展示などと言うと、ちょっと大袈裟な言葉になってしまうのですが、要するに自分の好きな物、蒐めたものを部屋に飾る、陳列する事ですが、それに見合った丁度いい言葉が見当たらないので、とりあえず「展示」という言葉を使わせていただきたいと思います。と言うのも、部屋に展示していて毎日観るという行為も、自分の中では結構大事な行為で、単なる飾り付けではなく、自分の好きなもの、自分の良いと思うもの、自分のもの、その当体とは何か?を見極める大事な作業になっているからです。
従って、その物の中に観ているものが、それぞれ独立していながらも、損じられる事の無いように、より明確に、より引き立つように配置する事が求められます。
ですから蒐集品ばかりでなく、自分の新しい作品が出来た時も大変です。(私の場合、削りをするまでが第一段階で、これからどのような方向に持っていくか?どう修正して、どう加筆して、どう完成に持って行くか?これを毎日 見続けて、自分の中でストンと納得する所まで自分の要求を探って行く作業が始まります。)
只でさえ壁面は少ないのに、だからと言って適当に配置すると、その作品を含め、周りの物 全ての 今まで見えていたものが見えなくなってしまいます。サイズは異なる、色合いも異なる、そしてそれぞれが丁度良い間隔、高さに配置しなければなりません。しかも釘の位置がズレると何度もやり直さなければなりません。脚立を使う時は大変です。大抵はその度に一時間以上もかけて配置し直す事になってしまいます。
しかし、それはそうしなければならないからーと言うことばかりでは無く、ちゃんと納まるべき所に納まらないと自分の気持ちが悪くて、それがストレスになってしまうからと言う事でもあります。これは例えばファッションの好きな人なども同じ事のようです。家内なども、朝 時間が無くてコーディネートでスカートの選択を間違えたりすると、一日気分が悪いそうですから、それと同じ事でしょう。
ですから自分の部屋はもちろん好き勝手にやっているのですが、共有のリビングなどは、それぞれの好きな物も異なる、配置の仕方も感覚が違うと言うことで、中々大変です。しかしながら、いつの間にか納まる所に納まるようで、自然と決まって行きます。
ところが、ある時ふと気になって、 勝手に陶器の向きを少しだけ変えたり、それぞれの間隔を少しだけずらしたりするのですが、数日して、ふと気がつくと元に戻っているのです。やはりそれぞれ自分にしっくりくる配置があるようで、笑ってしまいました。
お互いの部屋に行くと、必ず「 ごちゃごちゃだな〜。」と言い合うのですが、すると必ず「 どこが?整然としてるじゃない。」という返しが待っています。あたり前ですが、どうもそれぞれ自分の中の感覚では整然と配置されているようです。
以前の家から今度は山の中の小さな家に引っ越して来ました。山の様な荷物で、業者の方から、全部入るかどうか?と心配される程でした。兎にも角にも何とか詰め込んでもらったのですが、その後が大変でした。吹き抜けの上部に天井を張ってもらい屋根裏部屋を作り、何とか配置しました。したがって以前に比べてはるかに壁面が少なく、物を飾るスペースがなくなり、今だに物の配置に苦労しています。家の中の配置にうるさい家内が、毎日少しずつ手を入れ続け、段々と良くなって来ました。やはり何であれ、ものを創っていく作業、自分の世界を創って行く作業はこれはこれで、中々楽しい作業で面白いものですね。私はと言うと、もっぱら庭仕事が中心です。
何とも取り留めのない記事になってしまいましたが、こんな形でも自分達の世界を紹介する事が出来るという事は嬉しい限りです。
読んで頂きありがとうございました。