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自分と異なる考えを受け入れるために

多様な考えや価値観をもつ人を理解したい。
頭ではそうありたいと思っている。
でも、自分と考えが異なるとき、受け入れるのが急に難しくなる。
不思議なくらいに。
自分の考えが正しくて、他の意見や考えは間違っているかのように感じてしまうから、おそろしい。
それでも、本や新聞などの文章で読むときは俯瞰しているからか、そういう考え方もあるんだと冷静に思えるのに。

私は自分の考えにとらわれて、周りがみえなくなりやすい。
特に息子に対して夫と異なる考えを持つときが、そうだ。
夫は息子に対して厳しい口調(話し方)で接することが多い。
そして、体調が悪くてもやるべきことはやるんだ、と息子に言い続けている(やっていないと注意する)。
それに対し、私は息子が体調不良のとき、特にパニックや反抗するときはあまり刺激しないでほしいと思ってしまう。
だから、いつも息子がやっていること(例えば、洗濯した自分の服をたたんでしまうこと)をやらなくても、見て見ぬふりをする。

どちらが良いとか悪いとかではない。
どちらも、最終ゴール(目的)は同じはずだ。
息子が自分自身でできることを増やす、そして生きていく力を高めること。
同じ目的なのに、手段が違うことで摩擦が生じる。
ときには、息子そっちのけで言い争うことになってしまう(残念なことに)。

こうやって書いていると、異なる考えを受け入れる(吸収する)には、冷静に考える時間があれば、できるのかもしれないと思えてくる。
私は衝動的に「うるさい」とか「やめて」と言ってしまうことが多い。
だからその言葉をグッとのみこんで、同時に湧き上がってくる感情や衝動をしばらく無視する、それができたら変わるかもしれない。


今こうしてnoteで文章を書けるようになったのは、夫のおかげだ。
夫は数年前から何度も何度も(あきらめずに)、私に息子のことを文章にするように勧めた。
私は書きたくないわけではないけれど、書き出せなかった。
人に読んでもらえる文章を書こうと思うと、スタートに立つ勇気が持てなかった。
会社をやめてからは、今までよりも息子の成長のために伴走できると思っていた。
見守る時間は増えたはずなのに、息子はできることが増えない。
それどころか3歩進んで2歩下がれば良くて、3歩進んでも3歩以上下がることが多い状態が続いていた。
そして今夏には側弯症手術の入院をして(付き添って入院し)、振り返ればこの1年息子に振り回され続けていた。

だからこそ今、自分を取り戻して、負のスパイラルを断ち切るきっかけをつくりたかった。
その切実な思いが私の背中を押して、書くしかなかった。
まだ書き始めたばかりで、負のスパイラルは断ち切れてはいない。
それでも、こうして冷静になって自分の考えを整理できるようになったことは、小さな一歩だ。
そして、大きな一歩でもある。



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