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日本と海外の研究のスタイル

日本の研究

日本の研究はとにかく「コレ」を使って「何か」新しいことをやる。

コレは各研究室の秘伝のタレみたいなものがある。

コレがほぼ固定なので、既に膨大な反応例がある場合には「何か」をマニアックにするしかない。

マニアックな「何か」はそもそも準備が大変だったり、重箱の隅をつつく内容だったりになりやすい。

でも「コレ」が固定されているので、もはやどうもできない。

こだわりが強すぎると「コレ」以外のもので「何か」ができちゃっても、そんなのは面白くない、と論文化されずに闇に葬られたりするとかなんとか。

PIが神。

あとは奴隷。

学生の時に筆者がよく言われていたのは博士課程は「最底辺の身分」。

海外の研究

海外の研究は「何か」面白いことをやる。

その「何か」が達成できるなら「コレ」はなんでも良い。

むしろ「何か」を達成するために、もっとも簡略化したシンプルなスタイルで臨むので準備は簡単であれば簡単なほど良い。

「何か」がいかに新しいか、過去に前例がないかをよく考えて研究を始めるので新しい発見だったり、研究室で使える「コレ」に多様性が生まれる。

それでも研究室ごとに「何か」の部分が偏るので、コレもそれなりに研究室の特徴が出たりする。

こんな感じなので突拍子もないあっと驚く新しい事が出てきたりしやすいのかも?

基本、PIは否定しない。

PIと学生は対等な立場。

もちろん好き勝手やって全然ダメな奴には苦言を呈することもあるが、それ以外は基本否定しない。

ラボによって方針は違うと思います。

アメリカや中国はもうちょっとビジネスライクな気がします(が実際はどうなのでしょうね)。


ふと思った日本と海外の研究スタイルの違いでした。


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