見出し画像

生まれてくるということ。死んでいくということ。

 前回投稿した仙厓義梵の沼から、ようやく浮上しつつある今日このごろ。
禅画の話しはいったん措く事としたが、仙厓の生き様、死に様についてはまだまだ考えさせられるところが多く、いつまで引きずるねんと我ながら呆れる。

 高名な禅僧でありながら、「死にとうない」という言葉を最後に残した仙厓の真意に、私はまだこだわっているのだ。
 今回のマイブームは、なかなかしつこい。

 前回私は「なーんちゃって。チャンチャン。」
という終わり方に憧れると書いたが、それは、こういう終わり方ができる人はそうそういないだろうと思ったからだ。
 私は長く介護の仕事をしていたが、高齢になって自分の寿命と向き合わざるを得なくなった人が
「早く死にたい」と、口にするのを何度も聞いて来た。
夫の叔母も、去年そう言いながら亡くなった。
90歳になる私の父も、そんなような事を口にするようになった。
 家族にとって、こういう言葉はやりきれないし、情けなくも感じるものだ。
90歳を超えてカクシャクとしている人はいい。
でもたいていは、その年齢になると思うように体が動かなくなるし、外出する時も付き添いが必要になる。
車椅子や杖に頼る煩わしさもある。
今まで当たり前に出来ていた動作が、90歳くらいをさかいに、急に難しくなって落胆する人たちを、私は長年見て来た。

 「もう早く死にたい。」

情けない言葉だが、自分もその歳になったらそういう心境にもなるのだろうかと思うと、それこそやりきれない。
だからこそ、「なーんちゃって。」な終わり方に憧れるのだろう。

 私の祖母は数年前に亡くなったが、まさにこの「なーんちゃって」な終わり方をした人だった。
104歳の大往生。
入所していた施設で危篤になり、大阪、広島、愛媛の叔母たちが、祖母のいる宮崎県へ駆けつけたが、数日のうちにウソのように持ち直し、皆んながホッと安心して帰る頃には、いつもの元気な声で、
「ゴメンねー。ありがとねー。
気ィつけて帰んなあねー。」
と、ニコニコしていたという。
そしてそれから一週間後に、祖母は亡くなった。
 いつもと同じように夕食後、部屋へ引き上げ、朝にはもう起きてこなかったという。

 「お母さんらしいねえ。」と、再び宮崎に駆けつけた叔母たちと、苦笑しながらそんな話しをしたと母から聞いた。
「はい、もう死ぬよー。早よ来んと親の死に目に会えんごとなるよー。」
って、皆んなを呼び付けて油断させといてポックリだもんね。
「あんな逝き方、あの人にしか出来んね。」
 父の介護のため、お葬式に出られなかった私に母は笑いながら話した。
「お見事」としか言えない、と。

 祖母は性格の厳しい人だったが、私はそんなに怒られた記憶がない。
子供の頃、大阪の実家に祖母はよく来て泊まっていったが、そんな時は必ず同じ布団で一緒に寝るくらい、私は祖母が大好きだった。
 生涯唯我独尊の人で、何かに縛られたり誰かに寄りかかったりということがなかった。
 高齢になって施設に入所するまで一人で暮らしていたので、母も叔母たちも気にかけてはいたが「大きなお世話」という感じだった。

 私が大人になって、仕事をしてお給料を貰えるようになった時、
「おばあちゃんに会う時はお小遣いあげてね。」
と母に言われた。
別に異存はなかったが、そんなのおばあちゃんに失礼なんじゃないのかな、なんて思ったりしたものだ。

 祖母が大阪の私の実家に来ると、私を呼んで必ず言い聞かされる事があった。
「あけみさん、働くというのはね、傍(はた)の人を楽にさせるから、はたらく、というとよ。
自分がラクしようち、思うたらいかんのよ。
朝は誰より早く職場に行きんさいね。
そしてね、最後まで残って後片付けまでするとが働くち、いうことよ。わかった?」
私は、うん、うん、と最後まで祖母の話しを聞き終わり、
「おばあちゃん、これ。」
と言ってお小遣いを差し出す。
すると祖母は、それまでの厳しい表情から一変して満面の笑みになり、
「あら、すいまっしぇん!」
 そういうチャーミングな人でもあった。

 世間のおばあちゃんと孫のイメージとはちょっと違うかもだけど、そんな祖母を私はやっぱり尊敬していた。

「あけみさん、あんたはカルシウムち、いうもんをその目で見た事があるかね?
ビタミンやミネラルち、いうもんを見た事があるかね?なかろうもん?
栄養栄養ち、皆んな言いよるけどね、誰もそんげなもん肉眼で見る人ち、おらんが。
私らはそういう、目に見えんもんで身体を作りよるとよ。
目に見えんもんに守られとるとよ。」

 学問のある人ではなかったが、確固とした哲学を持つ人だった。

 祖母が亡くなって半年くらいは、祖母がもうこの世にいないという事に実感が待てなかった。
お葬式に行けなかった事も大きかったと思うが、本当になんの実感もなかったのだ。
 ある時、よく祖母とふたりで歩いた道を歩いていて、いきなりその実感が押し寄せて来た。
その場にしゃがみ込んで、人目も憚らずに声を上げて泣いた。
 この世から人がひとりいなくなるという事は、こういう事なんだと思い知った瞬間だった。

 私には3人の子供がいるが、出産の度に家族が1人ずつ増える事がなぜか不思議でならなかった。
2人が3人になり、3人が4人になり、5人になる。
簡単な足し算だ。
産まれた子供を抱いて、退院し家へ帰る度に、
「ひとり増えたで。マジか。」
そんなバカみたいな事を、いつも本気で考えていた。

「生まれて来なければよかった。」
若い人がそう言っているのを時々聞くが、私に言わせれば、
「でも、生まれて来ちゃったもんはしかたないよねー。」だ。
こんな事を言うとまた怒られるかも知れないが。

 生まれてくるという事は、この世に人間がひとり増えるということ。
死んでいくという事は、この世から人間がひとり減るということ。
人の生き様とは、その真ん中で何をしたかというそれだけの事だけだ。
生き様は選べるけど、死に様は選べない。
どれだけ世の尊崇を集めても、非業の死を遂げる人はいくらでもいるのだ。

「なーんちゃって。チャンチャン。」なんて死に様にどれほど憧れようが、それは自分では選べない。
 どこへ生まれ落ちるのか、どんな宿命を背負うのか、訳もわからずこの世の一員となったあの時と同じ。
選べないのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?