パラリンピック


本当のことを言うと、


福島で開催されるのは、オリンピックの方だけだったし、


「パラリンピックは私に関係ない」


感じがしていました。


最終日にあたる9月5日に、Jヴィレッジで「Sports Volunteer Festival(ボランティア後夜祭)」を開催するつもりだったので、余計に「見てる余裕もないだろうな」と思っていました。


しかし、状況は変わりました。


コロナ感染拡大は収まらず、Sports Volunteer Festival 2021 in Fukushimaは中止(延期)となり、


一方、パラリンピックは無観客ながら、一日中テレビ放送があり、思いがけず目にする機会が多々ありました。


見ると面白くてやめられない!


最初に釘付けになったのは、陸上長距離の視覚障害のレース。選手と伴走者が身体的にも精神的にも絶妙の関係を保ちながら、駆け引きのあるレースを展開していることにものすごく惹かれました。


車椅子バスケ、ラグビー、シッティングバレー、ブラインドサッカー、ゴールボールといった団体スポーツは、全てその高い技術と仲間との連携力に驚き、面白く見させてもらいました。


卓球は各クラスいずれも技術力に感嘆!


トライアスロンや自転車は諦めない姿勢に震えました。


また、選手のインタビューがいいんですよね!


感動したり、微笑んだり、癒されたり・・・


そうそう、この先、一番楽しみな種目はボッチャです。すごい!だけじゃなく、単純に本当に面白いゲームですよね!


人間って強いなぁ!逞しいなぁ!かっこいいなぁ!


そんな気持ちを連日いただいています。


パラリンピックを連日目にすることで一番変わったのは、自分の心かも、と思います。


障害者を差別してはいけない、とか、障害者を特別な目で見るのではなく対等の関係でいようとか、優しくしようとか手助けしようとか、そんな感覚を持っていた気がするのですが、


次第にそれが変化しています。


水泳競技を見ることで、四肢欠損の人の姿に「慣れ」て、そこに全く驚いたりビビったりしなくなった自分がいます。そういえば中学時代の体育の先生が、顔半分に大きな赤いアザのある人でしたが、入学式の日はビビったけど、それ以降全くそれが気にならず、ただの「面白いけどこええ(怖い)先生」になっていました。参観日の後、母が「顔にアザのある先生」と表現したので「あー、そういえば!」とアザのことを思いだしたほどです。


パラリンピックを通して、あの時の感覚がよみがえってきました。


「障害」とか「壁」はいつの間にか無くなっていることもあるという感覚。


そして、これまで「同情」に近かった気持ちが、「リスペクト」と「共感」に変わっているのです。


おそらく日本中に私と同じような変化を得た人がたくさんいるのではないでしょうか。


パラリンピックを開催し、それをオリンピックに負けないほどちゃんと放映してくれたことは意義深かったなと実感しています。


これからは、トップアスリートだけでなく、誰もがスポーツに親しめる環境が整うことを願います。


ボランティアにできることもいっぱいありそうですね!


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