海外旅行の思い出Vietnam編♪

2015年・・
私が日本語教室で外国人に対し日本語を教えるボランティアをし始めて3年が経った頃、あるベトナム人女性と知り合う。彼女はどうやら技能実習生として来日し3年が経とうとしていて、電話で話した記憶がある。

日本語が流暢な子だな・・。

彼女の第一印象。
聞けばベトナムの大学で日本語を専攻し日本に憧れ来日したらしい。
広島県福山市の縫製会社で働いていた。半年後に妻になる女性。
今でこそ解るが日本は大企業が1割。中小企業が9割ある中で人件費を抑える為だったり日本人のやりたくない仕事を外国人で補う(語弊あり)しかない現実の問題を私自身が学び始めるきっかけとなった出来事(結婚)だった。

3年間日本で働き日本の技術を母国へ持ち帰る名目の技能実習生として3年経ち在留資格(以下ビザ)の期限がなくなるつまり帰国するか日本に留まるか、彼女自身が悩んでいた時期だった。

ベトナムの貧しい家庭で生まれ育った彼女は一家を背負う覚悟で日本へやってきた。毎月僅かな給料の中から家族へ送金する。日本円で3万円送金すると家族が1ヵ月生活できるらしい。

この話を聞いて以来、私は視野を広く持ち、相手の背景まで考えて話さなければと思うようになったのを覚えている。2015年10月に結婚。出会って半年のスピード婚、年の差婚、国際結婚となった。その年の12月、彼女の御両親に挨拶の為、2人でベトナムへ行った。ベトナム中部のフエ出身の彼女はフエは日本で言う京都だと教えてくれた。ハノイは大阪。ホーチミンが東京のようだと言っていた。

空港からバスで1時間走ったくらいだったか彼女の実家に到着。豪華なベトナム料理で出迎えてくれた。

しかしながら、未熟な2人はすれ違い3年半で別れる事になる。

バイクのクラクションが鳴り響くベトナム。これがアジアの雑踏だ!!
2人乗りはOK。4人乗りも見かけた。父親が小さな子供を前と背中に、その後ろに母親。お酒を飲んでも少しくらいなら運転して良いらしい。警察に呼び止められても賄賂で見逃してくれる。驚きの連続のベトナムだった。

2015年は私が日本語学校に入った年。日本語教師として駆け出しの3年間を共に過ごした。中国人留学生から一気にベトナム人留学生が増え続けていた2015年。日本の文化と似ているところがあり人も真面目で優しい。留学生は若く前向きで日本での生活に意欲満々。前妻は当時20代で留学生とも年が近くFacebookで交流していた。

日本語教室で出会ったベトナム人夫婦が車で有名な御寺へ連れて行ってくれたり、前妻も初めて来たというホーチミンも歩いた。日本のように道に横断歩道や信号といった便利なものより道の向こう側へ横断する為には車やバイクを避けながらの横断にもチャレンジ?した。中々スリルな体験だった(笑)

ベトナムのビールやフォー(麺)など食事も満喫。

それから4年後、私が専門学校の日本語学科で勤務時に出張でベトナム(ハノイ)を訪れる事になる。日本留学ビジネス、エージェントとは?・・08年の留学生30万人計画。2024年から10年先までに留学生を40万人にするという国(日本)の計画。彼女との結婚を機に多くを学ぶ時間だった。発展途上国から日本に留学生や労働者として来日する彼ら彼女達の命を懸けた決断(来日)を今後も個人的には応援したいと思います。

「笑って。あなたは運が良いのだから。」

日本の社会生活は運が無かったと嘆く私に彼女の言葉。世界にはもっと貧しくもっと不幸な環境に身を置く人がいるんだ。

2015年。9年前の出来事を機に私はグローバルな視野で物事を見て考えるようになりました。私の転機となった一年。今も思うのは、これからも在留外国人の味方でいようと。

「海外旅行の思い出Vietnam編♪」は旅行そのものよりも出会いを思い出す時間となりました。

2024年7月9日。夕食後、広島の自宅より。







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