Leonと森喜朗


森喜朗氏の、「女性のいる会議云々・・」問題は、世界のジェンダー平等の流れに逆らっているもので、もちろんオリンピックの「差異を超え、平和でより良い世界の実現」という理念にも反しており、世界中のヒンシュクを買っていることに、ひとりの日本人として悲しく、残念な気持ちでいます。


なぜそんな言葉が出たのか、を考えると、もう「お年」としか言いようがない気もします。


ご自身が生きてきた時代は、日本が戦争を起こし、負け、どん底に落ち、そこから高度経済成長で再び世界の先進国となり、80年代には「Japan as No.1」を実現、そしてバブル崩壊、緩やかな転落・・・。


自分たち世代こそが正しい、という感覚はもう身に染みついているんだと思います。その時代、日本経済は明らかに男中心で進んでいました。


そして何よりも現在、「お年」なのでセーブ機能が働かず、つい口に出てしまうのではないでしょうか。


そんな森さんの発言にがっかりして、ボランティアを辞退する人がたくさん出ているとのこと。


そういう気持ちになる人がいることも理解できます。


・・・そうなると、日本でも数少ない「スポーツボランティア専門のNPO」であるルーターズに取材の電話がたくさん入ってきます。森喜朗バブルですな笑。


なので、ここに、私(個人)の気持ちを明記しておきたいと思います。(全然違う意見を求められることがあるので。特にテレビ局^^;)


私は森氏の発言を容認することはできませんが、オリパラ問題の本質は「なぜ、誰が、何のために、森氏を組織委員会会長につかせているのか。」だと思っているので、森氏が辞めればスッキリということは全くなく、逆にそこを知るためにはもう少しその職についていてもらって、問題の本質を調べて欲しいとさえ感じています。


25年以上前の映画でありながら、今も人気の「Leon」という映画があります。


私はこの映画が封切られた頃、南会津の小さな町で子育てに追われ、とても映画など見る機会もありませんでした。


実はつい数ヶ月前、講師をしている高校の生徒から「先生、絶対観て!」と言われて初めて観たのです。ネットフリックスで。


殺し屋「レオン」(ジャン・レノ)と孤児となった12歳の少女「マチルダ」(ナタリー・ポートマン)によって描かれる、ある意味究極の「愛」の物語です。本当に面白く、そして心に沁みる傑作映画です。(詳細はぜひ映画を観てくださいね!)


この映画の登場人物に、カフェのオヤジ「トニー」がいます。物語における重要人物です。


彼はおおらかで、懐が深く、情も厚く、誰からも信頼され、マチルダも心を許す素敵なカフェのオヤジですが、実はレオンを殺し屋として育て、殺しの仕事を回し、彼の生活を支え、彼の財産まで管理しています。さらに、もっと恐ろしいことに、レオンと敵対する警察組織のボス・「スタン」(=本当はマフィアのボス)の配下にあり、スタンと敵対する麻薬組織やマフィアを壊滅させ、スタンの勢力拡大を支えるという顔も持っていました。


私は森さんを見るとなぜか「トニー」を思い出してしまうのです。


ラグビー好きの私には、逞しく、心優しい、けど時々ポカをやらかす、憎めないオールドラガーマンに見えていた森さんですが、


私自身がオリパラに少しずつ関わっていくにつれ、もしかしたら森さんは「トニー」なのかも・・・と思い始めました。


「トニー」はいわゆる、単純な「悪役」ではありません。


レオンが死んだ後も、その財産を管理しながらマチルダを学校へ通わせます。本当は心のある優しい人物なのです。


でも、もう泥沼から抜け出すことはできないのでしょう。


「組織」が人を変え、人は「組織」のがんじがらめによって自分自身を見失ってしまうことがある。そこにはたいてい「お金」が介在する。


そのお金にまみれた麻薬のような、マフィアのような、「組織」の糸に絡め取られたら、抜け出すことなど不可能なのです。トニーもレオンもスタンも・・・


でも、だからこそ、殺し屋レオンに初めて芽生えた「愛情」がものすごく純粋で、美しく、尊く、私たちの心に深く染みてきます。


スポーツもまた、限りなく美しい。


私は、それが少し怖いのです。


その美しさの裏側にお金や組織の影が、私にはチラチラ見え隠れするのです。


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