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【短編小説】物語は搾取されました 五、ナナちゃん

 まな板を上から映した映像から始まった。
 今朝はサンドイッチらしい。 
 1つはたまご。
 ゆで卵を大き目のフォークで潰して、マヨネーズと塩を混ぜる。ゆで卵を2つも使ったから、柔らかな食パンの上にたっぷりと卵の黄色が広がった。
 もう1つはハムとチーズと薄切りトマトとレタス。
 丸のままのレタスを銀色の冷蔵庫の野菜室から取り出す。
 レタスのお尻を押して、器用に芯をくり抜いた。その穴の空いたレタスを真ん中から裂き、翡翠色の淡いグラデーションの葉を食べやすい大きさにちぎり取る。
 氷水を張ったボウルに漬ける。
 達哉の気も知らず、彼女はバターを薄く塗り、水をよく切ったレタス、厚めのハム、チーズ、トマトと、次々にパンに乗せていく。
 対角線にパンを切り、三角のサンドイッチを皿に並べる。
 小鍋で温めたコーンスープを白いカップによそい、サンドイッチと一緒にダイニングテーブルに運ぶ。
 それは見慣れた後ろ姿。
 エプロンの紐が腰のあたりでリボン結びされ、おしりの上で揺れている。
 そういえば自宅では妻の後ろ姿ばかり見ていた。
 妻はいつも何かをしていて、達哉はそれを少し離れたところから見ていた。
 画面では、男がグラスを持って当然のように現れた。
 野菜ジュースだろうか。サンドイッチの隣りに濃いオレンジ色の液体が入ったグラスを並べる。
 二人は椅子に腰掛けた。
 カメラは、彼女の襟首から覗く白い肌やエプロンの下の丸い隆起にズームする。
 実際にズームしたのは出来上がった料理なのだが、達哉には妻に近づいたようにしか思えなかった。
 しかも、達哉はそれに触れられない。
 他の男の前でサンドイッチを頬張る妻に触ることができない。
 こちらの気など知らず、妻はサンドイッチを食べる。顎のほくろが映し出され、シャキシャキのレタスが音を立てた。
 中身が落ちないように慎重にサンドイッチを掴むその手に視線を移した時。
 達哉は眉を寄せた。
 彼女の左手に銀色の指輪を見つけたのだ。
 見覚えのある指輪だった。緩やかなカーブを描いたデザインで小さなダイヤがあしらわれている。

(指輪はしておくものなのだろうか)

 不倫相手との密会のときに。しかも、手元が映る動画を取るというのに?

ふと、カメラが二人を追いかけて移動した。

(カメラが動いた?)

 二人に近づいていく。まるで動画を観ている達哉が、ダイニングテーブルに歩み寄っているようだった。
 画面の下からマスカットが現れた。四角い皿に乗せられた黄緑色の球体の集合がサンドイッチの隣りに置かれる。

〈今日の小さな贅沢を忘れていました〉

 テロップが説明を始める。

〈撮影と編集をしているナナちゃんからお土産です〉

〈ナナちゃんは毎年ブドウ狩りに行っていて、必ず一緒に食べています。こんなおいしいマスカットを食べられるのって小さくない贅沢です。ナナちゃんありがとう〉

 妻はさっそくマスカットを齧る。テーブルに置かれた左手の薬指には、やっぱり指輪があった。達哉の贈った指輪だ。
 ふいに画面の下から、妻でも元カレでもない手が現れ、マスカットを一粒もぎりとった。
 妻と元カレがそれを見て笑う。
 カメラを持つ誰かがいる。
 この二人以外に誰かいる。
 コメント欄には「ナナちゃん」の文字が並んでいる。

ーー久々登場、ナナちゃん
ーーナナちゃん、元気ですか!
ーーナナちゃんのお土産マスカット、うまそう

(ナナちゃんって誰だよ)


 いや。ナナちゃんは撮影と編集していると、ちゃんと言っていた。
 元カレとふたりきりではないのか。
 動画を撮っていることが不倫の証拠にならないじゃないか。

(しかも彼女は指輪をしていた)

 達哉は他の動画もチェックした。料理をしているときは外していたが、食事の場面で指輪をしている画像を幾つか見つけた。

「不倫相手との日常を投稿するのも利用規約で禁止行為に当たりますので」

 運営会社からの電話で言っていた。
 不倫ではなかったのか。 

(もうやめよう)

 随分疲れてしまった。
 達哉はスマホを持つと、『物語は搾取された』アカウント設定画面をスクロールし、退会の文字をさがしだす。
 退会ボタンを押そうとして、手を止める。
 そのままベッドに体を投げ出した。ホテルのベッドとシーツの硬さを感じながら、目を閉じた。

(寂しい)

 瞼の裏には妻の、鼻から下の姿が蘇る。
 顎のほくろ、肌の白さ、胸の丸み。
 今はあの体に触りたかった。

    

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