パターンはいくつも

今年は花粉症と認めております。来年は多分言いません。僕です。
「ここ10年で最大量」とか言われてますね。もう文言がヴォジョレー・ヌーヴォーですね。

さて、先日の話なのですが、妻に「あなたはパターンを用意しすぎて怖いときがある。」と言われました。
悪気のある言葉ではなかったのですが、「えっ!?僕って妻を怖がらせてるの!?」なんて気落ちしたものです。

そんなことはさておき、いや、さておけないのですが、自分はいつからパターンを増やす思考をしていたのか考えてみました。

恐らく、中学生のころからだと思います。
というのも僕は中学生のころから野球でキャッチャーをやっておりまして、その時に参考にしていたのが、元ヤクルトの古田敦也さんと野村克也さんでした。
お二人の著書を何冊も読んでいく中で、
「常に最悪の事態を想定しておく。」
というものがありました。

最悪の事態に向けてしっかりと準備をしておいて、その事態を免れればラッキー。最悪の事態に陥っても準備ができているので、慌てることなく、対処できると捉え、そのようなマインドでいました。

このあたりから「最悪の事態」だけでなく、考えられる色々なパターンを用意しておくことが癖付いていたように思います。

これが日常生活にも派生して、遊びに行くときに「この店が休みだったら、この店にしよう」であったり、飲食店で注文する際に「これが品切れだったら、これにしよう。、「これがダメだったらこれにしよう。これもダメだったら・・・」といった具合です。

そこそこ長い間そのように過ごしてきたので、僕にとってはこれが当たり前になっています。
これを他者に強要するつもりも一切ありません。
ですが、同じように考えておいてくれよと心で思うことは多々ありました。

僕は大学生時代に飲食店でアルバイトをしていたのですが、夜の時間になっても”限定10食”などのメニューを当たり前のように頼んでくる人にイラっとしてしまっていました。

僕の言い分としては、「限定10食のものが夜21時にあるわけねぇだろ!」です。

「これってまだありますか?」とか一言聞いてくれれば「ごめんなさい。そちらはもう売り切れてしまったんですよ・・・」という気持ちになれるのに・・・

あと、そういう人に限って「えっ!?もうないんですか!?」みたいなリアクションです。
そこから注文を再考するので、この場を離れていいのか、ダメなのか分からない微妙な時間が流れます。

このような人を見ると、改めて「自分だけでも、こういう時間を作らないようにしよう・・・」と思っていました。

さて、勝手な僕の思想を連ねましたが、僕の一番の問題はこの思考を勉強に使わなかったことです。
結果として、この考えが自信を持って「合ってるぞっ!」と言えなくなるというパターンを考えられなかった僕の負けです。

LIAR GAMEで「このゲーム、お前の負けだ。」って言ってる時の秋山カッコよすぎですよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?