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【エッセイ】「私はどうせ嫌われる」の悪循環:親に嫌われていると腹落ちしたら、片付けることができました

※片付けとは関係のない話です

親に嫌われていると、
「他の人間もどうせ私を嫌うだろう」
となる。これは無意識だった。

私のベースに「私は嫌われる」がある。
初期設定が「嫌われる」という悲しくも笑える事実。

★こうなると人間関係は以下のように流れていく。 

私なんてどうせ嫌われる

虚勢を張る
傷つきたくないからバリアも張る
自分から人に話しかけられない

時々、話しかけてくれる優しい人が現れる

自分と仲良くしてくれて嬉しいけど、慣れていないから上手く立ち回れない。

嫌われないか不安になる
他の人に取られないか不安になる
自分のもとから去っていかないか不安になる

ある人には媚びへつらう
ある人には攻撃的になる 

裏表あり。
弱いものいじめをする。
嫉妬心が強い
と認識される。
つまり性格の悪さがバレてしまう。

はい、嫌われる



そりゃそうだよね。

でも、優しい人はちゃんとアドバイスを残して去っていった。

「悪口ばっかり言ってるね」
「私悪くないもんって思ってる?」
「自分だってできないくせに偉そう」
「あなたは悪い人ではないんだけどね」

 私のような、出会ったことが「災難」みたいな人間と関わった時、普通の人なら何も言わずに去っていく。これ以上被害にあわないようフェードアウトする。そして、私のいないところで「嫌なやつがいたんだよね」と言うだけだ。 
 それを上のような注意を添えてくれた人がいた。さり際に。
 お陰で、私は嫌われる性格だと気づく事が出来た。ありがたい言葉たちだ。いや、今でも泣きそうだけど。それは図星だからだけど。

「私は性格が悪い」
「私なんてどうせ、嫌われる」
「私なんてどうせ、いないほうがいい」
「だから、大人しくしていよう」
「だから、自分から誘わない」
「だから、誘われたら断らない」
「だから、人を褒めまくろう」
「だから、人を否定しない」

 「人を褒める」とか一見良さそうだけど、嫌われないための防御として人を褒めたって薄っぺらい。嫌われないために、自分を守るための自己中な考えは見抜かれる。どこか違和感がある。そして、人は離れていく。
 それでもよかった。 
 性格が悪い私は、どうせ人を不快にするから。
 どうせ嫌われるなら一人がいい。
 どうせ私なんていないほうがマシ→★に戻る


 これを、繰り返していく。

自己否定で自分を守っても
悪循環だ。
 

ついでの話
「本当の友だちができるといいね」
 と、友だちに言われたこともある。中学生の時だ。私の友だちは友だちではなかったらしい。当時はその事実をちゃんと受け入れられなかった。
 その時にもっと気づけたならよかったなぁ。

 でも、「本当の友だちではなかった」その人とは中学を卒業してからも連絡を取ることになる。ついには、お互い子どもが生まれてから食事をしたり。
 人間って不思議。
 それでいうと結婚できたことも不思議。
 この謎は解けない


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