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橋本治「ひらがな日本美術史」第3巻 かなり屈折したもの 京狩野はサブカルか?

狩野山雪筆 「老梅図襖」  「梅に山鳥図襖」

 「ガロ」という雑誌をよく読んでいた。
廃刊になって久しいが大好きだった。
創刊は古く、1964年。
私は二十代の前半にしばらく購読した。
私は当時書店に勤めていたけれど、入荷しないことも多かった。 田舎だったからかな。
今ならネットでチョチョっと買えるだろうが、40年前の流通である。 出版社に直接注文して、2週間も3週間も待たされて、それでも手に入らないものは手に入らないのだ。
そういう時代だった。

 正直言うと、あの頃「ガロ」にどんな作家がいたのか、あまり覚えていないのだ。
夢中で読んでいたのに、今はアラーキーの写真くらいしか思い出せない。
いったい「ガロ」の何に、あんなに夢中になっていたのか今になってもよくわからない。

林静一、水木しげる、つげ義春、丸尾末広、みうらじゅん。
 私の「この人好き。」の引き出しに入っている「ガロ」出身の作家のラインナップだ。
赤瀬川源平も杉浦日向子も、ずいぶん後になるまで「ガロの人」とは知らなかった。
結局私は、このラインナップの人たちが醸す空気に惹かれていたんだと思う。
「サブカルチャー」という言葉も、その意味も、私はまるで知らなかったのだから。

 狩野山雪の「老梅図襖」は、中学の時の教科書で見た覚えがある。
「ヘンな絵〜。」で終了だった。
あんなに不自然な絵なのに、日本画というだけで「そういうもの」で済ませていた。
ヘタしたら、「昔の梅の木ってこんな形してたんだー。」くらいのことは思っていたかも知れない。

 京都天球院の方丈が開かれて、
「狩野山雪の絵に囲まれた部屋ですよ。 さあ、お入り下さい。」と言われて、中学生の私は入っただろうか。
入っただろうなあ。
今は怖くて多分無理だと思う。
そりゃ、入ってみたいけどもさ。

 天球院に展示されている「老梅図襖」は複製だそうだ。
複製だから一般に公開されている。

狩野山雪 「老梅図襖」

写真で見たら部屋の前に木の棒が渡されてあって、中には入れないようになっていた。
いいことだ。
あんな部屋に閉じ込められたら気が狂うわ。
そう思ってしまうほどに「老梅図襖」は常軌を逸している。
写真を見るだけでもザワザワする。

 安土桃山時代、戦国武将並みに時代を駆け抜けたスーパー絵師、狩野永徳亡き後、狩野派は江戸狩野、京狩野と徐々に分裂を始める。
江戸狩野は永徳の血縁が引き継ぎ、京狩野は永徳の弟子が継承していった。

 狩野派はある時期において、その勢力を二分していったということですね。
永徳の孫たちは江戸を向き、永徳の弟子・・つまり狩野山楽は京都を中心とする関西に留まった。
だからこそここに、「京狩野」という一派が成立する。

狩野山楽は山雪の師匠だ。
 江戸に行ってしまった狩野派と、京に留まった狩野派。
「留まった」ということは、狩野派はそもそも京都にいたということだ。
それは当然で、当時文化の中心は天皇のいる京都で、絵の需要は圧倒的に京都にあった。
そこに徳川家康という権力者が現れて、その勢力は江戸に集中し始める。
永徳の血縁者たちは江戸に行ってしまい、山楽一門は京都に取り残される。
狩野派の一派として成立させられてしまった京狩野。
京都人って、こういうのがいちばん嫌いなんじゃないかな。
 「本流はそもそもこっちですやん。」

  日本画のことは、実はあんまりよく知らない。
よく知らないけど、江戸狩野と京狩野の絵を見くらべたときどっちが「面白い」かは、私にもなんとなくわかる。
「傍流」というサブカルチャー扱いされてしまった京狩野派の鬱屈も、まだその当時には色濃くあったことだろう。

中心であることを阻害されると、日本人はスネる。
スネて"前衛"になる。

「前衛」になっちゃったんだから、そんなの面白いに決まってる。


狩野山雪 「梅に山鳥図襖」

  「梅に山鳥図襖」を見て思うのもそれで、あの中央近くの枝にとまっている小鳥も、意味を知れば「前衛」だ。


山雪こだわりの「小鳥」

私はこの小鳥を、何度も指で隠しては離し、隠しては離ししてみたが、小鳥がいなけれはこの絵はすごく落ち着くのだ。
この小鳥一羽いるだけで、突然落ち着かなくなる。
私なんか、何度見ても「いるか?これ。」と思ってしまう。

この襖絵の画家は、くどいまでに画面の中の「直角二等辺三角形」を強調している。
こんなことをしたらどうなるのか? 画面の左で見事に生きている梅の枝と花を殺すだけです。
でも、この襖絵の画家は、それをあえてやっている。梅の幹の頂点を示す小鳥がいるといないとでは大きな違いがあるということは、この絵をよく見ればわかるでしょう。

この襖絵は"生きようとする梅の美しさを描き出す絵"じゃないんです。
"生きようとする梅の美しさがある光景をぶち壊そうとする不思議を描いた絵"なんです。
狩野山雪は、"生かす"より"殺す"の方が好きなヘンな画家なんだ。

その「ヘン」さを、現代のサブカルチャーに重ねてしまうのは私だけだろうか。

 狩野山雪は、画業こそ華々しかったが苦労も多い人だった。
義弟の金銭トラブルに巻き込まれて投獄されて、その心労で亡くなったとあるから、もしかしたら真面目な常識人だったのかも知れない。
サブカルだからって破天荒とは限らないんだ。

 狩野山雪についてもっと知りたくてググっていたら、びっくりして腰抜かしそうになった絵を見つけた。
「猿猴図」だ。
水墨画の掛け軸だから題材は「教訓」である。
「身の程をわきまえなさいよ」という教えを、猿が水中の月を取ろうとして落ちて溺死した、なんてミもフタもない故事から取って描いている。
他にもたくさんの画家たちが描いている題材だが、山雪の「猿」が、考えられないくらい可愛いのだ。

狩野山雪 「猿猴図」

山雪独特の構図は充分に読み取れる画面だが、そんなもんどーでもよくなるくらい可愛い。
もう、チョー可愛い。
こういうことするんだもんなー。
サンリオやん、これ。
そういえば、さくらももこも「ガロの人」だった。


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