好きとは言えずに弾けます(短編)


 あなたの家に引っ越したのはよく晴れた5月のことです。

「いい感じ、かな?」

 部屋に招き入れたあなたは、優しく訊ねました。
 わたしは黙ってうなずきました。今まで住んでいたところより、ずっと日当たりがよくて、ずっと広くて、とても気に入りました。
 ベランダからは、新緑の街が見えます。
 お隣りの庭で木苺の白い花が咲いていました。

「大切にするからね」

 彼の言葉に、わたしも微笑みで返します。
 とても幸福な気持ちでした。

 一緒に住んでわかったのですが、彼は忙しくてあまり家にいません。夜遅く帰ってきて、朝早く出ていきます。でも、仕事へ出かける前、彼はわたしと必ず朝食をとります。
 わたしはコップいっぱいの水。彼は果物か、オニギリを少しだけ。
 じっとわたしを見つめて、何も言わずに出ていきます。
 わたしのこと、ちゃんと好きなのかな?
 きいちゃおうかな。

 あなたに早く会いたくて、わたしはベランダで背伸びをして待ちました。 

 6月の雨の日でした。
 彼が部屋に連れてきたのは、小柄でかわいい女性でした。ショートカットと眼鏡の似合う、彼にお似合いの女性でした。
 二人は私の目の前で向かい合って、夕食を食べました。
 女性は私を見て、

「素敵ね」

 といいました。

「そうでしょ?」

 って、得意げなあなた。そして、二人は見つめ合ってキスをしました。
 わたしなんて、いないと思って。
 最近、あなたはわたしを見なくなりました。
 わたしは好き放題に荒れ放題。 
 背はぐんぐんと伸びました。
 だって、わたしミニトマトだから。

 わたしはいつもベランダにいます。 
 日差しが強すぎて、最近は後悔ばかりしています。日当たりのいいベランダは灼熱地獄。シャンと立っていられるのは、昨日降った雨のおかげ。
 ぐんぐん伸びて、赤い実がたくさんなりました。 
 すずなりの実は、恋に焦がれて熟していくみたい。
 夏になって、毎朝あなたはわたしを摘みます。
 素敵なあの人のために。
 最近のあなたは、黄色い花を褒めてくれるし、脇芽もちゃんと取ってくれます。支柱だって優しく添えてくれました。
 6月の雨の日にやってきた、かわいい彼女と向い合せで、素敵な朝ごはんを食べるために。

 8月のある日でした。
 赤いわたしを一つ食べて、あなたとかわいい彼女は顔を見合わせました。

「これあんまり甘くない」

「ハズレだね」

 二人は少し密やかに、でも楽しそうに笑いました。

 あなたたち、ハズレになったことある?

 あなたには好きと言わないことにしました。
 気持ちはどうせ、口の中で弾けてしまうから。
 せめてあなたの口の中で、消えていきたい。
 ハナムグリが食べに来る前に。どうか摘んでいってください。

 あなたを好きになったこと、ちょっと後悔しそうです。
 日当たりのいい灼熱のベランダ。
 近所の子どもたちの声。
 向かいの家の百日紅。
 全部好きでした。
 緑のへたが冠みたいで、あなたのお気に入りでした。今はお皿の中で干からびています。
 せめて、あなたの口の中で弾けたいんです。
 酸っぱくてもいいから。
 好きとは言わずに弾けます。
 だってわたしはミニトマトだから。

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