【エッセイ】:親に嫌われ、そしてそれ受け入れるまで②親に嫌われていると腹落ちしたら、片付けることができました
どっちが迷惑
自分は性格が悪いと気づいてからも、何とか生きていた。自分の価値のなさに気づいて落ち込むことが多かったけれど、夫と出会い、社会人になって紆余曲折を経験して、「少しは大人になれたかも🦆」と思う時期もあった。
それから結婚して、子どもができて更に気づかされる。
自分の至らなさや、ワガママ、幼児性。ヒドイ人間性。
夫に甘えすぎて嫌われた。
息子の障害のことで困った時、自分が動かないと世の中の人は誰も助けてくれないことをようやく知った。
義理の父に「あなたには興味ない」と言われ、
義理の母に「お姉さんたちは普通なのにね」と言われ、
「ああ、やっぱり。私は嫌われるんだ」
と、確信した。
経験を重ねていくごとに自分のことがどんどん嫌いになりながらも、子どもたちの存在に救われ、心の広い夫に助けられながら過ごしていた。
幸せなのに、とても不安だった。
この頃はスピリチュアルなブログを読んだり、子どもたちとアニメを観たりして気を紛らわしたりしていた。絵本や小説を描いたり、パンを焼いたりもした。色々なことに手を出して不安を誤魔化していた。
そして、嫌われていることをあぶり出す出来事が起きる。
ある年、お盆に帰省するのをやめると電話をしたことがあった。理由は、3人の子どもたちを連れて帰ったら人数が多くなってしまう。姉たちの家族も来ることだし、料理をつくる母には迷惑かけると思ったからだ。
理由も一緒に今年は帰らないことを告げると、
「どっちが迷惑なの?」
母は冷たく言った。
すっかり油断していた。母を思いやって言ったはずの言葉が、こんな風に返ってくるとは思わなかった。嫌われていることから目をそらしすぎて、冷たく返されることを予想できなくなっていたのか?
帰省して私が迷惑をかけることは想像できる。でも、帰ることで私が迷惑被ることはない。それなのに、
「どっちが迷惑」
迷惑かけるから帰りたいのではなく、私が実家を嫌いだから帰らないんだと思ったのかもしれない。過去、帰省時に両親の気に障ることをしたのかもしれない。
でも、言葉の意味そのものより、やり取りの中に真意が隠れている。声の温度にはっきりと現れている。
「どっちかが迷惑なの?」という言葉には、
「あんたには会いたくない」
という思いがにじみ出ていた。
来なくていい。
会いたくない。
どうせお前は私たちが嫌いなんだろ?
来るなよ。
私にはそう聞こえた。
もはやその気持ちを隠すつもりもなかったのかもしれない。
私の実家は私がいなくてもいいんだ。
その時ようやく理解した。
その時は悲しかったけれど、不思議と納得した。
小さい頃から薄々感じていたものが不意に現れただけだから、怒る気にもなれなかった。
両親には優しい姉がいる。私は性格が悪い。要領も悪い。金銭面でも役立たず。
私はいらない存在なんだとわかった。
親にさえ嫌われているのだ。
自分には価値がない。
自分には味方がいない。
そんな思いのまま生活していた。
更に後ろ向きになり、猛烈卑屈人間になっていく。
すると、幼稚園、学校の人間関係も悪くなる。
どこにも味方がいない。
それでも、子どもは好きで、「お母さんスキ」と言ってくれるのが嬉しくて、こんな自分を何とかしたかった。
でも、私は価値のない人間。
でも、でも、打開策はあるかもしれない。
でも、でも、でも
そんなときに出会ったのが、
「価値のある人間なんて、この世にいない」
という言葉だった。
価値のある人間なんていない
いつ、どこで読んだかはの覚えていない。
正しいことはわからない。
仏教の考えらしいということだけ。
でも、言葉だけは強烈に残った。
「この世界に価値のない人間なんていない」
という言葉は聞いたことがある。
「いやいや、ここに価値無し人間いるよ!」
「あたし価値ないよ!」
と、本気で思っていた。
