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【短編小説】物語は搾取されました 一、物語は搾取された


その付箋を見つけたのは靴を脱いだときだ。黄色い蛍光色の小さな紙は黒い靴下の裏に貼り付いていた。

 物語は搾取された
 Shimasaki J

(何だよ、これ)

 付箋を剥がしてシャツのポケットに入れた。意味不明な文字を読み、自分には関係ないとゴミ箱へ捨てようとしたはずなのに。
 何故なら、胸の中で誰かが囁いたのだ。これは重要なパスワードだ、と。

 ビジネスホテルの四角い窓ガラスの向こうは夜。ここは駅からそう遠くない。都会的な街明かりが見える。
 景色はちらりと見るだけでいい。
 スリッパに履き替え、鞄をテキトーに置いて、中からTシャツ短パン洗顔フォームを取り出した。
 夕飯はさっき済ませたから、さっさとスーツを脱いで、体を洗いたい。
 実は日帰りで済ませられる仕事だった。でも、一晩出張先のビジネスホテルに泊まって、翌朝のんびり帰るのが、達哉の見つけたちょっとした贅沢だった。
 出張先で出会った女の子と過ごすこともあったし、一人で飲み歩くこともあった。
 もはや小さな贅沢の域を越えてしまったかもしれない。
 洗面台の前でシャツを脱ぐと、さっきの付箋がポトリと落ちる。

(なにかの暗号みたい)

 達哉は鏡に貼り付ける。何だか気になるので後で調べることに決めた。
 部屋の水回りはリニューアルしたばかりなので、どうやってシャワーを出したらいいかもたつきながらもシャワーを終えて、白いシーツのベッドに寝転び、文字をスマホに打ち込んだ。

「物語は搾取された。Shimasaki J」

 すでに予感はあったのだと思う。だから早々に調べることにしたのだ。
 トップに現れたのは動画投稿サイトだった。
 『物語は搾取はされた』は、毎月出されるお題に沿った動画を投稿して楽しむサイトらしい。

ーー使用料は無料です。代わりに「物語」をいただきます。

 使い方ガイドの説明にしては、意味不明なことが書かれている。
 Shimasaki Jはここの人気ユーザーらしく、検索画面には投稿された画像が並んでいた。

(まさか)

 達哉はその1つから目が離せなくなった。どうしても確認しなくては行けない。せざるを得ない。達哉は恐る恐る最新動画の再生ボタンを押した。

 動画は音もなく始まった。

 シルバーの冷蔵庫を開ける女の姿が映る。
 定点カメラは絶妙に彼女の鼻から上を映さない。見えるかと思うと、後ろ姿に変わる。うまいこと編集しているんだなと思いながら、達哉はカラカラに渇いた喉を潤すためにペットボトルに残ったぬるい水を流し込んだ。

 〈わたしの朝ごはん〉

 白い文字でテロップが入る。
 生活する場所のはずなのに生活感のないキッチンで、彼女は手際よく朝ごはんの準備を始めた。
 コーヒーを入れている間、半解凍させたベーグルをトースターで焼いて、表面をカリッとさせる。
 トマトは薄切り。
 スモークサーモンはないから、ベーコンで代用。
 クリームチーズの代わりに、豆腐を水抜きして作ったソースを挟む。
 出来上がった料理を木目デザインのプレートに並べ、ベーグルの隣りに淹れたてのコーヒー。
 ガラス製のココット皿には手作りブラックベリーソースをかけたヨーグルト。
 それをダイニングテーブルに並べる。

「いただきます」

 彼女は手を合わせた。
 洗顔のときのヘアバンドもパイル生地のパジャマもそのままに、ベーグルにかぶりついた。
 目の前には彼がいる。やっぱり鼻頭から下しか映らない男は、VネックのTシャツが引き締まった体に似合っていた。

「おいしいね」

 優しい声で褒めてくれる。

 いちいち入るテロップは、肩の力抜けてますアピールに忙しかったくせに、

 〈これが私の小さな贅沢。休日の朝ごはん〉

と、最後の最後はややカッコつけた。

 ★

 達哉はしばらく動けなかった。

(お前は俺の妻じゃないか)

 あまりに似ていたから、再生せずにはいられなかった。動く女を見て確信した。顔を隠していたってわかる。その後ろ姿の肩のラインも、頭の形も、髪の色も、顎のほくろの位置も同じなのだ。疑う余地などなく、絶対に達哉の妻だった。
 彼女はもう何年も連れ添った家族だ。間違えようもない。

(彼って誰だよ。不倫相手かよ)

 配偶者はここにいるのに。

 これは何なのか。
 探るように達哉は次の動画の再生した。   


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