学びの場をつくれるよう、これからも日々精進していきたい。

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