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「聞こえない」と生きてくの。[突発性難聴]

プールの後とか、シャワーを浴びたときとかに、耳に水が詰まった経験はあるだろうか。

突発性難聴の症状は、その感覚が一番近い。

突然、「ブツッ!!」というヘッドホンが接続不良になった時みたいな大きな音が耳の中で鳴って、右耳に水が入ったような閉塞感が続く。

この時、あまりにも大きな音がするので、「どうしてみんなこの音に気付かないの?!」と周りを見回したこともある。

しかし難聴は、一見すると全くもって健康で何の問題もないように見えるため、当然私の感じた異変に気付く人はいない。

というか、どれだけ説明しても、五体満足だし完全に失聴しているわけでもないから、理解されなかったり仮病のように扱われることもある。

痛みもないし、血も出ないから共感したり同情したりすることも難しいし、「どんな言葉をかけたらいいのかわからない」と困惑する人もいる。

なかには関心を持って接してくれる人もいて、そういう人からよく聞かれる質問は、「薬はあるの?」「治るの?」とか。

結論から言えば、特効薬もないし、私の場合、完治しない。

病院で薬を貰うこともあるけど、だいたい眠くなるタイプの薬で、要は「良く寝て良く休め」ということなのである。お医者さんも、「ストレスを溜めないでください」の一点張り。そんなの無理だから病院来てるんだよ^^

異変を感じてすぐに病院に行けば、完治することの方が多い。後遺症もなく克服した方も、noteにたくさんいた。体というのは正直で、不調があれば必ずどこかにサインを出している。そのサインを、15歳の私は無視した。その結果が、このポンコツな三半規管なのである。

淡々と書いているが、始めはもちろん困惑したし、いろんなネットの記事に書いてある「失聴」の文字に怯えた。治療したところでもう手遅れだと気づいたのは症状が本格化した16歳の時で、もう最初の発症からずいぶんと時間が経ってしまっていた。

深く考えればどこまでもネガティブな気持ちになってしまうのであっけらかんとしているだけだ。どうして私が、と悲しくて情けなくて、原因はたいてい昔の対人トラブルだったりして、芋づる式にいろんな記憶を掘り返し思い出しては涙が出てくる。だから、思い出さないように記憶に蓋をする。なにごともなかったかのように笑っている。

音が聞こえにくいことは、実を言うとさして日常に支障はない。完全に失聴しているわけではないので、生活において誰かの助けがいつも必要なわけではない。

本当に困るのは、思考が緩慢になることだ。耳が聞こえないと、それだけで集中力が削がれる。両耳の音量のバランスが取れていない上に不快な閉塞感が続くと、そっちに意識を持っていかれてしまって何をするにも集中できないのだ。

ひどいときは、発話するごとに耳の中でブチブチと大きなノイズが鳴ることがあり、もはや自分が何を話しているのかよくわからないときもある。

普段はそんなことはないのだが、難聴になっているときは、話しかけられているのはわかるし言葉は聞こえているのに、会話が頭を素通りしていく。だから、何度同じことを言われても同じミスを繰り返してしまう。

だから、演劇をやっているときははっきり言って地獄だった。セリフが覚えられない。覚えたはずのセリフが出てこない。相手がセリフを言っているのに、内容が理解できない。自分が何を言っているのか聞こえない。何度も自分のせいで練習が止まった。症状を説明しても、外傷がないから「集中していない」と思われる。

無遠慮に投げかけられた、「聞こえないのかもしれないけど、じゃあ本番どうするの?本番なってもちゃんとできるようにもっと練習して」という先輩の言葉が、今も忘れられない。ド正論だ。ぐうの音も出なくて、言い返すこともできなかった。
迷惑ばかりかけて、ミスばかりして、なりたくてなったわけじゃないのに、とてもとてもつらいのに、とにかく消えたかった。その場からいなくなってしまいたかった。

結局、休部した。思えばたぶん、そんな環境が症状に拍車をかけていた。
結論から言えば、休部期間が終わっても完治こそしなかったが、突発性難聴であるという事実を受け入れて生きていく決心をするには十分な時間だった。

耳栓をしたり、横になったり、頭を下にしてうずくまったり、いろんな工夫をした。耳が聞こえないときはなぜかよくあくびが出る。あくびをすると治る人もいるらしいが、私の場合は特に変化はなかった。いろいろ模索した結果、今のところ飛行機の中で耳詰まりが起きたときにやるような、耳抜きが一番有効な対処法である。

あとは十分な睡眠と、安定した精神状態。ストレスは遅効性の毒だから、体にサインが出るのもタイムラグがある。だから、自分の生活を振り返り、極力原因と考えられる事象を自分の生活から省くしかない。いっそ誰かを恨んでしまえればいいのだけれど、たいてい、自分がやりたいことを詰め込みすぎてキャパオーバーを起こしているだけなので、何かを切り捨てることは非常につらいし不甲斐ない。

突発性難聴のことは、親しい人にも話の一部分しか話さない。配慮してもらおうという気持ちはないし、不幸自慢みたいになるのも嫌だし、原因を聞かれたら面白くもない聞き苦しい人間関係のいざこざまで話す必要がある。強がりかもしれないが、相手を困らせたくないのだ。

では打ち明けられた時、どんな反応をしたらいいのか?

答えはシンプル、「そっか、お大事にね」でいい。
それでもっと心配してよと怒る人は不幸自慢がしたいだけだし、当事者でもないのに「わかるよその気持ち」と寄り添われても、適当なアドバイスをされても嬉しくはないし、そもそもコミュニケーションが成立していない。

欲を言えば、「どんな時になるの?」「どうしたら楽になるの?」と聞いてくれたら嬉しい。あまりセンシティブに捉えすぎずに、知ろうとしてほしい。耳の中で起きていることは見た目ではわからないから。

ということを、最近悪化してさらにポンコツに拍車をかけている三半規管にあきれ返ったのでメモ代わりに書いておく。もし何か心当たりがあったら、早めに病院に行ってくださいね。我慢していいことはないです本当に。早めに治療すれば治る病気なので!前向きに生きましょう。


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