でも、逆は初めて聞いた。
衝撃を受けた。
「価値のある人間はいない」
確かに、規模を宇宙サイズにしたら価値のある人間などいない。
みーんな土に帰るだけ。
その土もいつか宇宙の塵になる。
なーんだ。
父も母も姉たちも夫も義両親も、宇宙を相手にしたらなんと小さい。
大雑把に考えたら、宇宙が父さんで、地球が母ちゃんなんだ。
今まで気にしていたこと、くだらない。
そう考えるようになった。
この考え方で楽になれたのは、もともと植物や天気や地形の話が好きだったからだ。
雑草は、私が病もうと老いようと、私が身勝手でも、空気読めなくても、黙って季節ごとに生えては枯れる。それが好きだった。
天気も、地形も、月とか星とか。思いを馳せるとワクワクした。
私、草と同じになろう。そのへんに生えている草。とてもたくましい。いいよね、草。草になりたい。
そんな風に一瞬だけポジティブになった。
でも、この一瞬が大事だった。どうやら思いの受け止め方が柔らかくなった。自分自身の思いであって、他人のではない。
振り返ると、0‐100思考から少しだけ抜け出せた瞬間だった。
悲しいから腹に落ちる
それでも、この頃は小さな嫌なことが重なり、悲しくて、つらくて、よくわからないけど外に出ることができなくなっていた。
雨戸を開けるのもしんどくて、子どもがいるから無理矢理に起き上がっていた。
そして、コロナ禍がやってくる。
もし、コロナが来なかったら。
もし、人に会わないことがスタンダードになっていなかったら。
私はどうなっていただろう。
だいぶ怖い。
コロナを肯定するわけではない。たまたま「堂々と人に会わなくていい期間」が訪れたことで、私は少し休むことができた。
休むって大事。
そんな中、父が大病を患う。
それをきっかけに父と話をしたいと思ったけれど、初手で突っぱねられる。
すっかり心が折れた。
今思えば、はっきり言ってもらってよかったのだ。メールなんて闘病中の父の負担だから。
まあ、姉とはメールしてたんですけどね。姉も病気をきっかけに始めたんですけどね。
やっぱり私と姉は違うわけなんです。
父が亡くなった後、私は父との関係を振り返って、悲しくなった。
父は、何を言っても否定する人だった。
何か指摘されても受け入れられず、「それは違う」と言い切ってしまう。
そんな父の仏前に飾る花を選べば、
「ずいぶん安っぽい花。あの子が選んだの?」
という父の非難の声が頭に響く。
こんな風に、自分で何かを選択する時は父の見下した声が聞こえてくる。
小さい頃は可愛がられたはずなのに、私を小馬鹿にする父ばかりが蘇る。
大人になった私は、父に避けられ、見下され、嫌われていた。亡くなって、ようやく気づくことができた。
それなのに、親との関係を美化しようとしていないか?
父は、そんな私が気持ち悪かったんだ。
仲なんてよくないのに無理に美化して、嘘つきだと思っていたのだろう。
ああ、嫌われていた。
靄がかっていた親との関係がハッキリと見えてきた。
私は嫌われている自分が悲しくて、淋しくて、嘘をつくことで逃げていた。
そして、母が倒れたとき。
「あの子と一緒にいるのは嫌なのよね」
という発言を知ることになる。
ああ、やっぱり。
私は悲しさの反面、ほっとした。
その発言を知った数日後、私は夕飯の後片付けをしながら、やっとちゃんとした「嫌われている」証拠をもらったことに気づいた。
「あの子と一緒にいるのは嫌なのよね」は、「どっちが迷惑」の時よりはっきりとした証拠だ。
普段の脳内はずっとゴチャゴチャしているけれど、食器を洗っているときはクリアになるらしい。(ちなみに洗濯物を干すときも似ている)
ああ、やっぱり両親共々私が嫌いなんだ。
会いたくないんだ。
それなのに育ててくれたんだ。
ありがとう。
ようやく腹に落ちた。
ようやくスッキリした。
つづく
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