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【エッセイ】:親に嫌われ、そしてそれ受け入れるまで①親に嫌われていると腹落ちしたら、片付けることができました

注意※ちょっと片付けから話しがそれて、
親に嫌われていることにフォーカスします 


どうして嫌われたのか。
正しいことはわからない。
そもそも、本当に嫌われているかは親本人にしかわからない。
嫌っていることに気づいていないかもしれない。
「そんなことないよー」
と、しらばっくれるかもしれない。
でも大丈夫。
私は嫌われていると実感している。
確信している。
逆相思相愛。
事実より、
そんな自分を認めて受け入れるほうが私には重要だった。

まず、嫌われていると思うに至った理由を以下に並べてみよう。

注意※

誤解のないようにしていただきたいのは、以下にあげる理由は必ず嫌われる原因になるわけではない。

好かれる子は好かれる。
愛される子は愛される。

これは見ず知らずの中年女性の話であって、誰にでも当てはまるわけではない。日本在住の一人の中年女性が親に嫌われていると考えるに至る下地に「たまたま」なった、くらいに考えてほしい。

そもそもの話、予定外。

・そもそも、3人目がほしいわけではなかった
・そもそも、親はどうせなら男の子がよかった
・そもそも、母は子どもが好きではない(本人談)

そもそもの話、私はうっかり腹にやってきた3人目の女の子。つまり、親は望んでいなかったてこと。
「あんたが生まれた時、産院の看護師さんに『あらら、また女の子ですね』って言われちゃった」
と、母が言っていた。おいおい看護師様、黙りたまえ。
産んでわかるけど、出産は母も赤児も必死なのよ。性別どころじゃないんだよ。
 だから母親も「別にどっちでもよかった」とは言ってくれた。
 けれど、「本当は男の子が良かった」というのは年々透けて見えるようになっていく。
 男の子だったらこういう名前にしたかった、とか。孫が男の子で嬉しい、とか。大人になってからは隠していた母の本音はこぼれた。母自身、気付いていなかった本音なのかもしれない。
でも、三人目の女だからといって男の子の格好を無理矢理させたり、生死に関わる放置や、虐待も、しなかったと思われる。多分。

 1人目だから、2人目だから、3人目だから。 
 本来ならそんなもん関係ない。
 ただ、私が「私って別にいなくてもよかったかも」と思うきっかけになった。 

母の発言集

「子どもは好きじゃない」
「私は冷たい親だから」
「子どもは一人で充分」

これらは実際、母の口から出た言葉だ。
この耳で聞いた。

姉はもっと強めの言葉を聞いたらしい。
私が直接聞いたわけではないけど、なかなかショックだった。
つまり、3人目とか予定外とかそれ以前に、もともと子ども好きではないってこと。

「親ばかって嫌い」
「ベタベタした親子関係って気持ち悪い」

テレビを観ている時など、こういう発言を度々していた。入院している子どもが母親がいないと眠れないと言っているのに対して、

「小1なら一人で寝られるでしょ。甘やかし過ぎ」

と、言っていたのが印象的だった。えーん、入院初日なのに厳しいね。

別に厳しくてもいい。
子煩悩でなくてもいい。
誰も彼もが子ども大好きママンじゃなくていい。
ただ、うちの母にはそんな性質があった。それなのに3人育てることになった。
そういう事実がある。

上2人より、よく動く、よく食べる、言うことを聞かない。


 私が大きくなるに連れ、上2人の女の子とけっこう違うことに母は気づく。泣き虫おとなしいタイプの姉たちと違って、天の邪鬼ワガママタイプの私に手を焼いたと思われる。実際動き回って大変だったらしい。
 見た目もかわいい女の子タイプではない。スカートをはいているのに男の子と間違われた実績がある。
 本当は男の子が欲しかったのに、男の子みたいな女の子。
 しかも、三人目にして手が掛かる子。
 苦労しただろう。

 ※話はそれますが、長女は私のおむつ替えを手伝わされたらしいです。ちなみに、長女は5つ上なので、5.6歳の女の子が赤ちゃんの布オムツを替えていたことになります。
 姉も苦労しています。

 両親にも姉にも苦労をかけている。末っ子あるあるかもしれないけど、色々手を焼いて苦労したという話を聞いた。
 あるあるかもしれない。特別ではないかもしれない。でも、どこかで「私はいないほうが良かったのでは?」という考えになる。
 
 姉二人で充分だったのでは?
 別にいなくてもよかったのではないか?
 いなければお金もかからなかった。
 むしろ、いないほうがいいんじゃないか?

 それを否定したくて無意識にジタバタし、怒られて逆効果になっていた。


私は性格が悪い

 そもそもの話に以下のことがプラスされる。

・私は性格が悪い 
→人に感謝しない。注意されると逆ギレ
→自分さえが良ければいいと思っている、それに気づかず自分を「いい人」だと勘違いしている
→自分より弱い立場の人に偉そうに接し、強い立場の人には媚を売る
→自分はいつだって褒められたいくせに、人は褒めない
→自分のために人は無償で動いてくれると信じている

 うーん。振り返っても最低な自分だ。私に出会った人たちに謝りたい。そして、どこか遠くの穴に閉じこもりたくなる。

・私は問題を起こす
→小学校低学年:勉強できない、漏らす、忘れ物多い、時間守らない、話聞かない。
→小学校高学年以降:前より勉強ができるようになり誰に対しても生意気になった。そのため、人間関係がますます悪化。低学年での失敗を隠すために虚勢を張りまくり悪化は止められない。先生の目にも余るようになる。

・私はガサツで不器用
→片付けられない(絵の具やクーピーもバラバラ、カバンの中グチャグチャ、提出物を無くす、部屋は汚部屋)
 手先が不器用なので、折り紙ができなかった。クラスで1人だけ折れない子だった。そのまま料理が苦手な人になった。要領も悪い。人より理解するのが遅いが、プライドが高いため困っても人を頼れない。

 総じて、
 人に嫌われる
 誰の評判も悪い
 姉2人と比べてかわいくない
 比べなくてもかわいくない

 優越感のための努力は惜しまなかったため、勉強や運動はそこそこできた。それが「自分はできる」「特別になれる」という勘違いを生んでいく。
 もともとは頭が悪く、不器用で気配りもできないのに優等生ぶる。優等生だと騙されてしまった先生や生徒たちはもうガッカリ。
 そして、ちゃんと、友だちがいなくなり、孤立した。
 独りよがりの勉強で大学受験でつまずく。特別どころか落ちこぼれていく。
 性格も見た目も悪いので異性にもモテない。
 全てにおいて傷つく勇気もないから劣等感だけが溜まっていく。
 
 自分が駄目なのは時代のせい。生まれつきの性格と見た目のせいにして腐っていた。
 最低だ。今は違うと言いたいけれど、言い切る自信はない。思い返すとやはり、穴を掘って埋まりたくなる。

他人だったら、こんな性格の悪い人間とは距離を置けばいい。でも、親は離れることができない。責任感のある真面目な親だったからこそ、私を嫌うことしかできなかったのだろう。
 家の手伝いもせず横柄な態度。父や母を労ることなく、口を開けばネガティブ発言。そんな人間がそばにいたら鬱陶しいし腹も立つ。
親だから許せ?
親だって人間だ。
自分は三姉妹の中で優先順位は低い。 
それは、どこかでわかっていた。多分小さな頃から。
 それでも、親家族にも嫌われていると確信できなかった。怖かったのかもしれない。
 それは甘えだった。
「どうせ私なんて」
と言って不貞腐れることで全てを誤魔化していた。

 つづく




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