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橋本治「ひらがな日本美術史」第2巻 龍安寺石庭 生け花が生まれた時代のもの ウンチク


 制服の高校生の集団が、私の横を追い越していく。 弾けるような若さ美しさに感動して涙が溢れる。

運転中の信号待ちで、信号が赤から青に変わる。
目が眩むような青の鮮やかさに感動して涙が溢れる。

 こうなると、もうだいぶヤバいのだ。

心が弱ると目に映るものがやたらと美しく見える。 別に嫌なことがあるから弱る訳じゃないし、こんなことが頻繁にある訳でもない。
双極症の影響だと今は分かっているから、こんな時は休むようにしている。

いつだったか、車でよく通る海岸線で見慣れた景色に目が離せなくなったことがあった。
夕暮れ時で、今にも降り出しそうな雨雲は低い空全体に掃かれていて、海もまるで湖のように凪いでいた。
内海なので普段からそんなに高い波は立たないが、その日は特に静かな海だった。
一面が青鈍色の世界で、真っ直ぐな水平線を背景に、所々に島とも呼べないような小島が、点々と水面に影を落としていて、その風景はまるで石庭そのものに見えた。
美しすぎてハンドルを握ったまま号泣した。
 多分、私は「感動」がキライなんだ。

今もあの海岸線はよく通るが、同じ景色のはずなのに、あの時見た美しい海や空の色を見ることはできない。

「ひらがな日本美術史」の龍安寺の石庭の写真は私があの日見た、あの風景に凄くよく似ている。
 昔のエライ人は海を見るということは、ほぼなかった。
だから「海」を知る人に造らせたのがあの石庭というものなんだろうな、と思っていたが、ハズレだった。

龍安寺の石庭は、広さが七十五坪ばかりある長方形の水盤に岩を生けた、ほぼ永遠に萎れることのない"巨大な生け花"なのだ。
         

  
龍安寺石庭

 あの石庭は、室町時代の武士たちが自分たちの庭にミニチュアとして「飾った」、平安貴族の豪奢だったのだ。
 平安貴族は、邸宅に花なんか生けなかったそうだ。 そういえば平安時代の花瓶なんてあんまりピンと来ない。
花瓶に花なんか生けなくても、貴族の庭が巨大な花瓶で、彼らは気分次第で取っ替え引っ換え庭の造作を「生け替え」ていたとか。
 なんてバブリーなんでしょう。

 庭に「巨大な花瓶」と「小さな海」を所有していた貴族の文化は、しかし、室町時代に入って「応仁の乱」で徹底的に焼き尽くされる。

それまで文化をになっていたものが力を失って、焼け出されてしまった。しかしその文化をありがたがる人間はいっぱいいたから、そういう"伝統文化"は少しずつ姿を変えて成り上がりの武士達の間に大衆化して伝えられていった。
大衆化とは決してわかりやすくなることではなく、マニュアルばかりが氾濫して、よりややこしく繁雑になることでもある。

「焼いちゃったもんは仕方ないよねー。」とは、当時の武士達は思わなかった。
伝統文化をありがたがる人はいっぱいいたから。
それにしても、
「伝統的な文化をありがたがる成り上がりの武士」って。
ずいぶん意地悪な言い様だ。
悪意まで感じる。
 「ひらがな日本美術史」というシリーズを通して「美」というものへの橋本治の態度は一貫している。

龍安寺の石庭は、日本が世界に誇る"難解な哲学"である。

そうかも知れないがそんなことを言われたって、ただ「へー」である。

好きだわー。こういう清々しいとこ。
 ウンチクは後でいい。まずは自分が「美しい」と思うものに恋をすればいいんだ。

 生け花のマニュアル本が出来たのも室町時代だった。

花王以来の花伝書

以前、一年程未生流の生け花を習ったことがあって、色々教わったがまったくモノにならなかった。
初心者だから基礎をきちんと教えてくれたのだろうけど、まさにマニュアル責めで、なんの花を生けたのか覚えていない。
生け花が、その昔平安貴族が所有した巨大な庭の成れの果てだと知っていれば退屈なマニュアルも、もっと楽しめたかも知れない。

龍安寺に行ってこの石庭を見てみたい気もするけど、近くに海あるしなあ。
 実物の海を見晴るかし、こともなげに通り過ぎる国人と、海に憧れ、庭に海を所有する都人と、どっちが贅沢なんだろう。
私は都人ではないから、実物の海と島を見て「哲学」にでも耽るとしよう。
 またいつか心が弱っている時に、曇り空のあの海に出会えることがあるかも知れないし。



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